10話 男子高校生と幼馴染のカフェデートはなお甘く
「朝来ってさぁ、やっぱ赫夜が好きなの?」
「……っ?!」
突然の質問内容に、飲んでいたコーヒーが今度こそ気管に入り盛大にむせる。
だいぶ温くなっていたからマシだけど、淹れたてなら大惨事だった。
夕鶴は、咳き込む俺を汚いとでも言いたげに見ている。
その態度はあんまりだ。
「何で急に変なこと聞くんだよ!」
多分顔が赤いけれど、これはコーヒーでむせて息ができなかったからだ。
「妹としては気になるじゃん」
「ああ、そうですか……」
にやにやと揶揄うように笑う夕鶴から目を背ける。
親しげに話しをしてくれるようになったのは嬉しいが、内容は選んで欲しい。
「まだ二回しか会ったことないのに、好きも嫌いもないだろ」
「ふーん……」
「何だよ、その含みがある言い方……」
赫夜はすごくきれいだし、長年夢で見てたのもあって憧れみたいなものがあるのは自覚しているけれど、恋愛という意味で好きかなど考えたことがなかった。
「だって、あんたの赫夜を見る目やらしーんだもん」
「?!?」
いやらしい、という表現に思わず目を剥く。
「お? 無自覚か? すっごいじーっと見てたじゃん」
「そんなことは……そりゃ、夢かと思って多少は見たけど」
「へー、そうなんだ。ふーん」
夕鶴の冷たい視線が突き刺さって心が痛い。
いやらしいと言われるような視線を向けていただろうか。
色々重なりすぎて既に曖昧になりかけている今日の記憶を手繰ると、ふっと脳裏に赫夜の白いワンピースの曲線が浮かぶ。
一つだけ心当たりが出てきてしまった。
「……いや、その、きれいだなと……つい。……やましい気持ちで見てたわけでは……」
「言い訳下手くそかよ!」
「……ゴメンナサイ」
本当にそんなつもりではなかったはずなのに、背中に変な汗をかいているのが自分でもよくわかる。
「謝罪は本人にーって言いたいとこだけど、赫夜は絶対気にしてないし、あんたも可哀想だからいいや」
けらけらと楽しそうに笑っている夕鶴の声が恐ろしく聞こえる。
恥ずかしいやら気まずいやらで顔は上げられそうにない。
「あたしが朝来のこと最初警戒しててキレちゃったのも、視線のこともあって女好きのナンパ野郎かと思ったからさー」
「……え、俺そんなふうに見える?」
「んや、今はもう別に」
最初は見えてたのか? という話は藪を突くだけになりそうなのでこらえた。
学校でも自他共に認める人畜無害枠として生きてきたので、初対面で女好きとかナンパ野郎とかいう見方をされたのは初めてのことだ。
視線一つでそこまで印象が違ってしまうものとは……恐ろしい話だ。
「まー、あたしとしては同じ歳のお義兄ちゃんとか嫌だから、そのまま玉砕してくれたほうがいいんだけど」
「だから、そういうんじゃないって!」
「そーだねー」
「勝手に決めるな!」
「そうそう。思い込みは良くないね」
抗議の声を上げても、さらりと流されてしまう。
俺が赫夜を好きだというのが、夕鶴の中では勝手に事実として出来上がってしまっているらしい。
夕鶴も学校の友人達もだけど、みんな恋愛話が好きすぎる。
何がそんなに楽しいのか。
もやついた気持ちを抱えながらも反論は無駄と早々に諦めて、貰ったおまけのクッキーに齧りついた。
「あとさ、本当にやるの? 今日言ってた神様退治みたいなやつ」
夕鶴が、口の横で遮るように手のひらを立て、少し声のボリュームを抑えて内緒話のように聞いてくる。
あの時は後ろでスマホを触っていたけれど、一応は話を聞いていたようだ。
「多分……恐らくは」
何の具体性もなく話が終わったけれど、あの調子だとやるんだろう。
