17話 月のお姫様は今日も説明が足りてない
「……あいつら、裏で何する気なんだ」
自室の定位置に鞄を投げて、制服のまま倒れるように床に転がる。
床材が頬を冷やしたが、どっと疲れが出てすぐには起きる気になれず、仰向けになるように寝返りだけをうった。
あれから程なくして闇取引現場は解体された。
三人でカフェかファミレスに入るという案も出たが、夕鶴は家の方向が違うからと断り、竜もならばと先約だった斎藤達の待つファミレスへ行ってしまった。
竜は解散と決まればとっとと一人で消えるし、夕鶴には家まで送ろうかと言えば、やっぱり通学路では一緒に居るのを見られたくないとのたまう。
よって、俺は一人で疲労感とモヤモヤを抱えたまま家に帰って来たのだ。
「夕鶴は俺をからかうことに情熱を傾けすぎだろ」
近いから来てみた、というのも事実だろう。
俺も女子校に通ってるとしか聞いていなかったので、まさかそんな近い学校だとは思っていなかったし。
流石に俺が先に学校名を聞いていても女子校を見に行こうという気にはならないが、夕鶴は昔も好奇心が強かったし、ちょっとそこまでという気分になったんだろうと頷ける。
ただ、竜に話した理由、「赫夜のことで俺の様子が気になってた」が本命だろうと言われてみれば容易にわかる。毎日うるさいくらいだし。
でも、夕鶴はあきらかに俺のことを心配なんかしていない。
新しいおもちゃを眺めたいだけだ。
絶対に俺のことを、投げたら良い音がする玉かなんかだと思ってる。
多分、来週には竜から俺の話を聞き出して、またあれこれ突き回してくるんだろう。
夕鶴も、竜も、どうして人の反応をすぐ恋愛に結びつけたがるんだ。
二人を会わせることで折角誤解が解けると思ったのに、もっと別のより強固な誤解ができてしまった予感がする。
俺の受け取り方も悪いというか、女の子慣れのなさが顕著に出てしまっているのが悪いと前置きした上で言わせてもらいたい。
赫夜みたいな可愛い女の子に急に親しげにされたら、動揺するのは仕方がないじゃないかと。
しかも、赫夜はちょっと距離が近いというか、俺の勘違いを増長させるような言動をしがちに感じる部分があるから尚更だ。
女の子と言うなら夕鶴もそうだし、確かに可愛いけれど、最初が険悪な雰囲気だったのと幼馴染のあの子だと知ったせいで、純粋に女の子とは今は思えない。
挙げ連ねた要素が重なって誤解が生まれているんだろうが、否定を重ねるだけでは解消する気もしないと途方に暮れてため息をつく。
あ、ちょっと胃が痛くなってきた……
胃の上に左手を当てて軽く擦ると、ワイシャツのボタンに引っかかる感触がした。
会いたいと思うから悪いんだろうか。
赫夜とはまだ二回しか会ったことがない。
俺にとって、未だにどこか夢の中の女の子の赫夜が、現実の存在なんだって確かめたくなるのはおかしいんだろうか。
天井を仰ぐ目を伏せて、左手小指の付け根を摘むように触れる。
いくら摘んでもただ自分の皮膚でしかないその場所に、それでも何かがある気がして、こうして事あるごとに触れてしまう。
もう一回会ってみたら、そろそろ俺の妄想じゃないって確信できる気がする。
落ち着いて話をしてみれば、変に意識することもなかったりするかもしれない。
夕鶴のからかいも見当外れだって笑い飛ばせるんじゃないか。
だから、もう一回顔を見ることができたら。
そこまで考えて、ふと我に返る。
馬鹿で幼稚な発想だと、自分でも恥ずかしくなって両手で顔を覆う。
「……赫夜」
「なぁに?」
宛てのない呟きに頭上から澄んだ声が返ってきたことに、目を見開いて固まる。
指の隙間から、淡い金色の髪と、柔らかくてきれいな笑顔が見えた。
赫夜は寝転ぶ俺のすぐ横に座って、顔を覗き込んでいた。
「嘘だ……なんで」
動揺が口をついて出る。
「何でって、お前が呼んだから来たんだよ?」
赫夜は、何故驚くのかと言いたげに首を傾げた。
――俺が呼んだ? 赫夜を?
「ちょっと待って、確かに赫夜に会えないかなとは思ったけど……!」
「うん。だからね、契約の証に意識を集中して強く呼んだでしょ?」
混乱する俺の左手の小指にある濃い色の痕を人差し指で軽くつつく。
まさかと、瞬時に頭を過ぎ去った可能性に、起き上がろうと腹に力を入れたばかりの身体が再度固まった。
赫夜が言うには、小指の契約の証は赫夜と繋がっているらしい。
証に意識を集中することで、一方的ではあるが距離があっても赫夜を呼ぶ声が届くようになっているそうだ。
日焼け跡にしか見えない輪に無線機みたいな機能が搭載されているとは思いもしていなかった。
「なんて言うか、その……便利な機能だね……でも、できれば最初に説明して欲しかったかなって」
「大体の契約はその場限りだから、話しそびれちゃった」
「……じゃあ、他に言い忘れてる機能とかは?」
「探そうと思えば位置が把握できるくらいかな」
GPSか? まぁ、俺の行動範囲なんてたかが知れてるけど。
「来てくれた事は……嬉しい、けど。機能を知らない俺が呼んだりはしないって思わなかったの?」
「そうなんだよね。だから、今日までは気のせいかなって思ってたんだけど」
「……けど?」
薄っすらと嫌な予感がしたのに、先を促してしまった。
「今日はなんか、お前が私をとても強く呼んでたから」
赫夜は口元を手で隠すようにして優しげな笑みを浮かべている。
「いや、でも知らなかった事なんで……今回も気のせいで良かったんじゃないかな」
「結構大きい声だったから流石に気にするべきかなぁって」
俺のか細い主張をばっさりと切った赫夜の一言に、声にならない叫びが脳内を駆け巡っていた。
「朝来? 大丈夫?」
「……ちょっと時間が必要かもしれない」
床の上から起き上がれずにいる俺に、赫夜が不思議そうに声を掛けてくる。
俺は仰向けの状態で顔を覆い隠したまま、身動き一つすらできないほどの恥ずかしさを感じていた。
この一週間弱、赫夜のことを考える時はどうしたって契約の証に意識が向いてしまっていた。
それくらいしか赫夜と会ったことを現実だと思えるものが無かったからだ。
けれど、さっき聞いた説明通りならば、俺が赫夜について考えてたことが、赫夜からすれば呼びかけのように聞こえていたんだよな。
……もう、本当につらい。
だって、一週間だぞ。
すごくうるさいって思われてたんじゃないだろうか。
頭の中で頭を抱えてしまい、部屋中を転げ回りたいほどだった。
俺が奇行に走らないように唇を噛んで耐えていると、赫夜の手がそっと頭に触れる。
額から床につくまで、まっすぐに、指先で髪を梳くように優しく撫でてきた。
よしよし、と何度も繰り返す赫夜の声は、小さな子供を宥めるように柔らかくて甘くて。
とても擽ったい感触だったけれど、変に動いたり声を出したりしたら、赫夜は手を止めてしまうんじゃないかと思って。
ひたすらに声を殺して、あと一度、もう一度だけと、その優しい指先を求めてしまった。