そんなの、放っておけないに決まっている!
軍馬が怯えて、先に進むのを嫌がる。
気が張っていない者は卒倒してしまうだろう。
大抵はそうに違いない。
血の匂いと、ゴブリン特有の腐った卵のような体臭が混じり合う。匂いのせいで、この場に来た三人には、透明な空気が、濁った黄色に見えていた。
その上……。
「これを、全部、あの娘が……」
馬が首を嫌々するものだから、跨っているセレナの栗毛が振動で乱れている。
馬上から見下ろす光景は凄惨極まりない……。
どれもこれも、一撃で絶命したと見てとれる、酷い死体の数々。それらは、その犯人が、達人ではなく、とても不器用で、しかも常識外れの怪力の持ち主だと無言で語っていた。
どんな戦場でも駆け抜ける軍馬が、怯えて先に進むのを嫌がった。死と隣り合わせの戦場を、主人と駆け抜けてきた軍馬が……、騎手に逆らう。
少女を召喚したライデン、彼と同じ師の元で学んだセレナ、そして、二人と幼なじみだが少し歳上、小太りで人の良さそうに見えるラクスの三人は、馬で進むのを諦め、そろって下馬をする。
小太りのラクスが、ゴブリンの肉塊を踏んでしまう。
ビチャという、耳障りな音。
「おい、ライデン、お前は、一体、何を召喚したんだ」
ライデンは、無言。
彼は、ずっと先を、見ていた。
少女の方へと、ゴブリンは群がるようにして襲いかかる。
彼女の姿は、ゴブリンに埋もれてしまって隠れいた。
それでも、そこで戦っていると知ることができる。
誰が見ても、そのことは、明らかだ。
その辺りから、舞い上がるゴブリンの体液、そして、頭や腕、時には胴体といった、彼らの様々な部位が、少女がそこで戦っていると示唆する。
「ラクス兄い、妙だと思わないか?」
ふと、ライデンが言うものたがら、当のラクスは、返答に困ってしまう。彼にとって、それは「何を召喚したんだ」という問いを、言葉をかえて、オウム返しされたように聞こえたからだった。
ラクスは、セレナを見る。この栗毛の女の子は、昔から言葉足らずのライデンの意図を、察するのに長けていた。
「数を優先するゴブリンが、あたしたち、三人を無視して、あの娘、一人に群がるのは、確かに妙ね……」
「そうだな、確かに妙だ」
ラクスは、腕組みをし、首をたてに振る。小太りの彼の、その呑気な仕草は、ライデン、セレナの二人は好きだった。実際、彼は、いつも落ち着いている、剣や体術といった技量は、三人の中で、抜きん出ている。
いつもは、心を落ち着かせる年長者ラクスの仕草も、この時ばかりは、ライデンを苛立たせた。
ゴブリンの群れの中から、少女が、飛び跳ねるようして出てくる。およそ、人の跳躍とは、思えない高さ。
三人にとって、それは、光景としてでなく、たまらず、飛び跳ねたという彼女の心情の訴えに見えてしまった。
聞こえないはずの声が彼らを急かす。
彼らが思うような言葉を、少女が発することはない。
そんなことは、彼ら、ライデン、ラクス、セレナの三人は知らないし、想像も、出来るはずもない。
「とにかく、急ごう」
三人は口々に言うと、そこを目指す。
軍団クラスのゴブリン召喚は、戦場で先陣をきる戦法として流行した時代もあった。それも、かつての話。今では、嫌がらせ程度の召喚術になっている。
ゴブリンは、獰猛で恐れを知らない。同族以外を殺すことにしか興味がない。知能など無いに等しい。だからこそ、自らを召喚した、味方の召喚士ですら襲いかかる。
たがら、ゴブリンの気を引きそうな、大人数が密集した場所のそば、少人数で召喚するのがセオリーだ。
使い勝手が悪い上、ゴブリンの性質を敵に利用されてしまう敗戦が、戦史に刻まれた。こうして、軍団クラスのゴブリン召喚を、大規模な戦争で、使うものがいなくなった。
だが、ライデンたちが相対している帝国は、それを成す。
それを成す術を、帝国は持っているからだ。
跳躍した少女は、自由落下てゴブリンの群れへと、落ちていく。
見上げるゴブリンたちには、恐怖の色はない。恐怖を感じることができるほどの知能を持っていないからだ。
この化け物たちには、殺すことの喜びだけが本能に刻まれている。命を奪うことで得られる高揚、それは、より沢山を奪えば奪うほど、高くなると、本能が彼らの頭の中で、叫んでいる。
少女は、自由落下で、ゴブリンの群れへと、落ちていく。
その様子を、ゴブリンたちは、嬉々として見つめる。
その姿は、まるで腹を空かせた雛鳥が、巣に舞い降りる親鳥に餌をねだり、クチバシを広げながら、ピーピーて泣いているようだ。しかし、その雛鳥に可愛さの欠片などなく、醜さしかない、不快の塊だと違いもある。
それらが、嬉々として、少女を待ちわびる。
美しい銀髪、整った可憐な容姿、無骨なローブでも隠しきれない女性らしいしなやかな身体、そして時折のぞかせる、美しい白い肌。