俺の返答を聞いた夕鶴は、酸っぱい物を食べたかのように顔をしかめた。
「あんた正気?」
「それは赫夜に言ってくれないかな?」
一ミリも俺の意志ではないので。
「まぁ、俺が最初に赫夜と会ったのも、たまたま路地裏で人が虫みたいな化け物に襲われてるのを助けた時だったから……戦うって言われたら本当にそうなりそう」
言いながら自分で、そう言えばそうだったじゃないかと気が遠くなりかける。
「虫ぃ? 気持ち悪っ!」
夕鶴は露骨に嫌そうに仰け反った。
気持ちが痛い程にわかる反応に思わず苦笑いしてしまう。
「そう、すごく大きくて蟻に似てた。最近、路地裏でよく怪我人が倒れてるのが見つかるって事件知ってる? 多分アレのことだと思うんだよね……」
「あー、なんかニュースで聞いた記憶あるそれ。学校でも繁華街や路地裏には行かないようにって注意あったし」
「まぁ、あれが赫夜の言う『まつろわぬ神』と関係あるのかもわからないけどね」
蟲退治とも言っていたので、それが赫夜の趣味や職業じゃないならば何かしら関連性はあるのだろう。
またあの気持ちの悪い蟲と対面するのはすごく嫌なので考えたくはないが。
「――そういえば、あたしも昨日帰り道ででかい虫見たわ」
「え?」
少しだけ、胸がざわりとした。
「っていっても、あたしが見たのは親指サイズの羽虫だったから違うか」
「どこで?!」
思わず声が大きくなってしまった。
隣の人がまた少し驚いた顔をしてこちらを横目で見てる。
「……っびっくりした。家の近所の十字路だよ。心配しなくても路地裏なんて行くわけないじゃん」
「ごめん、何となく嫌な感じがしてつい……」
確かに俺が見たのとは大きさも種類も違うみたいだし、視える人ってわけじゃなかったはずの夕鶴にも見えているってことは、ただの虫なのかもしれない。
でも、店員さんの証言でも虫が見えているようだったし……
ぐるぐるとした、出口の見えない思考に陥りかける。
「……なんか、やばそう?」
不安げに問う夕鶴の声で、はっと我に返った。
「いや、前に見たのとはやっぱ全然違ったから、俺がビビりすぎて神経質になってたんだと思う」
「……うん」
夕鶴は一瞬だけ瞳を揺らしたが、頷くだけで終わらせてくれた。
「ごめん」
結局、根拠のない発言で不安がらせてしまっただけだった。
なんとも言えない不甲斐なさに気持ちが沈みかける。
ため息でも吐きたい気分でいると、夕鶴がスマホを取り出してなにやら操作をし始めた。
程なくして目の前に差し出された画面に表示されていたのは、日頃友達ともよく連絡に使っている通話アプリのQRコードだった。
「ほら、再会記念。授業中と真夜中はやめてよ」
「あ、うん。ありがとう」
俺もスマホを取り出して、普段あまりやらない登録操作を必死に思い出した。
友達欄に登録された新しい名前を、しげしげと眺めてしまう。
男女混合のグループチャットはいくつかあるが、ちゃんと友達として登録された女の子は初めてだ。
「何ずっと見てんの……?」
俺の様子を疑問に思ったらしい夕鶴が、訝しげに尋ねてくる。
「いや、女子の連絡先入れたの初めてだなって思って」
「……!」
夕鶴は何故か驚いたように目を丸くした。
いや、そんなもんだろう普通……
それとも、みんなそんなに異性とも積極的に連絡先の交換とかメッセージのやり取りをしてるものなんだろうか。
「まぁ、あたしも男友達は初めてだけど……うち女子校だし」
夕鶴も、肩にかかった髪の毛の乱れを直しながら呟くように言う。
夕鶴みたいに社交的で華やかそうに見える子に男友達がいないというのは意外だったが、女子校と聞けばなるほどと思った。
