65 祈りの儀式
いち早く転移魔法でブロッサム城に到着したエマとユアンは、エレナの顔を見るなり一刻の猶予もないことに愕然とした。緊急で治癒術が施されてはいたが、顔色はすでになく、握った手も冷たくなっていた。ユアンに言われるまでもなく、アルスとアルムはエレナの魂をこの世に繫ぎ止める呪文を唱えていた。エマは一度エレナから離れて、見守っていたフローラへ向き直った。
「フローラ様、迅速な対応をありがとうございました。こんな夜中まで付き添っていただいて感謝のしようがございません。」
「何を言うの、当たり前のことよ。私の大切な姪なのよ。それにクロエを助けてくれたことに国を代表して感謝を申し上げるわ。」
「そんな、エレナが役目を果たせてよかったですわ。逆に妹のように可愛がっているクロエが深手をおったとなれば、エレナは後悔で生きていられませんから。それはそれとして、フローラ様にお願いがあります。」
「遠慮なく言ってちょうだい。」
「私、光の泉で祈りを捧げたいと思います。馬車と侍女を数人お借りできませんでしょうか?」
「もちろんよ。警護も手配できるわよ。」
「いえ、あまり力の象徴になる男性を引き連れて行くと、水の妖精が怖がりますので、ユアンのみ連れて参ります。あと、神への捧げ物として、ブロッサムが誇る花々をカゴ一杯いただけると助かります。」
「お安い御用だわ。すぐに準備させましょう。」
その言葉を合図に侍女たちが動き出す。
話を終えたエマは再度エレナの手を握り、額にそっとキスを落とした。そこから柔らかい光がエレナの全身を覆っていくようだった。
「アルス、アルム、魂が離れるのを防いでくれてありがとう。今、エレナと私を水の加護で繋げたわ。光の泉へ行って祈りを捧げるから、エレナの体に加護が流れ出すと思うの。そしたら直接魂へ呼びかけてくれないかしら?」
エマによって魂の乖離が起こらないとわかった二人は、呪文をやめて大きく息をついた。
「エマ様、お任せください。エレナ様の魂はまだ生きたがっているわ。すぐに戻ってきますよ。」
「そうさね。エレナ様はこんなことで死んだりせんよ。エマ様、命にかえてもなんて思わんでくださいよ。クロエ様を助けて気分良く目覚めたら、母親が身代わりになっていたなんて、悲劇というより地獄絵図さね。皆で王女を守った勇者にしてあげましょうや。」
「ええ、そうね。間違った道へ進む所だったわ。エレナが目覚めたら私が抱きしめてあげなきゃね。」
光の泉への出発は夜明けと決まった。出発の準備が進む中、エマがエレナの部屋へ呼ばれた。
「一瞬、意識が戻られました。」
いつものゆったりとした雰囲気ではなく、焦るように部屋へ急ぎエレナの手を握る。
「エレナ、エレナ聞こえていますね?今は何も心配せずに眠りなさい。今から母様が泉に祈りを捧げてきます。あなたは自分の回復にだけ意識を向けなさい。あなたの無事を心待ちにしている人がいるでしょ?最愛の人を置いていってはだめよ。その人を思い浮かべていなさい。目が覚めたら必ず会えるから。」
エレナの目尻から水滴が落ちる。エマはそれをそっと拭って、もう一度額にキスしてから出立した。エレナはまた深く眠りについた。
エマはブロッサム王国で光の泉に立ち寄るのは初めてだ。国が違えば泉の見え方も違うのだと初めて知ることができた。泉は今日もキラキラと輝き、澄んだ空気が辺り一面を包んでいる。
「さて、始めましょうね。」
エマはブロッサム城で祈り用の正装に着替えていた。光沢のある真っ白なシャンタン生地のドレスは一切の飾りや刺繍がなく、地肌を包み隠すようなデザインとなっている。泉の縁に膝をつき、ブロッサムの美しい花々を水面に流していく。花たちは水面でダンスを踊るように揺れ動いている。すると泉から水の妖精たちが顔を出して、揺れる花の上に座ってキャッキャと遊び始めた。エマはその様子を微笑ましく思いながら、前屈みになって手のひらを泉へ浸す。その手に女神の能力を込めて、祈りを捧げる。
「光の精霊を抱きし泉よ、愛しき者の光が消えようとしています。どうか数刻の光をお貸しください。その代わりに私の力をお使いください。」
泉の底がぼんやりと光り、その光がエマの手に吸い取られ、エマの白いドレスは金色に輝き、それがゆっくりとエマの体内からエレナの体内へ流されていく。一分ほど経つとエマはエレナの体内に十分な光が満たされたのを感じた。
「愛しき者へしばしの安息をお与えくださり、感謝いたします。」
そしてエマは泉から手を引き抜き、残りの花をまた泉へ流し入れた。水の妖精たちはエマのそばで飛び交い、光の粒をエマに振り掛け祝福を与えて、光の泉へ消えて行った。フッと脱力してよろけるエマをすかさずユアンが支えた。
「大丈夫でございますか?」
「ええ、久しぶりに泉と対話したものだから、だいぶ力を吸い取られてしまったわ。」
「すっかり体が冷えてらっしゃる。そこの方、毛布をお持ちしてください。」
そばに控えていた侍女たちがすぐに暖かい毛布でエマを包み込む。
「ブロッサム王国の妖精さんたちは、社交的でおしゃべりな子ばっかりだったわね。妖精さんたちがあんなに私の周りを飛び回ることってあまりないから、嬉しくってここを離れるのが少し寂しいわ。」
「そうおっしゃらず、早くエレナ様の元へお戻りくださいな。」
ユアンが苦笑しながらエマを促し、馬車へ乗せてエレナの待つ城へ急いで戻る。同乗した侍女たちがせっせとエマの世話を焼き、すっかり体も温まったエマは疲れを癒すように馬車の窓に頭をつけて寝てしまった。城へ到着すると、眠たい頭を振ってエレナの寝室へ向かう。
「おお、エマ様、ご無事でなりよりです。祈りは届きましたな。」
「今しがた、エレナ様の顔色が良くなり、山を越えたと思いますよ。魂も深い眠りにつきました。あとは、エレナ様の体力が戻り、自分の意思で魂の眠りを解くだけですね。」
「そう、よかったわ。とりあえず、命の危険はなくなったわね。ユアン、戻って早々で悪いのだけど、このことをフォレストのみんなに知らせに行ってくれないかしら?」
「お安い御用で。」
「フォレストへ戻ったついでと言ってはなんだけど、お義父様に内緒でリュカを連れてこれないかしら?」
「おっと、そいつは大仕事だ。もちろん超特急で戻って来ますね!」
「ありがとう。エレナはお寝坊さんなうえに寝起きが悪いから、リュカが叩き起こした方がいいかなと思ってね。」
エマのいたずらっ子のような笑顔で、部屋の空気が春のように和らいだ。ソフィアの人たらしはエマから受け継いだものだろう。昨晩から寝ていないエマと、エレナにつきっきりだったアルスとアルムは、来客用の部屋で休むことになった。ユアンは早速、転移魔法の施されたドアからフォレスト王国へ戻って行った。急いで戻ってくるため、帰りはこのドアを使えない。リュカもいるので馬を走らせることになるだろう。ユアンはちょうどいい機会だから、危険を伴う抜け道をリュカにたくさん教えてやろうとワクワクしていた。