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野良魂の行き着く先  作者: 冷水房隆
3/5

弐章 水踏房の未利

 吹き抜ける風には、湿気が含まれており、梅雨の時期なのだと改めさせられる。

 窓から眺めるは、夕日でオレンジ色に染まった校庭。

 今日は月に2度程設けられている、休活日である為、全部活は休みだ。なので、常時は部活動に励んでいる、野球部やサッカー部や陸上部、その生徒達の姿のない、静かで淋しいグラウンドだった。

 「………八雲やくもくん」

 声を掛けられ、かいは夢から醒めた思いだ。

 「八雲くん?」

 声の主は、快の横に並んで、彼の顔を覗き込む様にして見、もう一度呼ぶ。

 快はちらりと、その者を見た。

 その者は、隣りのクラスの生徒であり、名を瑞江みずえ茉希まきという。快とは1年の時に同じクラスになってからの仲だ。

 「まだ帰らないの?」

 茉希は訊いた。

 「ナンだかな、この風景を見ていたくてな」

 快は窓枠に肘を着け、頬杖を付きながら、そう返した。

 「あら? 八雲くんって、そんなにロマンチシストだったっけ?」

 茉希は意外そうに彼を見る。

 「ナニよ、知らなかったか」

 快はそう云って、彼女に笑顔を見せた。

 「知らないよ、そこまで八雲くんに興味持ってないもの」

 「ツレないな」

 快は苦笑する。

 彼のその一言に、茉希も笑った。

 「何だか、北方きたかたくんみたい」

 「あぁ、そうな。3年間同クラだと、似て来んのかもな」

 快はそう云うと、伸びをする。

 「帰る?」

 「一緒に帰るか?」

 「イヤよ、変な噂が立つもの。八雲くんはモテるから、イジメられちゃう」

 笑いながら茉希は返す。

 「イジメられたら云えよ、俺が庇ってやるから」

 「ふふ…、女子は、八雲くんが思っている以上に恐いのよ」

 そう云って茉希は、先に教室を出て行った。

 その後ろ姿を見送り、また快は、窓から校庭を見下ろす。

 校庭には、独りの男子生徒。

 どこのクラスの奴だろう?

 彼はふと、そんな事を思った。

 男子生徒は、見られている事に気付いたのか、快の居る窓を見上げた。

 あぁ、ナンだ、ソチじゃん。

 「!」

 男子生徒の正体を知った途端、躰がふわりと宙に浮いた様に、快は感じた………………


 

 「………夕羽ユハ!」

 ナンだ? 俺はユハじゃねぇぞ。

 「夕羽! 起きなさい!!」

 「ッ!」

 快は夢から醒め、飛び起きた。

 広くて薄暗い空間。

 まだ幼さが残る女官達が、慌ただしく動いている。

 「ちょっと夕羽! 早く支度しな! また李膳司様から叱責されるよ!?」

 女官のひとり、同じ御膳房の好翠コウスイが苛々と追い立てる。

 快は、眠い目をこすりながら、蒲団を片付け、帯を整えた。

 快が夕羽の躰に入り、夕羽として生活をする事数日。

 その間に知った事は、宦官女官は共に「奴婢」と称されるが、一般民の云う賤民とは違うという事と、奴婢と称されるが故に、彼らの一人称が「僕」である事。そして、彼らの多くが十歳前後に宮中へ入り、本人の意思とは関係なく、後宮十二司のいずれかへ配属される。

