21話 焼肉と月のお姫様のお仕事
「少し早いけど行こうか」
「……あぁ、そうだね」
心の底で渦を巻くようなモヤつきの正体を追っていると、赫夜が移動を切り出してきた。
はい、と笑顔で俺の前に手のひらを差し出してくるが、手を重ねるのを躊躇ってしまう。
この手を取ったら、何処へ連れて行かれるのだろうか。
流石にこの人混みから空を飛ぶということは無いだろうが、手を取ったと同時に何処かへ瞬間移動させられてもおかしくはない。
頬の筋肉がわずかに引きつり、唾を飲むだけなのに喉が大きく動く。
これまでの出来事から身構えてしまうのは、しょうがないというものだ。
赫夜は困惑で固まった俺を窺うように上目で見てから、左手を強引に掴み取る。
「ほら、はぐれてしまうよ」
穏やかに笑いながら、そのまま手を引いて歩き出した。
……ただ手を繋ぐだけなんて、想像してなかった。
夜の街を赫夜と手を繋いで歩いている。
まるで本当にデートでもしているようなシチュエーションと、俺の手を握る小さな手の感触に自然と胸が高鳴っていく。
通り過ぎていくビルの鏡面部分に映る自分達の姿を見て、こんなにきれいな子と一緒に居ておかしいと思われないだろうかなんて、前髪を摘んでみたりした。
手を繋ぐ時の赫夜の口ぶりは小さい子のいる親か保育士さんみたいだったので、きっと子供扱いされているんだろう。
赫夜から見れば人間なんてみんな子供かもしれないけど、俺は手を引かれないといけないほどの幼い子供ではないんだけどな。
半歩前を歩く華奢な背中に心の中で投げかける。
だけど、段々と二人の手が同じ温度になっていくのを感じると、自分から離すのはなんだか勿体なくなってしまって。
少し情けない気もしたけど、このままで良いかと思ってしまった。
赫夜に連れられて来たのは、駅から少し離れたビルに入った焼肉屋らしき店だった。
らしき、としたのはよく目にするようなチェーン店ではなかったので、店の名前では判別がつかなかったからだ。
通された個室の卓の上にそれらしき焼き網があったので、焼肉屋なのだろうと思われる。
「朝来は肉でよかったかな? 魚が良かったら次はそうする」
店員さんから受け取ったメニューを一瞥した後、俺に手渡しながら赫夜が言う。
細長く茶色い革張りのメニューは、それ自体が高級そうだった。
「ああ、うん。肉好きだよ。ありがとう」
肉も魚も好きだけれど、強いて言うならやはり肉のほうが好きだ。
「なら良かった。夕鶴がね、『十代なら肉以外はありえないでしょ!』って言ってたけど……どうなんだろうって思ってたから」
「ありえないとまでは言わないけど、俺の友達も肉好きの方が多いかな」
夕鶴の偏見に思わず苦笑いしてしまうが、俺も夕鶴なんかは毎食サラダを食んでそうな印象があったので人のことは言えない。
「赫夜はどうなの?」
「夕鶴は肉のほうが喜ぶから、私も肉が好きかな」
赫夜の答えを聞きながら革張りのメニューを開いてみると、指で触れただけでわかる質のいい紙と、余白の多い中身に思わず息を呑む。
小さく繊細なフォントで羅列されている肉の部位名、その横には一切の数字が書かれていなかった。
店構えからしてちょっと、いや、だいぶ高そうだとは思っていたけれど、想像以上かもしれないと変な汗が出てくる。
値段が見えないなんて、親がたまに見ているテレビ番組の企画くらいだと思っていた。
「か、赫夜……? この店って、高くない?」
血の気が引くというのはこういうことなのかと感じていた。
名前を呼ぶ声が震えてしまう。
メニューの上から顔半分だけを出して、これはまずいと目で訴える。
「そう? こんなものでしょう」
「いや、値段見えないから!」
平然と返す赫夜に、こんなものっていう値段が一体いくらなのかを問いたい。
親から小遣いを貰っているしがない高校生では、自分の食事代すら払えるか怪しかった。
むしろ、アルバイトをしていても高校生の稼ぎでは厳しい気がしている。
夕鶴がお嬢様学校に通っていたのを思い出して、感覚の違いを感じてきた。
「これは先週の埋め合わせだし、そうでなくてもお前に払わせたりはしないから。気にせずに食べたらいいよ」
「そう言われても……」
いつも友達と行くような大衆向けのチェーン店なら奢りだやったーと言えるだろうが、この白く繊細なメニューを見てそれを言える胆力はあいにく持ち合わせていない。
「せめて一皿の値段がわかれば……」
「見えても見えなくても値段は変わらないんだよ?」
「いや、最悪こう……分割払いの提案とか」
呆れの滲む声で俺を諭す赫夜に、苦しい胸の内と財布事情を吐露する。
「お前の美徳だと思うけどね。焼いたら食べるしかないでしょ」
