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夜明けが君に届くまで  作者: ちる
第一章
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2話 路地裏での戦いと月のお姫様の微笑み

 少し柔らかくなってしまったアイスモナカを掴みケースへ戻して、その足で店外に出て左脇にある建物同士の隙間、細い路地へと足を踏み入れる。

 右はすぐ横の建物とほぼ密接しているため、コンビニの従業員専用の裏口は人の通れるこちら側にあるはずだ。


 スマホのライトを懐中電灯代わりにして進む先を照らす。

 並べられた室外機を避けつつ仄暗い路地を慎重に進んで行く。


 路地に入ってからずっと、人じゃない何かの気配が強くしている。

 無数の目に、見られているような感覚がした。


 それは進むほどに色濃く纏わりついてくるようで、不快感と恐怖で自然と足取りが重くなっていくのを自分でも感じていた。


 今すぐにでも引き返したい落ち着かない気持ちをこらえて先へ進むと、コンビニの裏口らしき扉がようやく視界に入る。と同時に、すぐ先の地面に黒く大きな塊があることにも気付く。


 塊に向けて恐る恐るライトを当ててみれば、照らし出されたそれは紛れもなく人の身体だった。


「大丈……」


 安否を確認する声を出して、駆け寄ろうとして――気付く。

 地面に倒れ伏す人の身体に、何匹もの虫に似た異形の者達が群がり蠢いている姿が見えてしまった。

 咄嗟に口を手で抑えて出かかった言葉を遮った。



 異形の虫は蟻によく似ていた。

 ティッシュケースほどはある大きさは、外来種だから大きいんじゃないかとか、自分にとって都合のいい言い訳で流せるサイズではない。

 本物とは違い硬質な表皮にはいくつかの小さな棘のような凹凸があり、しなるように動く節足動物特有の脚の先には鋭い爪が備わっている。


 虫はその爪で倒れ伏す人の纏っている衣類を乱暴に裂いて、できた隙間に頭部をねじ込み、身体を齧っているように見えた。

 