そこに、同族の数匹は、傷をつけ、赤い血を流せた。
その至福を、化け物たちは知ってしまった。
同時に、少女の立ち回りは尋常ではないとも知ってもいる。
どんなに血まみれになっても、彼女の動きは衰えない。
冷めた表情のまま、同族たちの身体を、圧倒的な力で、胴体から真っ二つに、時には、頭を剣圧で潰し、さらには、細い足を蹴り上げ、同族を木っ端微塵にしたりする。
圧倒的な強さ。
傷ついても衰えを知らぬ身体能力は、無限の命を、化け物たちに連想させ、狂喜させてしまう。
さらに、彼女が、血まみれになればなる程、ゴブリンたちの本能が、その命を奪えば、極上の至福を得られると教えていた。
ゴブリンたちは、嬉々として彼女を待つ。
自由落下。
少女は、着地する時、襲い掛かってくる、全ての攻撃を無視した。
防御の必要はない。
柔肌が隠す合金の装甲より硬い物質は、地上には存在しない。
足元にいたゴブリンは、文字通り踏み潰した。正確には、踏み裂いたと表現すべきか……。とはいえ、綺麗に裂けたわけではない。ぐしゃりという肉塊に変じた結果は、一瞬で起きた過程を、どうこうと表現してみても同じだ。
その周りに密集していたゴブリンたちも、同様の有様。勢いよく硬いものが落ちてきた。だから、触れた場所からミンチになったという具合。
彼女は両手に握る剣を振る。構える動作なく、無造作に振るのだ。それは、彼女にとって技術のいらない、単純作業だった。
剣を振る。そして斬るではなく、勢いで裂いていく。
元々、ゴブリンから奪った剣は、錆びついており切れ味が悪い。それをずっと振っているのだから、斬るという機能は、その刃からは、失われていた。
突然の炎が、少女のそばのゴブリンを焼き払う。
その炎が続く、ゴブリンの密集がまばらになる。
未知の炎の解析に、少女は数秒を要した。
ライデン、ラクス、セレナの三人が、少女に追いついたのだ。
少女と三人は、ゴブリンに取り囲まれる形。
セレナが呪文を唱えると、炎の壁が、彼らを三人とゴブリンたちを隔てるように燃え広がっていった。
ゴブリンたちは恐れを知らない。
当然のように炎に突っ込んで、抜けようとするが、凄まじい火力で蒸発していった。そうこうするうちに、自殺行為に等しいそれは、収まり、苛立ったようにして奇声を上げている。
「よく頑張ったな」
ライデンは、顔を歪ませたなから、
「とにかく……、すまない、手当てをしてやらなくて」
と少女に声を掛けた。
セレナは、炎の壁の維持に必死の様子。
小太りのラクスの背中に、いつもの呑気さは無く、剣を抜いて、次に備えている。
少女は一回だけ、首を傾げた。
「傷は平気です。殲滅の続行に問題は、ありません」
ライデンは、肩を震わせて怒鳴った。
「平気だとう! 痛くないのか!」
「性能の維持の為、人と同じように、痛みを感じます」
少女の表情は、変わらない。
ライデンは、持っていた杖に体重を預けるようにして、自らの顔を両手で覆う。
彼は声を震わせながら、ゆっくりと静かに、そして声量を一杯に込めて、絞り出すようにして言った。
「痛いなら、痛いと言えよ! そんなに、大怪我をしてるじゃないか!」
「理解不能です。怪我も血も偽装です」
少女の指先から流れ出た赤い液体が、地面にポタリと落ちた。
傷だらけの少女。
戦いの中、ゴブリンの肉片と体液を浴びた彼女は、ひどく汚れている。
それでも、お人形のような、可憐な姿を容易に想像出来てしまう。
ライデンは、彼女の瞳をジッと見る。
「この容姿も、敵に攻撃を躊躇させるためです。わたしの行動の邪魔はしないで、放っておくのが合理的です」
召喚して直ぐの時より、少女の言葉は流暢になっていた。
抑揚のない、棒読みには変化はない。
「もう一度聞く、痛みはあるのか」
「性能の維持の為、人と同じように痛みを感じます」
ライデンは、黙ったまま。
少女は、ライデンに背を向けた。
「マスターの言動は、敵の殲滅を妨げています。わたしは人間ではありません。怪我は偽装と理解をして下さい」
「おい」
ライデンは、両手に握り拳を作る。支えを失った杖が地面に倒れた。
「殲滅を継続します。わたしは、人間ではありません。容姿も敵を油断させ、躊躇させる為です。わたしを、放っておくのが、一番、合理的です」
ライデンは、怒りを爆発をさせた。
「人間とか、容姿とか……、関係無いんだよ!」
「理解できません」
「大怪我をしてる人がいる。その人は、痛みを……。いや、感じるとか、感じないとか、容姿とか、人間とか、そんなの関係無いんだ!」
ラクスとセレナが、横目でライデンを見た。
その時の彼は、天を向かって慟哭をしてかのようだった。
「大怪我をしている人がいる……、そんなの、放っておけないに決まってるだろ!」
ライデンは、少女に向かって目一杯に叫んだ!