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学び舎の乙女たちは動かざる物たちにいのちを吹き込む・後編

作者: 儀間朝啓

 この作品は、

『学び舎の乙女たちは動かざる物たちにいのちを吹き込む・前編』の続きです。

 立身女子第一高等学校は全国的に知られる名門お嬢様女子校で、運動部の活躍も全国レベル。

 その運動部を応援しつつ、自らも優れた成績を残すチアリーディング部は特に人気のある部活動のひとつ。チアリーディング自体も立派な競技であり、練習の積み重ねが大事なのだが、自由を重んじる校風のため過度なしごきや上下関係の類は一切ない。

 ただし、一年生だけに課される、一年生でなければ出来ない重要かつハードな役割がある。


 学園のマスコットキャラクターは伝説の鳥、不死鳥ことフェニックス。このマスコットは学校のサイトや配布物等で使われるとともに、大きな動くぬいぐるみが、各大会の応援などに登場し、チアリーディング部員たちとともに場を盛り上げる。

 噂では、生きたぬいぐるみというのも世の中にはいるらしい。だが、中に人が入ってはじめて、生命を得たかのように動き出すぬいぐるみもいる。

 この学園のフェニックスも後者に属する。そしてぬいぐるみの中には、チアリーディング部の一年生が入ることになっている。


 前日と同じ競技場で、乙女たちは今日も応援に精を出す。揃いのウィンドブレーカーに身を包み競技場入りした部員たちは、控え室に入ると早速身支度を始める。

 その中に一人だけ、控え室の一角に作られたカーテンの囲いの中で着替えを始める部員がいる。ガサゴソという音がひとしきりして、それがピタッと止まると、おお急ぎで自分の衣装の準備を終えた二人の部員がカーテンの中に入っていく。


 そこには、自分でできる限りのところまで着替えを進めたチアリーディング部一年生の有望株、A美の姿がある。A美は前日に続いてのマスコットキャラクター役。

 マスコットを着るには、ほぼすべての着衣が指定のものとなる。最初に着るスポーツモデルのインナーウェアは自前でも構わないし部で用意したものでもよい。

 その上にデニール数高めの白いタイツウェアで全身を包む。そしてさらに、フェニックスを象徴する赤と黄色のオーバーオールを着る。フリース製で、中綿のしっかり入った厚手の仕上がり。

 マスコットを着るのをサポートする役の一年生部員二人がカーテンの中に入ると、A美はこのオーバーオールの肩紐を両手で握ったまま待っている。オーバーオールといってもほぼ鎖骨の下まで布があり、サスペンダーの留め具も自力の着用は難しい構造になっているから自力では着られないのだ。

 二人のサポート係はオーバーオールの紐を二人で左右に分かれて握ると、

「そーれっ!」

 息を合わせて、A美の身体を一気に包み込む。


 オーバーオールの形を整えると、二人はすかさず足の装着に入る。A美を椅子に座らせて、特製のインナーシューズを履かせる。

 彼女達の足サイズはまだ成長途上にあるので、個人個人の足に合わせた専用のシューズをまず履いて、歩き方などにクセがつくのを防ぐ。

 この靴はスキー靴の中にあるインナーブーツと似た素材で、変形に強くて足にフィットし、靴底の衝撃吸収性も良い。

 とかく日本の部活動では目先の勝利や名誉のために、ひどい時には大人になってからも影響するような身体へのダメージを部員に与えることがままある。学校法人女子立身会ではそんな悲劇の芽を徹底的に摘み取る。合わない靴は足の変形を招きかねないので避けねばならな

 だが、さっきからのA美の(しか)めっ面がひどくなってきた。この専用シューズは素材が素材なので水を吸いやすいし乾きにくい。今日も二日続きの登場により、靴は汗をたっぷり吸い取って、ソールの表面はうっすら湿っている。