「じゃあ、連絡先も交換したし! そろそろ時間だから行こ。赫夜も待ってるかも」
夕鶴はそう言って、二人分のマグカップをトレーの上に載せ直してくれている。
スマホの画面右上に表示された時刻をよく見れば、確かに後十分くらいで約束の時間になりそうだった。
ここから駅前広場までは徒歩三分くらいなので、道の混み具合も考えれば丁度いいだろう。
「朝来さー」
「何?」
「赫夜には自分から連絡先聞けるように頑張りなね」
「何でそっちに話を持っていくんだよ!」
……またそういうことを言う。
立ち上がり際に、足を椅子にぶつけて大きな音を出してしまった。
俺の動揺を見て夕鶴は声を上げて笑う。
あきらかに面白がっているような口調が腹立たしい。
いちいち慌ててしまう自分も含めてそう思う。
夕鶴の言葉は俺をけしかけているように聞こえる。玉砕しろとか言ってたくせに何なんだまったく。
「教えてくれる待ちだと、一生交換できないよ?」
「……ご忠告どうも」
にやついた夕鶴の視線を、口元を隠すようにして手で遮る。
「おう、初めての男友達へ妹様からのアドバイスだぞ。ありがたく受け取れ」
そう言って笑った顔は、今日見た中で一番無邪気なものだった。
「……なら、妹様に甘えてコップ返却は任せた。先に一階行ってる」
「言うじゃん」
意趣返しではないけれど一つ思い出したことがあったので、返却は既にテーブルの片付けに手を付けていてくれた夕鶴にそのまま任せた。
階段を上がってくる客とすれ違いつつ一階に降りて、注文カウンターの隣りにある棚を見に行く。
そこには、このカフェチェーン店でしか買えないマグカップやタンブラー、店内でも小分けで売っているお菓子の詰め合わせギフトなどが並べられていた。
好みなんて知らないので、中身も金額も無難な、名前もわからない焼き菓子とドリンクチケットがセットになった小さなギフトボックスを選ぶ。
丁度会計が終わった頃、夕鶴がゆっくりと階段を降りてくるのが見えた。
外に出ると空はもうしっかりと暗い。
それでも、立ち並ぶ店舗の照明や年末に向けて施されたイルミネーションの数々によって、駅の周辺はだいぶ明るく感じる。
「夕鶴」
「ん? なんか言った?」
店を出てすぐの歩道の脇で夕鶴を呼び止める。
不思議そうに振り向いた夕鶴の顔の前に、先ほど買ったばかりのギフトボックスが入ったチェーン店のロゴ入り紙袋を差し出した。
「これ、夕鶴に。何が良いかわからなかったから、大したものじゃないけど」
「……何で?」
一応は両手で受け取ってくれたが、やはり不思議そうな顔で首を傾げている。
「誕生日おめでとう」
夕鶴はそれを聞いてようやく、俺の渡したものが何なのかわかってくれたようだ。
少しだけ驚いたらしく瞳を瞬かせる。
「誕生日、昨日って言ってたから。一日遅いけど」
「……あり、がと」
夕鶴は紙袋で口元を隠すようにして歯切れ悪く言った。
思った以上に驚いてくれたのかもしれない。
そのまま、少し眉間に皺を寄せて俺の顔をじっと見てくる。
「やられたわ……」
夕鶴はどこか不服そうにこぼした。
怒っているわけではなさそうだけど、そういえば誕生日にサプライズは嫌われるみたいな話聞いたことがあったなと頭の隅に情報がちらついた。
こっちも思いつきの行動なので、なんとか腹を立てずに許容して欲しいところだ。
「これ買うために先降りたんだ」
「うん、まぁそう。自己紹介で言ってた誕生日のこと思い出したから」
種明かしのような確認をされると少しだけ恥ずかしい。
「ありがとね、朝来」
夕鶴は、今度ははっきりとそう言った。
そして少しだけ頬を染めて、はにかむような笑顔をみせてくれた。