「だって、私は、マスターの召喚獣ですから!」
人より広い可視光を持つ、ローズマリーの瞳。
お人形のような少女が、眼前にせり立つドラゴンを見上げた。
その瞳が、巨大な生物の値踏みをはじめる。
尾から頭までの体長は二十メートル程。たくましい後ろ足と、太い尾の三点で、大地にしっかりと立っている。頭頂部を地上から垂直に測った高さは、九メートル強ある。さらに無駄に広い翼を広げれば、全長四十メートル以上になると、ローズマリーは予測できた。
帝国魔道士が言う。
「どうだ! 見よ! 奴らを! 私が召喚をしたファフニールの偉大さに、恐れをなして、身動き一つ出来ぬではないか!」
彼の身振り手振りは、とても大げさ。
それに応えたのは、彼の従者だけ……。
寂しい拍手が、パチパチと静かな荒地に響く。
風が、荒地の乾いた砂を巻き上げながら吹き抜けた。
ライデンは、さてどうしたものかという表情を作り、直ぐ横にいるセレナは「あたし、ダメダメ」と彼に手を横に振って合図した。ラクスは、腰を落として突撃の構えをみせる。
ローズマリーは、ライデンへ視線を送る。
「主人、どうしますか?」
ローズマリーは、遠回しにライデンに待機命令の撤回を求めてみた。
「まあ、任せておけ」
ライデンは、強気のまま。
ローズマリーには、彼世界の根源とつながる為の対価として必要な魔力がないと見抜いていた。先ほどの大技は、セレナのそれを、彼が上手に導いた結果。それは、それで、ローズマリーには驚きだったのだが……。
魔道士がファフニールと呼ぶ巨大なドラゴンのような生き物は、その様子を、爬虫類特有の感情がない瞳で見つめている。
人間とは次元の違う存在。
ローズマリーは、決意をかためる。
「私には、あなたを放ってはおけません」
その声色には、力強い抑揚が込められていた。
「ふん! 何を相談している? 私を無視するのか!?」
魔道士は、声をあららげた。
「そういえば、ライデンの小僧、貴様の召喚獣はどこだ」
帝国魔道士は、召喚に失敗していると確信していた。
開戦時、彼は、王国軍の方に召喚術式の展開を感知した。その規模の割に、ここまで、召喚獣らしきものの暴れた形跡が彼には見て取れなかった。
だから、彼は、この場にいたライデンが召喚に失敗したと判断していたのだ。
しかし……
「俺の召喚獣なら……」
ライデンは、手をローズマリーへかざす。
彼女の姿は戦場での苦戦を、帝国魔道士に想像させた。
ゴブリン程度の魔物に、全身が傷だらけ。
大怪我をしており、魔物の体液をあびた姿は、みすぼらしい。
それだけの姿だというのに、汚れたお人形を連想させる。
彼女の容姿には、それだけ目をみはるものがあった。
「クククク……」
帝国魔道士は、笑い声をもらす。
「戦場で夜伽の相手を召喚するとは! まあ、安心しろ、それは、私がいただくとするよ」
一番に睨んだのは、セレナだ。
「違う! 違う! だって見ろよ!」
ライデンは、ローズマリーを見る。
彼の視線の先は、ローズマリーのお淑やかな胸の膨らみに向かっていた。
彼女は「なぜ?」と思い、セレナの胸と比べてみた。不快なノイズが頭を刺激して、大きな瞳が細くなり、ジド目をしてしまう。
「ほらっ、マリーちゃんに謝りなさいよ」
「なぜ、主人が謝るのですか? その必要は、ありません」
ローズマリーの電子脳が、セレナの言葉を全力で否定させた。
そして、ローズマリーは、この場にいる全てに聞こえるように大声で言った。
「だって、私は、主人の召喚獣ですから!」
「ほら、やっぱり、マリーちゃんが怒ってるじゃない」
「ローズマリーです! 主人!」
彼女は、ライデンを目一杯に見つめ「戦闘命令」を出すように促したつもりだった。
「ええい、私を無視するんじゃない!」
帝国魔道士が怒鳴った!!
「では、攻撃を開始します」
「ちょっと待て!」
ライデンは、慌ててローズマリーに駆け寄る。
「何でしょうか?」
「いや、あのなぁ……」
ここにきて、彼女の視線は、さらに鋭い!
眉間にシワを寄せて、可愛らしい顔を台無しにしている。
「何か問題でも?」
「ああ、だって君は怪我しているじゃないか……」
「はい、そうですね」
彼女にとって、この問答が面倒でならない。
「だから、ここは、俺に任せろ!」
「いえ、私がやります」
「いいから、君じゃ無理だ」
「そんな事はありません!」
ローズマリーは、怒りの感情を知った。
「もう一度だけ言います」
彼女の決意はかたい。
「だって、私は、主人の召喚獣ですから……」
その先の彼女の言葉を帝国魔道士が打ち消す。
「ええい、ライデンの小僧を殺せ!」
巨大なドラゴンが動き出す。
一歩前へ、前足でライデンを狙うつもりらしい。
まばたき程の時間で、全てが終わろうとしている。
剣を捨てたローズマリーは、それより疾く動く。
すでに、ドラゴンの懐に彼女の姿はあった。
ドラゴンの腹に、彼女の拳で放った一撃が入る。
無防備な場所への一撃!
