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夜明けが君に届くまで  作者: ちる
第一章
24/89

24話 目覚めゆく力の欠片

朝来あさき、時間も遅いし、そろそろ行こうか」


 ビルの合間にある薄暗がりへと身体を向け直して、赫夜かぐやが真面目な声を出す。

 この場に立っていた理由を、途中からしょうもない話になって忘れかけていた。


「うん、そうだね。いざとなると、やっぱ緊張するな」

「本当に気負う必要はないよ。今日はお前が今どの程度なのかを知りたいだけだから」


 戦いを意識して固くなっている俺の背中を赫夜がポンと軽く叩く。

 コート越しに伝わる手の感触に押されるように、差す光が足らずに奥の見えない路地へ向けて足を踏み出した。




 路地に入って程なく、あの日と同じ嫌な気配を感じて背筋に冷たいものが走った。

 もう二週間も前の出来事なのに、全身に纏わり付く不快感が今をあの日の続きのように錯覚させてくる。


 汗ばむ手を強く握り締めて、爪が食い込む感覚で落ち着きを保とうとした。

 逃げ出したいと思う気持ちと言葉を、大きく吸った息とともに胸の中に仕舞い込む。


 戦うと決めてみても、得体の知れない異形の存在に恐怖を抱いてしまうのは抗いがたい本能だった。




 むしは近い場所にいるのだろう。濃密な気配が針のように肌を刺す。

 ふとそこで、今更ながら自分が丸腰であることに気が付いた。


 もしかしたら蟲の事件を調べに行くかもという予感はあったけれど、実際に何か武器を用意するというところまでは気が回っていなかった。

 刃物とか鈍器だと見つかった瞬間に警察のお世話になることは間違いないが、何もない今よりはマシだったはずだ。


 とりあえず、時間が巻き戻るなら今日という日に単純に浮かれていた自分を叩きたい。




 現地調達と言うと多少は聞こえが良いだろうか。

 前回同様、何か武器になりそうな物が無いかと路地の両脇を見る。

 雑に積まれたプラスチックケースの脇に、お誂え向きに数本の傘がささった傘立てが置かれているのが目に止まった。


 フレームに錆びの浮いた銀色の傘立てにあるのは、どれも表面が白濁し錆の赤茶色が斑に移ったビニール傘だ。

 中棒はたわんでいて、途中で折れているものもあった。

 その中でも比較的ましだと思える一本を選んで抜き取る。

 じっくりと見てみるが、放置されていただけあって汚いという以外は問題なさそうだった。


「朝来……何をしているの?」


 これまで黙って後ろを歩いていた赫夜が肩の横から覗き込んできた。

 はたから見れば、ボロボロの傘を物色している俺の行動は奇妙に映ることだろう。


「武器になりそうな物を……ちょっと物色」

「そんな壊れかけの傘で戦う気なの?」


 言葉にはしないが、正気かという瞳で俺と傘とを交互に見てくる。


「前の時もその場にあったほうきだったし、まぁ、なんとかなるのではないかと……」


 余裕があるとかベストな選択肢だとか思っているわけではないので、ありえないと言いたげな視線に語尾が弱まっていく。


「時にはそういった臨機応変さも必要だろうけれど……うーん……そこはまた今度考えようか」


 赫夜は不安げに眉をひそめていたが、今日は様子見だしと呟いて下がった。

 そこまで心配されると思っていなかったので、まずいのかなと思い始めてしまうがもう遅い。

 他に手立てもないので頭を小さく振って忘れることにした。




 気配を感じた先には少しだけ開けた窪地があり、奥のビルの非常階段が薄闇に浮いて見えた。

 階段は踊り場に資材らしきものが積まれているので、普段は全く使われていないのだろうことがわかる。



 ――何処にいる?


 道の奥、階段の上、資材の影……気配はするのに、その姿は見えない。

 暗がりだからという理由ではないだろう。目は十分に慣れている。


 不安を感じつつも窪地に踏み入る。周囲は静かすぎるほどで、俺の足音しか耳に入る音はなかった。

 くるりとその場で回るように見渡してみても、その影すら捉えられない。


 何処にいる?