「……!!」


 眼の前のあまりにも恐ろしい異様な光景が、正しく理解できない。

 肉を食み滴る血を啜るおぞましい音が静かな路地裏に小さく響き、反射的に耳を覆いたくなる。


「虫が人を……食べてる……?」


 受け入れがたい現実に抑えきれない声が漏れた。

 生理的な嫌悪感から思わず後ずさると、小石を踏みしめたらしく引きずる音が路地に響く。


 まずい。


 とっさに近くの壁を背にして、息を止めて背景の一部になれるよう祈った。

 目隠しに鳴るような遮蔽物など何もない。

 だから、ただ祈るしかなかった。今の音で虫達に気付かれて、向かって来られたらひとたまりもない。




 数秒が数分にも感じられた。


 横目で様子を窺うが、虫達は食事に夢中らしく俺を気にする様子はなさそうだった。


 どうやら、ギリギリ最悪な状況にはならなさそうだ。

 肺に留めていた空気をゆっくりと、小さく吐き出していく。


 しかし、これからどうするべきか……どうしたらいいものか。


 当然、店員らしき人のことは助けたい。

 そのために嫌な予感を無視して路地裏まで来たのだから。


 ただ、あの状態で生きているのかも確認ができない上、群がっている虫達をどうしたら追い払えるかという話だ。



 武器になりそうなものは手元に無い。

 あったところで化け物に有効かは別の話だろうけど、素手で挑むのは冒険が過ぎる。

 あのサイズの虫に触りたいとも到底思えなかった。


 何か使えそうなものがないか、再び祈るような気持ちで周囲を見回してみる。

 すると、コンビニの裏口横に設置された室外機に立て掛けられている、柄の短い外掃き箒が目に入った。

 振り回したところで威嚇以上の効果は無さそうに思えるが、あるだけまし、というやつだろう。


 俺にできることなんて、ほとんど無い。取れる手段も限られている。

 全力で走って、箒を拾って、全力で殴る。

 それくらいしか思いつかない。


 だから、それだけを全力でやることにした。



 ……夏場に時折湧いて出てくる虫の退治も、家族の中ではいつも俺の役割だ。

 慣れている。いつもと同じだ。



 心の中で繰り返し、暗示をかける。

 それから、大きく息を吸い込んで――


 強く、地面を蹴った。


 一息に路地を駆け、コンビニの裏口横から外掃き箒を鷲掴む。

 柄が想定より短く掴んだ時に少しだけ前のめりになるが、それを反動にして更に大きく踏み込み、野球のバットと同じ感覚で振り切って一番近くに居た虫の横腹を叩いた。


 箒の先は平たく広がっているので、いかに俺がノーコンだろうと振れば当たる確信はあった。

 虫は一撃で人の身体の上からは引き剥がされ、その勢いのまま近くの壁にぶつかって落ちる。

 返す刀の要領で、また別の虫を叩き飛ばした。


 人の上から虫達を退かすことはできたが、食事の時間を邪魔された虫達はギィギィと耳障りな鳴き声を上げ敵意を向けてくる。



 少しでも気を緩めれば、一斉に飛びかかってくるだろう。


 当然そうなるよな……と内心舌打ちをしつつ覚悟を決める。

 箒を前に構え、飛び掛かって来たら叩き落としてやろうと出方をうかがった。


「来るなら来いよ……! 田舎育ちで虫は見慣れてんだからな!」


 自分を奮い立たせるために声を出す。

 慣れない啖呵は端々に震えが滲んでいたけれど、寒さのせいだと思い込んだ。




 虫の一匹が一際高く鳴き声を上げる。

 攻撃の合図かもしれないと箒を握る手に力を込め直す。しかし、俺の予想を裏切って虫達は一斉に路地の更に奥先にある闇の中へと走り去って行ってしまう。


「え、あれ……?」


 戦いを覚悟していた俺は困惑して思わず気の抜けた変な声を出してしまう。

 周囲を見回しても、室外機の隙間にすら一匹もいない。漂っていた嫌な気配も綺麗さっぱりと消えてしまっていた。


「どういうことなんだ?」


 箒での一撃はそれなりのダメージを与えられていたと思うが、俺のような人間に恐れをなすこともないだろうし何故だろう。


 思案しかかったところで、地面に転がったままの人物、この路地に来た最大の理由を思い出した。


「すみません! 生きてますか?!」


 冷えた地面に倒れていたコンビニ店員に声を掛け、軽く肩を揺する。

 その身体に纏う衣類は原型がわからないぼろ切れと化し、ほぼ全裸と言っていいほどだった。


「……う、うぅ」

 店員の口から微かなうめき声が漏れる。

 虫に似たあの異形達に食いちぎられた箇所はどれもそう大きくは無いようだけど、傷口からは血が滲み出ていて痛ましい。


「生きてた……良かった……」


 あの虫達がどうして引いて行ったのかは、やはりまるで見当もつかない。

 これほど人を傷つける恐ろしい存在を相手に、箒一本振り回して戦ったという事実に今更になって手が震えた。



+++



 店員の身体に脱いだパーカーを被せ、コンビニの場所と怪我人が居るとだけ言って一先ず緊急通話を切る。


 意識のない人間をこのまま一人にはしておけないが、他の人が来た時にこの状況や、怪我についてはどう説明すべきなのだろうか。

 スマホを握りしめながら頭を悩ませる。


 流石にこの傷を見て俺がやったとは誰も思わないだろうが、まさか「虫に似た化け物が!」なんて正直に言うわけにもいかない。

 口にした日には俺まで病院行きである。


 何か、上手い言い訳はあるだろうか?