哀れなドラゴンは、信じられない速度で後方へ大きく吹き飛んだ。
地響きが凄い!
砂煙が高く舞い上がり、大地を大きくえぐったのが、誰の目にも明らかだった。
ドラゴンは、まだ生きている。
そこで、うめき声を上げながら起き上がりはじめていた。
「面倒ですね……」
ローズマリーのつぶやきは、本心だ。
帝国魔道士は、アゴが外れたかのように、大きく口を開いていた。
「まさか、私のファフニールが……」
ライデンが、彼女に声をかける。
「大丈夫なのか?」
ローズマリーは、振り返らない。
そのかわり、帝国魔道士を見ていた。
「あれは、ファフニールじゃありませんよ」
彼女は、大地を蹴り、長い跳躍でドラゴンへ向かう。
「バカな!? 奴は、我が軍最強の召喚獣なんだぞ!」
ローズマリーが、再び跳躍する。
「違いますよ、アレは……」
空中で一回転して、ドラゴンの背中に着地した。
そこで、力任せに拳を振るう。
大きな穴がドラゴンに空いた。
血の噴水が高く、高く噴き出す。
彼女は、その血を浴びて立っていた。
「コレは、ただの出来損ないです……。最強なんて、あなたの思い込み」
ローズマリーが、ライデンの方へ顔を向けた。
「主人、戦闘を継続しますか?」
「あ……ああ……」
彼は、少し引いていた。
帝国魔道士が、彼女の方へ、杖をかざす。
「ヘルムレイ!」
「やめろぉーー!」
ライデンが、大宝珠の杖を投げ出して、走り出す。
全てが遅い……。
単一標的に対して、最強の部類に入る攻撃魔法。
ヘルムバーストが広域に放つに熱量を、レーザービームのように集約させて威力を増大させている。
一筋の熱線が、ローズマリーを目がけて走る。
彼女とて、それを避けることはかなわない。
両手を抗うように突き出す。
ヘルムレイの熱線は、すぐにローズマリーに命中した。
彼女が出来損ないと断じたドラゴンの死体が、足元で蒸発する!
「このおー」
ライデンが帝国魔道士を突き飛ばす。立派な杖を守るようにして、帝国魔道士は大地を転げる。
「うそだ……、ヘルムレイが……」
砂煙と蒸気の向こうに人影がある。
少女が、そこに立っていた。
ローズマリーは無傷で立っている。
服には焦げ目すらついていない。
彼女は、帝国魔道士の方へ向かっていく。
「この程度の攻撃では、私を倒す事は不可能ですよ」
ローズマリーが、静かに言う。
「次は、どうされます?」
「お前は、何者だ?」
「私は……」
ローズマリーの言葉が止まる!
「主人の召喚獣です」
なぜか、その言葉を帝国魔道士にではなく、ライデンへ向けて告げた。
「それは、主人の剣であり、盾ということ……」
「ひぃいい!!」
帝国魔道士は、立派の杖を捨てて、這うように逃げる。
ローズマリーが、ゆっくりと歩き出した。
「まて、あとは、俺がする……」
ライデンは、追いついてきたラクスから、剣を受け取る。
彼は、帝国魔道士に剣を突き立てた。
「これで、ご理解を頂けましたか? 怪我しているように見えるだけです」
「いいや、怪我は、怪我だ」
彼は、ローズマリーをヒョイと抱き上げた。
「えっ!?」
彼女は、思考を停止させてしまう。全ての並列作業が、行き場を失った情報が回路を熱す。皮膚の温度上昇。特に、顔で、異常値を感知している。耳が赤く、放熱に努めはじめた。
「他人の痛みなんて、俺には、そもそも理解できない」
彼は、彼女を抱えたまま話し続ける。
「痛みに敏感だったり、鈍感だったり……。我慢強い人、そうでない人、それぞれ、感じ方は違うだろ?」
ローズマリーの電子脳は、十分な性能を発揮していない。
ただ、彼の言葉に、うんうんとうなずく。
「だから、今は、休んでくれ」
彼は、言い終え、そして、何か思い出したかのように歩みを止めた。
彼女は、待機命令を無視した叱責だと想像する。廃棄されても構わない覚悟は出来ていた。
「そして、ありがとう。召喚したのが、君で良かった」
ローズマリーは瞳を閉じた。
そうすることで、外皮の修復が早くなる。
帝国と王国の戦いは、その後、しばらくして、王国の勝利で幕を閉じた。
その数日後……。
ライデンに、ローズマリーを伴って、王都へ来いとの命令が下る。