赫夜は言うなり俺の手からメニューを奪い取って店員さんを呼び、あっという間に注文を終えてしまった。
よく熱された網目から肉の油が落ちて、炎を揺らす音が個室に響く。
肉の焼ける甘くとけるような匂いが鼻腔をくすぐって空腹を誘ってきた。
「私のお金なんだから気にすることもないのに」
「だからこそ気になるというか……気にするだろ普通」
「でも、もう焼けてしまったし。食べないと炭になるか冷めるだけだよ?」
赫夜はきれいに焼けた肉をぽいぽいと俺の取り皿に放り込みながら、呆れに近い息を吐く。
さっき言われてしまったように、こうされると食べる以外の選択肢はない。
「……ありがとう。いただきます」
「うん。たくさん食べなさい」
肉と赫夜を拝むように手を合わせるた俺に満足したのか、顔を綻ばせながら新しい肉を焼き始めた。
口の中で溶けていく肉は、味付けは薄いのに濃厚と言えば良いんだろうか。
これまで味わったことのない庶民の舌でもわかる美味しさだった。
「すごい美味しい。なにこれ」
「良かった。食べられるなら追加で注文してもいいし」
「いや、美味しすぎて値段が怖い。本当にやばい気がする」
「私はお前のものなんだから、私のお金でお前が食事をするのは別におかしくないよ?」
赫夜は新しく網の上に並べた肉の焼き加減を見ながら、柔らかい笑みを浮かべて言う。
唐突なものすごい発言内容に、取り落としそうになった箸を慌てて捕まえた。
お前のものは俺のもの理論を逆から言われると何かおかしい。
人聞きがよろしくないし、俺の心にもよろしくないからやめて欲しい。
「赫夜! その言い方はやめよう。誤解を招くから」
照れを小さな咳払いで誤魔化して、赫夜の問題発言をたしなめる。
「ただの事実なのに?」
「事実……いや、事実でも駄目です」
事実かどうかはこの際置いておいて、口に出すことが問題なのだと訴えた。
人様からの誤解って、重要なのは事実よりも受け取る側が面白いかどうからしいって最近実感させられている。
「そういうものかな?」
短く返す赫夜からは、この要望が響いているという手応えは感じられなかった。
甘く溶ける柔らかな肉を口に運びつつ、話題を変えるために手近な疑問を投げかける。
「赫夜はやっぱりさ、蟲退治みたいなことをして働いてるの?」
「どうして急に?」
職業について振られ、不思議そうに首を傾げながら焼き網の上の肉をひっくり返している。
「俺や夕鶴みたいに学生してる感じじゃなさそうだからさ。赫夜はやっぱオカルト関係の仕事でもしてるのかなって思って、ちょっと気になった」
妖怪退治みたいな仕事って実際あるのだろうかとか、儲かるのだろうかとか、未知の世界に好奇心が湧く。
職業体験までは遠慮したいけど、話として聞いてみるのは楽しそうだと思ってしまう。
呪文を唱えたり、武器を自在に振り回したり。漫画やゲームの鮮やかで格好いい戦闘シーンが頭に浮かんでテンションが上がる。
「あれは今必要だからしているだけで、生業としているわけじゃないよ」
「そうなんだ。じゃあ普段って何してるの?」
一般の会社などで働いているイメージもないので、長く生きてる分の資産があってのんびり本でも読んで暮らしているのだろうか。
肉を飲み込みながら一人頭の中で結論を出していると、赫夜が唐突にするどい眼差しで俺を睨んできた。
「働いてないとやっぱりおかしいって思うの……?」
「いや、そんなことないけど……」
「なんで目を逸らすんだろう?」
そんなふうに思ってたんだ、と悲しげな顔をして詰め寄ってくる。
初めて見せられたするどい眼差しに、思わず逃げてしまった俺の弱腰な態度がさらなる誤解を招いているようだ。
「落ち着いて! そんなこと欠片も思ってないから……!」
俺を追求するように立ち上がりかけた赫夜へ両手を前に出して制止する。
「ならどうして、急に職業なんて聞くのかな」
「ごめん! 本当にちょっと赫夜が普段何してるのか気になっただけだから!」
「普段きちんと働いてるかどうかが気になったの?」
「そういうことじゃないって! 俺は赫夜のこと知りたかっただけで……!」
「……朝来が奢られるのを渋ったのも、働いて得たお金じゃないから?」
俺の必死の弁明もむなしく、赫夜は「別に不正に得たお金ではないのに」と、紅くなった頬を膨らませて拗ねたように顔を背けた。
「これは私が働かないことへの給金で…………もういい、この話は面白くないからやめよう」
赫夜は気持ちが収まらないらしく、自分の指先をこすり合わせるようにしながら呟いていたが、途中で大きくため息をついて話を切り上げる。
働かなくても貰える、ではなく、働かないから貰える、というニュアンスがものすごく奇妙で気になった。
あからさまに渋い顔をしているので聞けないが、何なんだそれは。