 無い知恵を懸命に振り絞っていると、ふいに背後から声を掛けられた。




「こんばんは、いい夜だね」


 高く澄んだ声が、路地の入口の方から響く。

 まるで親しい友人へ向けた挨拶のような。場にそぐわない声に驚いて反射的に振り返れば、仄暗い路地裏の入り口に誰かが立っていた。

 声や背格好からして女性だろうが、逆光で顔まではよくわからない。


むし退治に来たつもりだったんだけど、少し遅かったかな?」


 声の主はゆっくりとこちらへ歩みを進めてくる。

 『蟲退治むしたいじ』という単語が聞き違いでなければ、蟲とはあの異形のことを指しているのだろうか。


 詳しい話を少しだけ聞いてみたい気もするが、こんな夜中に化け物を追いかけている女性は中々にまっとうな人種じゃなさそうだ。


「それなりの数が居たと思うけど、結構戦えたりするんだね。この先が期待できそうで私としては嬉しいかな」


 のんびりと世間話のように話しかけてくるが、あきらかに怪しい女性に対してなんと返せばいいかと考えてしまう。

 夜の路地裏にいる男子高校生も怪しいと思うのだが、女性は俺に全く警戒する様子もなく、一歩、二歩と足を止めることなく距離を縮めてくる。


 「嘘だろ……」


 女性の纏う気配は人間じゃない。

 後数歩で顔が見えるほどの距離になるまで、まったく気付かなかった。


 一晩のうちで二度目となる人ならざる相手との遭遇に、俺の本能が警鐘を鳴らしている。

 逃げるべきだ、と。

 にもかかわらず、俺はこの相手に懐かしさと親しみのようなものを感じていた。


 相反する感覚に頭の中で処理が追いつかず、呆然と立ち尽くす。

 処理落ちで固まっている俺に追い打ちをかけるかのように、相手の姿が目の前にさらされた。



 そこに居たのは、『赫夜かぐや』だった。



 自分の鼓動が早まっていくのがわかる。

 一時、息をすることすら忘れてしまった。


 柔らかな月の光を溶かしたような淡い金の髪。

 俺を見てゆるく細められた甘やかな蜜色の瞳と、左耳に揺れる赤い組紐の耳飾り。


 夢の中では長かった髪は、一部が肩に少し掛かるくらいまで短くされている。

 服装も着物ではなく、白いニットのワンピースと濃茶のチェックが描かれたコートを羽織った都会的な出で立ちだ。


 所々に夢との相違が見受けられるものの、目の前に居るのは間違いなく赫夜だと、俺の中には確信があった。



 いつも見るその顔、ついさっきも夢で一緒に居た赫夜のことを見間違えたりはしない。


 それでも、夢の中の登場人物だとしか思っていた赫夜が目の前に居ることに、俺の頭では理解が追いついてくれない。



 赫夜は俺の前で歩みを止めると、蜜色の瞳がじっと見つめてくる。


「……赫夜かぐや、なのか?」


 思考が止まった俺の口から、確かめるように名前がこぼれた。

 赫夜の瞳が大きく見開かれる。


「え……」


 すごく驚いたような様子で、赫夜は数度瞬きを繰り返していた。



「私の名前、わかるの?」


 少しの間をあけて、どこか不安な口振りで聞いてくる。

 眉を下げて、俺の顔を上目遣いに覗き込んでくる赫夜にどきりと心臓が鳴る。


 少し前から考えが回らなくなっていた頭では上手く言葉が返せず、ただ大きく頷く。

 俺の頷きを見た赫夜は、戸惑いにも似た何かを噛み締めているように感じた。

 長い睫毛に縁取られた瞳を伏して、言葉とともに息を吐く。


「そう、わかるんだ……」


 そして、再び開かれた蜜色のきれいな瞳が、俺の顔を正面からまっすぐに捉える。



「そうだよ、赫夜だよ」


 俺の問いを肯定するように名乗った赫夜は、薄く頬を染めて、ほころぶように笑っていた。


 俺はまだ夢を見ているんだろうか。

 立て続けに起こる非日常に、頬を思い切りつねりたい気持ちを必死に堪えた。

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