 濡れた衣類を着るのは気持ちの良いものではない。だがA美のそれによる不快感をよそに着付けは続く。

 鳥類の脚の多くは、長い指が扇の骨のように広がっている。それを再現したうえで人間の足が入るような大きなぬいぐるみの脚に、A美の足がインナーシューズごと包み込まれる。

 脚のサイズは大きいし、その分重さもある。万一足をひねりでもしたら大変なので、指は太めで甲の高さも十分に、ある程度硬くしっかりした素材で足首までしっかりガードする。

 もっとも、その安全性を確保できた分、重さは増す。


 A美の身体から発した体温は、すでにフェニックスの胴体から足先までをしっかり内から暖めている。衣装が厚みを持っていて、保温性の高い素材だから自然なことだ。

 だが、ぬいぐるみの着付けはまだまだ続く。マスコットのモデルは鳥なので、翼を付けねばならないのだ。

 このマスコットの場合、左右一体となったウレタン製の翼に両腕を通す。この真っ赤な翼を広げるとキラキラした短冊状のラメが広がり、華やかな姿で応援に花を添える。

 この翼も相当な重さがあるので、胴体にしっかり固定させる必要がある。そのための工夫が実はオーバーオールに施されていて、腰から上を支えるサポーターが埋め込まれている。素材は武道用と同じような分厚くしっかりしたもの。

 また左右の翼を支える肩部分は、サポーターどころかコルセットのような堅さを持つ。これをオーバーオールの上端にある留め具と繋ぎ、両肩から胸・首をしっかり固定する。

 もちろん表地は赤と黄色の鳥の毛肌を再現しているので、外からそれは分からないが、内側の首にあたる部分はまるで鞭打ち症治療用のコルセットのようになっている。


 首から腰下、さらに膝から下をガチガチに固め、しかもそれ分厚い素材となれば、重いうえに熱の逃げ場が無い。それでもこれだけ厳重な補強をするのは、成長期少女たちの身体を守るため。

 実際ぬいぐるみを着る仕事であるスーツアクターの多くが首や肩を痛めているとの話もある。そのリスクを成長途中の生徒たちに負わせるわけにはいかない。

 そしてなぜ首や肩に負担がかかるかと言えば、頭にかぶる「面」が重いことにある。

 ゆるキャラなど、昨今の等身大ぬいぐるみのほとんどが巨大な頭を持つ。等身数が小さいほど可愛く見えるからだが、面が大きくなれば無論、重さも増す。


 A美の顔面はすでに目の周り以外すべてタイツスーツに覆われている。このような全身タイツや面下という顔や頭の汗を吸収するかぶりものでも、目だけでなく鼻や口も出ているものが多い。

だが少しでも多く汗を吸収するためと、汗が垂れたままになったための肌荒れなどを防ぐこと、鼻や口のまわりに湿気を保つことで、面の下からわずかに入る空気による冷却効果を発生させることを考慮して、このような形になっている。

 とは言え、その程度のことではどうにもならないのも確かなこと。A美は覚悟を決めたように両目をつぶり、自分の頭部にフェニックスの面がかぶせられるのを待つ。


 面の中にはヘッドギアが仕込まれていて、頭が正しい位置に向くようにし、重い面を支えることをサポートする。支える機能をしっかり発揮できるため耳や後頭部をしっかり覆い隠す合成皮革製のクッション入りヘッドギアは、重くて通気性も悪い。

 部員二人がかりで、せえのと声を掛け合ってA美の頭にすっぽりと面をかぶせる。かぶせる二人も大変だが、かぶせられるA美はもっと大変だ。一瞬のうちに目の前が真っ暗になったかと思うと、ずっしりとした重みが頭上から全身にのしかかる。