 再び頭の中に疑問を浮かべたその時、上の方からヴンと鈍い羽音のようなものが聞こえた。


 反射的に身体を捻り、手に持っていた薄汚れたビニール傘を音のした方角へ振りかざした。


 何か硬いものを打ったような重量感が、ビニール傘の柄を通して手首にかかる。


 「……っ!」


 無理な姿勢を取った反動で、そのまま広くもない路地の窪地を転がる。

 何が起きたのかを確認するよりも前に耳の後ろの方から先ほどと同じ羽音が聞こえて、その場で横へまた二度ほど身を転がした。


「蟲……飛んでる!?」


 地面から身を素早く起こしながら、元いた場所を視認する。

 そこには二匹の、蜂に似た蟲が不快な羽音を鳴らしながら浮いていた。


 大きさは前の蟻よりも一回りは小さいだろうか。

 しかし、不規則な飛び方と腹部の末端から伸びている針の鋭さから見て、圧倒的にこちらの方が危険に思える。


 思考を回転させながら息を整えていると、左の太腿が熱を持ったような違和感に気付く。

 手で軽く擦ってみると、ぴりっとした痛みと、ズボンの繊維が裂けているような感触がある。

 二匹目の攻撃が当たっていたのかもしれない。

 あの針だろうか。意識するとじんわり痛むが、大した傷ではないだろう。


 それでも、やられたという思いが強くなって歯噛みする。


 最初の印象が強すぎたのか、蟲は地面の上に居るものだと思い込んでいた。

 昆虫ならば飛ぶこともあるだろうが、正直まったく想像していなかった。



 唖然としている俺の足元に、今度は黒い影が横から突っ込んでくる。


「まだ居るのかよ!」


 嘘だろ、と吐き捨てながらも、すんでのところで斜め前へ跳ぶようにして突撃を躱した。


 三匹目となる蟲は、前回も見た蟻に似た種類だった。

 見知った顔……と言っていいのか。そこだけ少し安堵したが、状況は不利以外の何でもない。


 じりじりと、三匹を全て視界に捉えようと立ち位置をずらしていく。

 群れで行動するとは聞いていたけれど、群れって普通は同種のことだろうに、タイプ違いで行動するのはおかしいだろ。

 そういうところでだけRPGをするんじゃないと、声に出して言いたくなった。



 先ほど跳んだからか、左腿の傷がじりじりと焼けるように熱い。

 少しだけ思考が霞む。


「あーもう、馬鹿すぎて腹立つ」


 蟲より何より、迂闊だった俺自身に腹が立っている。

 呆れと苛立ちを抑えるために息を吐きながら、色の濁ったビニール傘と、足の傷を見た。


 赫夜は俺がどの程度か知りたいと言っていた。姿を探すような余裕はないが、どこかで見ているのだろう。

 勝てなんて言われてない。そこまでやれるとはきっと思われてない。


 でも、俺がそういう意識でやってちゃ駄目だろ。


「……勝たないと」


 俺がこのまま何もできずにこの蟲達に負けてしまったら、当分の間は子供か犬みたいにしか見てもらえない気がする。


 そのことが、ものすごく嫌だ。

 だって、まつろわぬ神を一緒に倒すと決めたんだから。

 赫夜の対等なパートナーになりたいじゃないか。




「……っく」


 左腿の傷のせいだろう、熱さとめまいを強く感じて縺れそうになるのを踏ん張って耐えた。

 非常階段の横に位置する壁を背にして、三匹を順に見据えながら傘を構える。


 剣道もやったことがないし、時代劇を数回ほど祖父母と過ごした頃に見た程度だが、何となくこう構えるのが自然な気がした。




 先に動いたのは飛んでいる蜂二匹だった。

 高低差を付け、左右から挟み込むようにこちらへ向けて針を突き立てようとする。

 先に右からの低い攻撃を避けて、続けて左の高い位置にいた蜂へ傘を縦に振り切った。


 ビニール傘の一閃が身体の中心を捉え、蜂はそのまま地面へと落ちる。

 落下の勢いでひっくり返り、細長い足で藻掻いている蜂の頭へと傘の先を深々と突き立てた


 堅いものを押し潰していく不快な振動が手に伝わってくる。


 耳障りな鳴き声を上げながら向かってくる蟻の突進を躱して、間髪入れずに無防備になった横腹を蹴り上げれば、熱を持った左腿からの痛みが響く。


 向かって来たのが丁度左側だったから使ってしまった。


「痛って……」


 それでも、痛みにかまっている余裕など無い。

 路地のコンクリートを転がる蟻を追うように距離を詰めて、先端が蜂の体液で濡れた傘で一番当てやすそうな腹を突く。

 蟻が濁った断末魔を上げ細い脚をバタつかせている。


「うっさい……あと、どこだ……」


 まだ後一匹は居たはずだ。辺りを見回すと、少し遠くで俺を窺うように飛んでいる。

 蟲の死骸から引き抜いた傘は、力を入れすぎたのか中ほどから曲がってしまっていた。


 もう、ろくに使えそうにない。

 元より手入れの悪そうな傘だったので仕方ないか。


 ぼやけてはいるが思いのほか冷静な思考の合間に、肩で息をする自分の苦しげな呼吸音が耳に届く。

 左腿の……いや、今はもう全身が焦がれるように熱く感じていた。


 痛みが、熱が、思考を端から削っていく。

「駄目だ……あいつを叩き落とすまで倒れられるかよ」


 高い位置に居れば俺の手が届かないと知ってか、悠々と飛び回る蜂に舌打ちした。

 絶対に落としてやる。

 途切れそうな意識をギリギリ繋ぎ止めながら、強く睨みつける。



 その時、自分の周囲の空気がざわりと動いたような心地がした。


 息苦しさが増していく。

 空気が重たい。

 冬の夜には不自然なほどに温い空気が全身に纏わりついてくる。



 息ができない。目に映る蜂の姿が霞む。

 そろそろ本当に駄目かもしれない。


 でも、これはもう意地だ。

 俺は絶対にあの蜂もどきを倒す。


 必死の思いで、纏わりつく空気の圧力に負けないように蜂へ向けて手を伸ばした。

 熱に焦がされて黒く揺らめく視界の中で、蜂が白い砂のように崩れていく。


 なんだかとても、綺麗だ――


 「朝来、もういい! やめなさい!」


 赫夜の叫ぶような声が聞こえる。


 膝に力が入らなくなって身体が横に倒れた……はずだったのに。

 感じたのは硬い地面ではなく、柔らかくて温かくて、ほんのりと甘い匂いだった。

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