誕生日
「ねぇ、明日は、何が食べたい?」
他愛のない会話。
日常会話。
人に似せられ、それを超えるように創造された彼女には、理解は容易い……が、何でもない言葉だからこそ、そこに込められた真意を感じえない。
そんなものは、不要だからだ。定められた通り正確に義務を果たす。
感情は不要。
敵を殺せ。
本能ともいえる部分に焼き付けられた言葉。
全ての生命は、生きるために、それを成す。
彼女は、それを成すために創造をされた。
英語のlethal autonomous weapons systemsを略して、ローズ【LAWS】とも呼ばれる人型殺人ロボットは、目覚めの時を研究所のベットの上でジッと待っている。
「今日の天気は、荒れ模様だな」
白衣を着た男は、窓の外を見て言う。
そばにいる女性は、黙って持っていた書類を彼に渡した。
東の果ての島国。
その首都の重心とされる場所のそば、恋ヶ窪。そこにある、無機質なコンクリートの立派な建物が、国立恋ヶ窪研究所だ。
国と超大国が多額の支援をしている研究所。そこで、長い年月をかけ、恋ヶ窪というポワポワとした地名を裏切る、とても物騒な兵器が研究されていた。
まさに、その時。
夏の終わりを告げる、嵐の日。暴風雨が大地を洗う。
重くて厚い黒い雲が空を覆い。昼間というのに夜のように暗い。
恋ヶ窪に、稲光と雷鳴が同時に轟いた。
街は停電。恋ヶ窪研究所も、非常用発電機に不具合があり、明かりが灯ることはなく、暗いまま。
機能を失った信号機。道路からは、車のクラクションが絶え間なく鳴り響く。
研究所の地下。
鉄で作られた硬いベットの上に、少女の裸体が寝かせられている。息はしていない。繋がれた、大小様々なコードの類いは、治療のためにしては、太く無骨にみえる。その上、先ほどの落雷で大電流が流れたためか、蒸気のような白い煙が、部屋に充満していた。
そこを観察するように、厚い防弾ガラスの壁で仕切られた隣りの部屋では、研究員たちが右往左往をしている。そこの責任者らしき人は、受話器を持ちながら、頭を何度も下げていた。
上の階では、備え付けの内線で、地下から連絡を受けた白衣の男が、受話器に向かって怒鳴っている。
「落雷は、ブレーカーでカットされるはずだ」
その後も、幾つか言い、「不具合が無いか直接、調べろ。あ? 心配はいらん。起動なんか、するはずが無い!」と受話器を置いた。
その様子を見ていた、女性は、白衣の男と目が合ってしまい。肩をすぼめるようにして、両手を挙げた。
「何しろ、失敗作ですからね」
「馬鹿を言うな! まだ、未完成なだけだ!」
白衣の男は、デスクに深く座った。女性の方は、舌を出して苦笑いだ。
もう一度、稲光と雷鳴が同時に響く。
研究所の窓という窓、壁ですら揺れた。
誰もが、一瞬、記憶が飛び、我を忘れる瞬間。
地下室、彼女が寝かされていた部屋は、光で満たされた。
その時、彼女の中に、誰かの声が響く。
「我に従い、全てを討ち滅ぼせ」
彼女は、長い眠りから覚めたのだった。
彼女の姿が、消えてしまったことで、研究所が大騒ぎになったのは、そのすぐ後のこと。
そこから、ずっとずっと離れた時と場所。
風景が違う。ビルがない、アスファルトで舗装されてない道。そこに馬車が行き交っている
時代が違う。
湖畔に城。立派な城壁の上を歩く兵士の姿があった。
どの国、どの時代でもない。
もしかしたら違う世界。
そこにも、人々が暮らしていた。
季節は、あの時と同じ。
天候は、嵐ではなく、快晴。にごりなく澄んだ空気。
空は青くとても深い。その先の、星空さえ、真昼というのに透けて見えそうなほど、深く、そして澄んだ青色。