 面が万が一にも外れないよう、顎のベルトはしっかり締め

なければならない。その作業が進む間にもヘッドギアの中は蒸れてくるし、重い面をかぶったまま動かずにベルトが締まるのを待つのもつらい。

 だがそれさえ終われば、A美はいよいよフェニックスに生まれ変わる。


 ここまでゆうに三十分近く掛かっているが、この作業に慣れた部員がやってこのタイムなのだから不慣れな部員だと手間取って仕方がない。

 まして一式整うまでに何らかのつまづきや手間取ることが起きれば、たちまち所要時間は膨れ上がる。

 そのため時間には余裕を持って着付けを始めるのだが、それが早く終わった分、A美はこの姿で小一時間待たねばならない。

 待機中は小型扇風機でわずかな隙間から風を送ることができるが、多少マシになる程度の涼しさでしかない。だから当然、汗は容赦なく噴き出してくる。水分の補給は必須事項なので、面の中にあらかじめストローとプラパックに入った水が仕込んである。

 パックの飲み水は前もって凍らせてあるが、内部にこもったネタですぐさま解けて、どんどん生ぬるくなる。A美は自分の人肌で暖まった水を、美味しくないと思いながらストローで吸っている。それでも熱中症を防ぐため、喉が渇く前に水を飲め、トイレは気にしなくていいから、と一年生は厳しく言われているので我慢して飲んでいる。

 水は随時、面の後ろの補給口から継ぎ足す。減り方が少ないと無理やりパックを潰して飲ませることもあるらしいとの噂なので、A美は必死に飲み続け出番を待つ。

 そしてついに、部長の合図が出た。いざ、観客席へ。

 

 まずはA美とサポート部員を除く全部員が、華やかなチアリーディングのユニフォームに身を包み、元気に飛び出していく。

 そのあとから、サポート部員に支えながらよろよろと、フェニックス君が登場。大きな脚と羽に一体化した翼のせいで、ただでさえ一人歩行は困難を極める。

 しかもフェニックスの中にいるA美の視界は極端に狭く、巨大な口の奥にあるわずかなスリットを頼りにするしかない。薄暗い競技場の階段を登るのは他の部員がリードしなければ不可能。

 さらにぬいぐるみの重さが、A美の体力を容赦なく奪っていく。水分を含んだときの総重量は10キログラムを軽く超えるとも言われているので、脚を持ち上げるだけでも一苦労となる。


 試合が始まる前から応援は開始。やっとのことで定位置についたフェニックス君も休む間もなく応援に加わり、前後に左右に上下に舞い踊りながら、全身全霊を込めて選手たちに元気を贈る。

 ぬいぐるみを着て動くことを、よく「操演」と呼ぶ。フェニックスの操演者であるA美の身体は、座っている時でさえ汗だくだったが、徐々に天高く上ってゆく太陽の光と激しいアクションによって生まれる自身の熱量で、ますます高温になっていく。

 だが、汗をかいているうちはまだ良いのだという。汗をかけるだけの水分が体内から無くなれば、たちまち熱中症で倒れてしまうだろう。汗だくである分には、それが蒸発するときに熱を奪ってくれる。

 冷感スプレーやシートの類はほとんど役に立たず、すぐに体表面と同じ温度に達してしまう。凍らせたネッククーラーもすぐに冷感を失い、かえって首周りの通気性を邪魔してしまう。

 これでも、面の部分には数箇所、空気の通る場所がある。頭寒足熱とはよく言ったもので、脳は熱に弱く、過度の高温では脳のタンパク質が固まってしまうとも言う。だから面の中は少しでも温度を下げようと、このような工夫がされている。

 そのぶん首から下は暑いままにしておく。エビデンスは無いが、文字通りの頭寒足熱で乗り切ろうという考えだ。


 全員がこの操演を行うことになる一年生部員は、その際めまいやふらつきなど体に変調があったらすぐ申告するよう言い聞かされている。

 とは言え、一度観客席の盛り上がりに呑まれてしまうとそれを自覚しにくいのも実際のところ。だから先輩を含めまわりの部員たちは、応援に精を出しつつマスコットの動きに変なところが無いか常に気を配る。

