参章 コトリ
宮内省・大膳職の周毅は、敬事房太監の朱恩へ詰め寄った。
「未だに東宮殿御膳房の下働きは集まらぬのか!」
「周様、御許し下さいませ」
朱恩は拝跪して、許しを乞う。
周毅の横には、中務省の中務録である高傑が居、静かに周毅を制しながら、
「心を汲んであげて下さい。例の件が広く伝わっている今、好んで東宮殿の御膳房へ来る者は皆無ですよ」
そう宥めた。
「何を甘い事を! 下級の宦官と女官だ、命じれば済むではないか!」
周毅は、そんな高傑へ喰って掛かる。
「お、御言葉では御座居ますれば………」
怖ず怖ずと、朱恩は口を開いた。
「何だ、口幅ったい奴め!」
周毅に睨まれ、朱恩は恐縮して叩頭する。
「周様、朱恩の意見も聞こうではありませぬか」
「良い、申せ」
高傑にそう云われ、周毅は渋々に許可する。
「恐れながらに申し上げます。東宮殿御膳房は他の御膳房とは異なり、下働きといえども、それ相応の知識と経験を積んだ者のみが配属されますれば、適当な者を就ける訳にもいかず、自ずと有品宦官及び女官が当てられます」
「なる程、それはそうであろうな」
高傑は納得する様に頷いた。
「有品であろうと、下級の者に変わりはなかろう! 高級宦官である己が気にする道理が何処にあるというのだ!?」
苛々と、周毅は返した。
それもその筈で、皇太子の生誕日まで、十日と迫っていたからだ。
「最早、迷っている暇ははい! 即刻人材を集めよ!」
周毅は強く命じる。
「承知致しました」
朱恩は幾度も叩頭した。
多くの官吏がそうである様に、周毅にとって宦官は、例え高級宦官であろうと、宮中の奴婢に過ぎなかった。
そして、朱恩達「太監」と呼ばれる高級宦官側もまた、自らをそう卑下している者の方が多いのだ。
官衙を出た高傑と朱恩は、錦衣衛の尊良昌と遭遇した。
「高様、朱太監」
尊良昌は拱手の礼で挨拶をする。
「良昌か」
高傑も拱手の礼で応え、笑みを見せた。
「尊様」
朱恩は右膝を着き、敬拝する。
身分は確かに尊良昌の方が高いが、年上の朱恩に敬拝されると心苦しく、尊良昌は彼を立たせた。
そして、
「二方揃って、官衙から出て来たという事は、東宮殿御膳房に関しての事でしょうか?」
世間話でもする様な気軽さで、尊良昌は尋ねた。
だが、ふたりは怒る事もなく、
「左様。其方、誰か好い人材に心当たりは無いものか?」
困り果てた様子で、高傑は逆に訊く。
朱恩を見れば、困り果てたのを通り越し、憔悴し切っている様だ。
「そうですね………」
尊良昌は考える。
すると、脳裏に浮かんだのは、先日宮城裏の林で遭った、楚智と夕羽の姿。
そういえば、夕羽と申した女官の口から、「李膳司」という言葉を聞いた。なれば、あの女官は御膳房の女官であろうか。
それに、面会したのは暫時ではあったが、夕羽という女官、逆境にも耐えられそうな人物に思えた。
「………ひとり、思い当たる適任者がおります」
「誰だ?」
「下級の者ではありますが、御膳房の女官、夕羽と申される者です」
「女官? 品は?」
「そこまでは存じませぬが、恐らくは、無品かと」
尊良昌の返答に、高傑は軽く腹を立てた。
「無品の女官を推すのか?」
「はい。ですが、無品ではあるものの、性根のしっかりした女官です」
「尊様………その女官、御膳房の夕羽と、そう申されましたか?」
高傑とは逆に、朱恩は意外に思い、そう聞き返した。
「はい。そうです。太監はその者を存じておられるので?」
「畏れながら。その女官は、先頃落雷に打たれたにも拘らず、負傷もなく、誠に稀有な強運の持ち主だとか」
朱恩の言葉に尊良昌は苦笑をし、高傑は驚きの表情を見せた。
「それは、誠か?」
高傑が、誰となしに訊く。
「誠です。奇しくも、その直後に私は夕羽と遭っております」
尊良昌が答えた。
「なる程、それ故に、良昌は推したのだな」
「いえ、それだけではなく、夕羽の人間性にも触れ、魅力を感じましたので」
「左様で御座居ますか」
朱恩はそう云うものの、今ひとつ納得し兼ねた様子だ。
「一度、面接される事を御勧め致します」
尊良昌は云う。
「その際は、私も同席しよう」
高傑は夕羽に興味を抱いたのか、そう申し出た。
翌日。
朱恩は高傑と共に、李膳司の下を訪れた。
膳司・李景の他に御膳房太監の張逸も居、ふたりの珍客を迎えた。
「まさか、この御膳房にまで朱様が参られるとは、想定外でなりませぬ」
張逸が開口一番にそう云った。
