20話 月のお姫様と二人きりの待ち合わせ
週末の夜の街は、先週と変わらず多くの人で溢れていて騒がしい。
駅ビルのショーウィンドウが赤と緑のクリスマスカラーで彩られているのがやけに目について、冬になったのだと感じられた。
約束の時間よりも十五分ほど早く、混雑した駅前広場へと足を踏み入れる。
どこか場違いな宗教家の街頭演説の声が、道路の向こうからわずかに聞こえてきた。
少しばかり早かったかもしれないけれど、先週の待ち合わせでは結構待たせてしまった感じがあったので、今回は先に着いておきたかった。
細かい場所の指定はなかったので、わかりやすく前回と同じ場所で待とうと、人の流れに乗って待ち合わせの名所である広場端のモニュメントを目指して進む。
この辺りだったはずだと、うろ覚えの場所を探して視界を埋める人影の隙間から覗くように見回すと、俺の目的地には既に赫夜が立っていた。
強く吹いた風に、赫夜の淡い金の短い髪が耳飾りの房と一緒に大きく揺れる。
髪が瞳に掛かったのか片目だけ閉じて、睫毛の端を拭うように払った。
何気ない一連の動作に目を奪われる。
声を掛けたり近寄ることもしないで、ただその場に立ち尽くして赫夜の姿を見つめてしまう。
次の瞬間、目が合った。
不躾な視線はすぐに見つかってしまい、赫夜は瞳の横で髪を押さえたまま柔らかく俺に微笑んだ。
「こんばんは、早かったね」
「また結構待った? ちょっとは早く来たつもりだったんだけど」
てっきり自分のほうが早いと思っていたのもあり、少しだけ焦ってしまう。
赫夜は両腕を広げるようにして、穏やかに笑いながら俺のことを出迎えてくれた。
今日の赫夜はいつもと違う、白い厚手のコートを羽織っていた。
中にはゆるりとした深い赤のニットと、布を多く使った白いロングスカートを着ていて、少し強い風が吹く度にくるぶし丈の裾が小さくはためいている。
白い色は赫夜によく似合っている。
今日の服の配色は夢の中の赫夜が着ていた衣装とよく似ていて、俺の中ですごくしっくりくるような感覚があった。
昨日も着ていた濃茶のチェック柄のコートもお洒落だと思って見ていたが、真っ白いコートというのもまた印象がぐっと変わって見えて。
……なんというか、大人っぽくてきれいだ。
今更ながら、すごくデートっぽいなんて感じ始めて恥ずかしくなってくる。
俺が頭を掻いていると、赫夜は軽く握った手で口を押さえるようにして笑いながら言う。
「私が好きでここに居るだけだから、気にしなくていいよ」
「そうは言っても外結構寒いし、気になるよ」
次に待ち合わせることがあるなら、駅前が見渡せるコーヒーショップなどを指定しておいたほうがいいのかもしれない。
連絡先はもうわかっているし、待ち合わせの場所を屋内に変えても問題ないはずだ。
赫夜がこんな人混みの一角を好きだと言うのは少しだけ意外だと思ったが、賑やかな場所が好きなのだろうか。
俺から目線を外して広場で話す人々を見る赫夜の表情にはどこか慈しむような色が浮かんでいた。
「なにか面白いものでもある?」
赫夜が視線の先に何を思っているのか気になって問いかけてみる。
「街で人の行き交う様を見ているとね、目に映る全てにそれぞれ違う人生があるんだなって……」
「人生? どういうこと?」
返された答えは哲学的とでも言えば良いのか、さっぱり理解できなかった。
少し身を寄せて、同じ位置から景色を眺めてみればわかるだろうかと目を細めてみたが、俺から見ればただの人混みでしかない。
わからんと、俺が赫夜に視線を戻しても、赫夜はじっと人の流れを見つめていた。
「急ぎ足で駅に向かう背広の男は家族のもとに帰るのかなとか、会うなり抱擁を交わす二人にとって今日はどんな日なのかな……とか」
ガラス越しに見える近くの店の店員が忙しなく働く様子や、円陣を組むように集う若者達の賑やかな語らいを眺めて、日常の一コマを想像するのだと赫夜は言う。
「……人間観察、みたいな?」
「うーん、なんて言ったら良いんだろう」
観察という言葉は違うと、赫夜は顎を上げて考えている。
「こうしてすれ違うことで、ひと時を共有することで、彼らの人生に少しだけ触れることができた気がして嬉しいんだ」
俺を見上げるようにして、赫夜は本当に嬉しそうに目を細めた。
赫夜の言っていることはやっぱりよくわからない。
俺の考えたこともない視点で語られる言葉は、どうしてか俺を寂しくさせる。
二重のわからなさに首を傾げていると、ドンと背中に強い衝撃を感じて前によろめいた。
「……!」
転びそうになったところを、咄嗟に近くに居た赫夜の肩に手をかけてバランスをとった。
赫夜も、自分に向けて前のめりに倒れ込んできた身体を支えるように、俺の胸に両手を添えて押し留める。
「朝来、大丈夫?」
「ごめん! 痛かった?!」
慌てて肩を掴んでいた両手を離す。
わざとではないけれど、だからこそ力加減も何もなくしがみついてしまっていた。
「私は別に大丈夫だけど。人が多いからぼんやりしてると危ないよ」
トントンと、俺の胸元を軽く叩きながら今となっては遅い注意を促した。
徐々に早くなっていく脈が伝わりそうで、近すぎる身体も離したいのに、背後を行く人々の流れが俺にそれを許さない。
宙に浮いたまま下ろしきれない両腕を、俺はどうしたら良いんだろう。
赫夜の髪が口元に掛かって、唇に触れるさらりとした柔らかさがくすぐったい。
かすかに感じる甘い匂いにも目眩がしそうになる。
「……か……かぐや、ちょっと、下がってもらっていいかな」
俺の後ろに下がるスペースが無いならば、赫夜の方に動いてもらうしかない。
それが回らない頭で必死に考え抜いた俺の結論だった。
「あぁ、狭かったね。ごめんね気付かなくて」
「いや、俺こそ……」
すっと一人分後ろに下がった赫夜は、平然として何も気にしていないように見える。
もう少しくらい……
安堵の息を吐きつつも、何かを期待するような、モヤついた気持ちになってしまう自分が不思議だった。