 フェニックスのぬいぐるみに乗り移ってその魂と化しているA美は、中にこもった熱気も全身から噴き出す汗もそれを吸い取ってびしゃびしゃになった衣装も、それらが渾然一体となって充満する匂いもいつのまにか忘れ、フィールドで戦う選手達の背中を押そうとする気持ちを身体で表すことに快感すらおぼえて来ている。


 そして、あっという間のゲームセット。今日も熱烈な応援の後押しを感じさせる快心の勝利。A美フェニックスも両の翼をばたつかせて、勝利の喜びと選手の頑張りに対する賞賛の意を表現する。

 そして今日も、選手や観客を最後まで見送り、観客席を綺麗にしてからチアリーディング部は撤収。フェニックス君も再び両肩をサポート部員に支えられて階段の奥に消えてゆく。


 フェニックスの面がゆっくりと外されると、再びA美の両眼とその周りを包み隠すタイツスーツが現れる。白い化学繊維から湯気が立ちのぼり、それでもなお気化できない玉の汗がしたたり落ちる。

 一気に疲れに襲われたA美は、椅子に腰掛けると急に気が抜けて、やや荒い息で、タイツ地の下にぼんやり浮かぶ紅い頬を見せながら焦点の定まらない目で中空を見つめる。まさに茫然自失、でもひと仕事やりとげた感はものすごく彼女の胸を高まらせている。

 全身をびっしょりと汗に濡らし、蒸れに蒸れた空気をなかなか閉じ込めたままのA美。そこにはこれまでチアのエースとして輝いて来た笑顔は無い。

 輝かしい経歴を持つ彼女ですら、これほどハードな責務を輪番でやっていかねばならない。実力と関係なく平等にこのような大変な務めを果たす義務を嫌って、チアリーディング競技で優れた結果を残しながらも他校を選ぶ受験生は少なくないという。

 だが、A美の放心したような瞳は、その反面幸福感に満ち溢れているようにもみえる。それは、大事な務めをやり遂げたことへの安堵感や充実感、その他もろもろの幸せな思いに他ならない。

 そして「裏方の仕事」「下積みの仕事」とされているマスコットキャラクターの操演をすべての部員に経験させる事で、華やかな舞台の裏にはさまざまな苦労がある、だかその苦労をするから得られる喜びもある、そのことを身をもって生徒達に気づいてほしい。

 それこそが学園の教育方針でもある。

 要は、女の子にぬいぐるみを着せたかったんです。

 でも、その動機づけをどう持っていくか考えているうちに、いつもの時事問題に口出ししたがるクセが出ちゃいました。


 部活動のあり方は大きく変わりつつあるようです。

 作者は運動部の経験はほとんどありませんが、高校生当時運動部の強い学校に進んだ同級生の多くは愚痴しか出てきませんでした。

 そしてその多くが「自由がない」というもの。彼らは練習の厳しさもさることながら、規則にがんじがらめになっていることが何より苦痛だったようです。

 彼らの求める自由が有って、なおかつがんじがらめの決まりごとや、非科学的根性論に基づく練習の無い部活動。

 そんな部活動が増えて然るべきだと思うのです。


 それでいて全国レベルの活躍をするとなれば生徒の人気は集中するでしょうね。でもそこで何かしら別の困難を設定に入れておけば、「そんな学校あったら受験生殺到でえらいことなるでしょ!」といつ突っ込みも無くて済むなと。

 その困難に、ぬいぐるみを置いたわけです。


 ぬいぐるみの仕事って実際重労働ですから、それを高校生が着るなら、からだを壊さないケアは大事。そうでないと旧来の部活動が生徒の能力を使い潰して来たのと同じことになるからです。

 今回、成長期の生徒への身体的ダメージをいかに減らすかの方へと重きをおいたので、ぬいぐるみと一体になる楽しさとかの描写が弱くなってしまいました。今度はそちらももっと盛り込んだものを書きたいと思います。

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