 休日はほぼ、ない。

 その事を知った時、当然快は衝撃を受け、ストライキを起こしてやろうかと、本気で考え、楚智ソチに一笑に付された。

 それを見ても、これが、何の疑いもなく働く彼らの日常であり、不満を抱く事の方が非常識なのだと、痛感せざるを得ない。

 腑に落ちん。

 詰まる所は、そこである。

 と、そこへ罵声が飛んで来て、快は完全に目を醒ました。

 「また、水踏房すいとうぼうだ」

 好翠が顔を顰めながらに云う。

 水踏房とは、水汲みや洗濯を担っている部署で、十二司の内でも一番過酷だとされている。

 罵声はひとりに向けられており、快は苛々とした。

 この過酷な日常の中、いつの時代もストレスの捌け口にされるのは、一番力の弱い者である。

 快は舌打ちにした。

 人間てのは、成長しねぇなぁ。

 しかし、そう考えると、妙に可笑しくなり、親近感さえ抱く。

 「なぁ、水踏房のネェサン方、その辺にしといた方がイイすよ」

 だから快は、水踏房の女官達へ、笑いながらに窘めた。

 その一言、部屋内はざわりとし、この場に居合わせた全員が、快へ視線を向ける。

 同じ御膳房の女官達は、快(夕羽)を心配した。

 水踏房やその他の女官達も、奇異なモノを見る様な眼で、快へ視線を向ける。

 あ、ヤベッ。

 快は心内、口に出してしまった自身の言葉に後悔し、ついでに反省もして、注目する女官達へ微苦笑を向けた。

 「あー、ほらほら、持ち場へ就きましょう!」

 へつらう様に笑いながら、快はそう云って女官達を促した。

 そんな快の後ろ姿を、水踏房内でどやされていた女官、未利ミリは、涙を拭いながら見送っていた。


 就労中。

 御膳房近くの井戸で、快は楚智ソチと共に鍋等の調理器具を洗っていると、不意に声を掛けられた。

 ふたり同時に振り向く。

 声を掛けて来たのは未利であり、オドオドとした表情で快を見ている。

 「何か用?」

 楚智が立ち上がり、怪訝そうに訊いた。

 一方快は、未利の顔を見て軽く驚き、手にしている鍋を思わず落としそうになる。

 その理由、彼女が同級生の瑞江茉希に似ていたからだ。

 「………茉希」

 口の中で呟き、快は頭を振る。

 そんな筈はない。と、考えを打ち消す。

 この国が、世界の何処に在り、何時の時代なのかも知らないのだから、似ているだけで、それ以上も以下もない。

 世界には自分にそっくりな人間が3人居るって云うしな。

 現に、夕羽だって、快の下級生の山村花梨と似ているのだから。

 快も立ち上がり、改めて未利を見た。

 「あ、あの、先刻は、失礼致しました」

 彼女はそう云って、ぺこりと頭を下げる。

 「あ、あー、気にするなよ」

 「どうかしたの?」

 妙な顔付きで楚智は快に訊いた。

 「今朝ちょっとな………」

 「未利!」

 快が説明し掛けた時、彼女を呼ぶ声が飛んで来た。

 その声に未利はビクリと躰を震わせ、快と楚智に頭を下げると、声のした方へ走り去って行った。

 「水踏房の女官か」

 彼女の後ろ姿を見送りながら、楚智はポツリと独り言。

 「………………」

 この日を境に、快は未利を気に掛ける様になった。

 これ迄彼は、瑞江茉希に特別な想いを抱いた事はなかったが、知らない世界で、知らない人達と共同生活をし、僅か数日とはいえ、15歳(夕羽ならば13歳)の年齢で心細くない訳がなかった。

 その様な状況下で、赤の他人とはいえ、見知った顔の人物が目の前に現れれば、それは当然、特別視してしまうだろう。


 その日も快は未利の姿を見付けては声を掛け、一言二言言葉を交わした。

 そんなふたりの様子に気付いた楚智は、ふたりが別れてから、快に歩み寄る。

 「本当に、陽気になったよね」

 「あぁ、良く笑う様になったよね」

 「夕羽もだよ」

 のほほんとする快に苦笑をし、楚智は云う。

 「え? ボク?」

 快はギクリとする。

 「以前なら、絶対自分からは話し掛けなかったのに、今は積極的じゃないか。まぁ、良い傾向だよ」

 「お、おう、そう?」

 歯切れも悪くそう云い、快は微笑した。

 そんな快を楚智は訝しむが、軈て、再度口を開いた。

 「それよりも、皇太子殿下の御誕辰の儀が、間近に迫っているね」

 「ゴタンシン?」

 「御生誕日だよ」

 近頃では、快が聞き返す事にも馴れ、楚智としても、それが日常と化している。

 「それで、未だに、東宮殿の御膳房の宦官と女官が足りないそうだよ」

 「東宮殿」が皇太子の御座おざす所だという事は、快は最近知った。

 「そんなに人手が要るのか?」

 「矢張り、覚えていないのだね」

 「ん? ナニを?」

 「東宮殿の宦官女官が多く、御手打ちになった事だよ」

 声を潜め、楚智は告げる。

 「は? ナンで?」

 流石の快も、それには衝撃を受けた様だ。

 「詳しくは知らないけど、噂だと、徐貴妃殿下が関係しているらしい」

 「ジョキヒ?」

 「楊貴妃」なら知っているが……そう思いながら、快は訊く。

 「徐将軍閣下の姫君で、サン皇子殿下の母君だよ」

 楚智は真剣な面持ちで教えた。

 よく分からないが、とんでもなく偉い人なのだろう事は、快にも伝わった様だ。

 「そんな曰くあり気な所、行きたくないな」

 それ故、快は苦虫を噛み潰した様な顔で、正直な気持ちを口にする。

 「どの道、無品の僕達には、無関係な話だけどね」

 笑いながら楚智はそう返した。

 

 


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