湖畔の城から遠く離れた高原。
草原の草木が、そよ風に、気持ちよさそうに葉を揺らす。
地響きとうめき声。
名も知れぬ花が、汚い素足に踏み潰された。
それは、突然、ここに現れた。
すぐに数が増える。それは、止まることを知らないようだ。
有象無象の化け物たち。
遠目には、腹を空かせた幼子。しかして、その風体は、みすぼらしく、破れた衣服が辛うじてドス黒いかっ色の肌を隠していた。
人の子より長い腕は、筋張っており、その先には、誰も彼もが思い思いの武器を握る。棒であれ、ナイフであれ、剣であれ、その目的は、誰の目にも明らかだ。
彼らの瞳に慈悲の色はない。全身からは、抑えるとこが出来ない残虐性がただ漏れだ。
空気は澄んだまま。空にも雲ひとつない。
ただ化け物たちの様子を、筒の長い単眼鏡で見た将軍は、顔を曇らせた。
老齢の彼は、その顔に刻まれたシワをさらに深くし、握り拳を作る。
「あの若造は、何をもたもたしておる」
彼にとって、ここに陣を張るのは不本意であった。
高台から降りて、先を急ぐ。
「貴様、何をもたもたしておるか!」
将軍の目の前には、巨大な魔方陣が描かれていた。
大きい。
他に類を見ないほど巨大な魔方陣。
遠目には、一つの円を描き、その線を交わるように東西南北に小さな円、其々の中間にさらに小さな円を描いている。
そして、緻密。
さらに寄ってみれば、その線にも様々な術式が込められているのが理解できる。
魔方陣が淡く光る。
その輝きは、発動前、それ以前の準備段階だと、将軍にも理解でき、同時に、それより先に進ませるのは、術者の匙加減次第だとも知っている。
国同士の戦争。
大軍同士がぶつかり合う、その前哨戦で、召喚した化け物同士が戦い合うことは、珍しいことではなかった。
「早くせんか! 帝国は、ゴブリンの大群を召喚しよったぞ」
先ほどの有象無象の化け物はゴブリン。
知性は低いが、残虐性は、それに反比例して高い魔物だ。
「このままでは、兵を無駄に消耗してしまうだけだと知っておろう」
「サティス将軍、慌てなくても大丈夫です」
年若い青年が応対するため、口を開いた。
彼の立ち位置は、魔方陣より一歩後ろ。起動陣とうい紋様が地面に描かれた場所の上だ。その手に握られた杖にはめられた立派な宝石が、太陽の光を反射して、まぶしく輝いた。
「口答えをせず。手を動かせ。ええい、離さんか!」
将軍の歩みを止めるものがいる。
小太りお人好しそうに見える副官が、彼の背中のマントを手で引っ張っていた。
「将軍、発動に巻き込まれます」
副官の言葉通り、起動陣の上に立つ若者を残し、他の術者らしき人々は、離れていくところだ。
「それに、起動には呪文を唱えます。彼には、口を動かすことこそが必要です」
小太りは言う。
将軍は黙って聞く。
数千の兵が注目をしていた。
王国の天才魔道士。
かの、北の大賢者でさえ、認めた若き才能。
王国の精鋭魔道士を率い、彼が召喚術を披露するのだ。
「さて、エイシェントドラゴンを召喚すると豪語した、神童と呼ばれたライデンのお手並み拝見です」
起動陣の上に立つ、魔道士のライデンは、呪文の締めくくりを唱えた。
「我に従い、全てを討ち滅ぼせ!」
杖の宝石がまばゆい光を放つ。
小さい魔方陣から順に光が天に昇っていく。
八つの輝き光の柱が出来あがると、それらは互いを編み込むようにしながら巻いていく。
皆の頭上。
空が、青を失い、真っ白な光で覆われる。
直視できない稲光。
そして、轟音とともに、稲妻が、魔方陣に落ちた。
地響き。
砂煙が舞い上がる。
静寂が支配をした。
そして、それは、姿を現した。