27話 月のお姫様、お見舞いに来る
結論から言うと、赫夜はまた俺の家にやって来た。
連絡が取れたのが十七時、二時間後に行くと返信があり、急いで部屋を片付けて出迎えた。
昨日応対した父さんは仕事でまだ家に帰っておらず、母さんは夜勤明けで就寝中なので少しだけ気が楽だった。
「心配して来てくれたのは嬉しいけど、俺は大丈夫だよ」
「そう見えるけどね、確認はしておかないと」
赫夜は部屋に入るなり、コートと荷物を部屋の隅に纏めながら俺に指示する。
「朝来、そこに座って。……ベッドの上だよ」
その場で床に座ろうとした俺を、まるで見ているかのようなタイミングで誘導した。
「この辺で良いかな?」
「うん、そこでいいよ。じっとしていて」
ベッドの端、部屋の入口から近い方に浅く腰掛ける。
何となく落ち着かない。
足先を見るように視線を落としていると、赫夜は座っている俺のすぐ前、開いた膝の合間に立つ。
ニットワンピースの生地の編み目を数えることができるくらいに近い。
急な接近に首を引いた俺の両頬に、赫夜がそっと手のひらを添える。
掬うようにして顔を上を向かされると、赫夜の蜜色の瞳とかち合った。
「……か、赫夜……?」
「朝来、こっちを見なさい」
じっと俺を見る瞳が近づいてくる。赫夜は見下ろすように身をかがめていて、その距離は次第に縮まっていく。
緊張で、唾を呑む音が大きく鳴る。
口を開いたら息がかかりそうで何も言えない。
鼻先が当たりそうなほどの近さに、いよいよ目を開けていられなくなってきつく閉じる。
「朝来、目を開けて。確認が出来ない」
赫夜は抑揚の薄い真面目な声で俺をたしなめた。
「……え?」
「体調の、確認だよ。怖くないから目を開けなさい」
一度目の声掛けでは目を開けなかった俺の頬を、気付いてとばかりに軽く揉みながら言う。
ああ、そういうことか……
安堵の息も顔にかかりそうで呑み込むしか無い。
何か起きるとでも思ったのか、深く考えると恥ずかしい。
声に従って再び目を開けてみるが、やっぱり身じろぎだけで触れてしまいそうなほど近かった。
「赫夜、ちょっと近くない?」
「そうかな?」
「……そうだよ」
息がかからないように、なるべく小さな声で近すぎる距離を指摘する。
俺につられて、それまでより少し小さな声で返す赫夜との会話は内緒話みたいでくすぐったい。
「身体の様子を見るだけだから楽にして。今日一日問題なかったなら大丈夫だけど、念のためね。あとは今後の参考に、お前の体内を巡る力の流れも合わせて確認させてもらうよ」
赫夜はそう言うと、目の状態は見終わったのか少しだけ顔を離す。
同時に頬に添えていた手も下ろしたので、顎を下へ引いてようやく喉の奥に溜まっていた息を吐き出せた。
「もういいかな……?」
「今始めたばかりなんだけど?」
既に気力がだいぶすり減って弱音を吐く俺に怪訝な顔をしている。
次に赫夜は、俺の上着の裾を材質を確かめるかのように摘んだ。
「うーん……朝来、ちょっと脱いでよ」
「何言ってるんだ?」
とんでもない言葉が聞こえた気がするが、聞き違いのような気がする。
そうに違いない。
さっきまでの距離が近すぎたせいで、俺の耳がおかしくなったのかもしれない。
「さっき説明した通りだから、まずこの着ている服を脱いでって言ってるの」
「………赫夜、何言ってるんだ?」
聞き違いでもなんでもなかったらしい。ただ、理解はできない。
「だからね、昨日お前は怪我をしたでしょう? 倒れたのはおそらく蟲が毒を持っていたから。これまでの事件でも死人が居なかったわけだし、症状から見ても一時身体の自由を奪う程度のものだろうけど、後遺症が出ていないとは言い切れないよ」
赫夜は、口を開けたまま困惑に目を泳がせている俺に細かく説明を重ねながら、だから早く言う通りにしろとばかりに上着の裾を軽く引っ張る。
「だからって、そこまでしなくても平気だって!」
「大事なことなんだけど。昨日怪我を治したのも私なんだし、医師の前で脱ぐのと変わらないじゃない」
裾を引く手をやんわりと両手で剥がした俺に、赫夜は困ったような顔をして言ってから、腕をゆるく組んだ。
医者と同じと言われたらそうなんだろうけど、相手が赫夜だと心理的な抵抗感が強い。
なんとか諦めてはもらえないだろうかと知恵を絞っている最中の俺に、赫夜はため息を吐いて首を下げた。
「朝来は私に戦いに関する判断を委ねると言ったのに、どうして言うことを聞いてくれないんだろう?」
「そ、それは……言った気がする」
そういえばそんな話があった気がすると、口元を隠すように頬を掻く。
「戦いで負った怪我の把握もその範疇だと私は考えてるし、それ以外にも力の巡りを見るって言ったでしょ。高い能力があっても使っても磨いてもこなかったんだから、基礎を飛ばすにしても確認するべきことがあるんだよ」
「そういうことなら、一番最初から教えてもらったほうが良い気がするんだけど」
「本当に?」
じろり、と俺を見据える瞳が鋭くなった。
「……じゃあ、朝来は万物の流転についてどう捉えてるの?」
「は?」
「世界を構成している元素についても気にしたことないでしょ」
「ない……です」
言われている単語一つすら理解があやしくて、肩を小さくしてしまう。
「責めてはいないよ。私は別に朝来を術師にしたいわけではないし、お前も別になりたいわけではないだろうから」
赫夜は俺の眉間に寄ったシワを人差し指でつつきながら諭すように続ける。
「だからね、必要以上のことをさせる気はないし、とりあえず短期間で形になるように私も色々考えてるの」
指をそのまま鼻筋へ滑らせていき、最後にきゅっと先を摘んだ。
わかってくれた? と顔を近づけて確認してくる。
「わかりました……」
渋々と承諾を口に出す。赫夜を前に、俺の拒否権というものはいつも通りなかった。
戦いに関してとなると、一度任せた話ではあるし、赫夜なりに色々考えてくれているというのは伝わってくるので今回は特に強く言えない。
「うん、いい子だね。腕上げて」
「流石に自分で脱げる!」
俺の上着の裾を持ち上げようと手を掛けた赫夜を慌てて制止した。
着替えの世話まで必要だと思われてるんだろうか……子供じゃないのでやめてほしい。
「あぁ、肌着は着てていいよ」
インナーを首から外したところで、赫夜が俺の行動を制止するように手のひらをかざして平然と言う。
「え、全部じゃないんだ?」
「別に脱ぎたければ脱いでも構わないけど」
上に着ているものを全部脱げという話だと思っていたので、間抜けな声を出してしまった。
どうして話の流れが、俺が勝手に脱いだような体になっているんだろう。
気のせいか? 細かく確認しなかった俺が悪いのか?
「……着てる」
「わざわざ着直さなくても……手間じゃない?」
「寒いから」
横を向いて、絶対に伝わらないため息を小さく吐き出した。