ここは他の御膳房とは異なり、神宮専門の御膳房である。
「実を申せば、錦衣衛の尊様から推薦され、その女官を確認したく参ったのだ」
朱恩が応える。
「錦衣衛の尊」と聞き、李景の顔色がサッと変わった。
「もしや、その女官と申されるのは、夕羽であられますか?」
「おぉ、そうだ。良く分かったな」
朱恩は意外そうに李景を見る。
李景は溜め息を吐き、
「尊様と接点のある女官は、この御膳房では夕羽のみであります故」
そう返す。
「尊様より伺い、存じておる。
それ以前に、夕羽の名は広く知れ渡る程、強運の持ち主だと存じておる」
朱恩はそう云い、ずいっと前のめりとなった。
「して、その夕羽は、今何処に?」
「生憎では御座居まするが、只今あれは薪拾いへ行かせております」
張逸が応える。
「戻りは?」
「夕方になるかと存じます」
「高様、如何なさいますか?」
朱恩は彼を見て、そう尋ねた。
「では、戻り次第、早急に敬事房へ寄越せよ」
高傑は告げた。
その頃、当の夕羽は、裏の林に居た。
「どう? 籠はいっぱいになった?」
少し離れた場所から、一緒に来ている楚智が、そう声を掛ける。
「もちろんだ! 見てみろソチ」
快は得意げに答え、背負籠を楚智の方へ向けて見せた。
云う様に、籠一杯に薪が入っている。
「見せて」
楚智はそう云いながら近寄った。
「どうよどうよ、やれば出来るだろ」
はしゃぐ快とは裏腹に、籠の中を覗いた楚智の顔は険しい。
「夕羽、残念だけど、これは殆ど使えないよ」
「はぁ? 何でだよ!」
楚智の言葉に、快はムッとする。
「杉や檜は着火しやすいけど、火持ちが悪いからね」
楚智はそう云いながら、半分近くの薪を取り出した。
「木の種類は分からないけど、それ以外ならイイんだろ?」
「否、適している楢や櫟もあるけど、新木過ぎる」
そう云って、籠から新たに薪を間引いていく楚智。
見る間に籠の中は、3分の1までに減った。
「ナンだよ! やる気なくすわ!」
快は駄々っ子の様に喚き、その場に座り込む。
「そう腐るなよ」
楚智は呆れ顔。
「腐ってないさ。ただ、火ひとつ使うのに、こんな苦労するなんて、つくづく思い知らされたんだよ」
この世界の日常の不便さを、痛感する快である。
「まったく、何云ってるのさ」
楚智は苦笑した。
「ホント、何云ってんだろうな」
快も苦笑い。
火も水も指一本で自由に使え、暗闇さえ感じた事のない世界から、何の因果でこの世界に来たのか知らないが、既に一月経過しており、最早諦めの境地に快は達していた。
「っし!」
彼は気合を入れて立ち上がった。
「日が暮れる前に引き上げないと、子捕りが出ちゃうよ」
その様子を見て、楚智は真剣な面持ちで云った。
「は? 小鳥? 日が暮れてから、小鳥が出るのか?」
快は訝しむ。
「そうだよ。幾人も行方知れずになっているって、聞いたよ」
楚智のその険しい口調に、快はゾッとした。
昔アニメで観た、おどろおどろしい妖怪をイメージしたのだ。
それでも快は、「怖かないさ」と強がる。
「心強いな」
楚智は再度苦笑した。
ふたりの背負籠が満杯になった頃、既に日は落ちてしまっていた。
夢中で薪拾いをしている時はそうでもなかったが、ふと我に返ると、急に恐怖心に襲われる。
「夕羽、ちゃんと僕の後に付いて来てよ」
籠を背負いながら、楚智が云った。
「頼もしいな」
そう返しながら、快も籠を背負う。
別に揶揄している訳ではない。楚智の年齢を知る快は、その年齢よりも上に彼を感じ見てのその言葉だ。
年誤魔化してんじゃねぇよな。
素直な感情である。
さて、目立つ目印もない林の中、楚智は迷う事もなく、正確に歩みを進めた。
その背を追って、快は行く。
と、その時である。
叢を分けながら進んで来る音が耳に届いた。
「!?」
その異変に逸早く気付いたのは、楚智だ。
「何か来る」
彼は咄嗟に快を背後へやり、何モノかが迫り来る方向へ視線を向けた。
快も異変に気付いた。
「ナンだ?」
「分からない。けど、獣じゃないよ」
声を落として、楚智は返す。
「じゃあ、人間か?」
快は身構えた。
「きっと、子捕りだ」
「コトリってナンだよ!?」
「だから、人攫いだよ!」
苛立ち、楚智は快を睨め付けた。
「あ〜、山賊か」
合点がいき、快は呑気な口調で返した。
それと同時に、人が姿を現した。
そして、木の上からも数人飛び降りて来、あっという間にふたりは、賊達に取り囲まれてしまった。