3つの事件。
12月23日。
キッチンカー店舗「海道」はシーサイド公園の一角を本拠地とする人気料理店だ。各種イベントのために出張する事も多い人気店は今日も繁盛している。
店を切り盛りするのは、看板店長の皆方 美幸。男性用エプロンをまとうショートカットの女性は、その外見だけでも人気を博していた。
「いらっしゃいませ!・・・あら」
「お疲れ様」
しかしその客はお客様ではなかった。特徴のないのが特徴。そう言いたげな平凡なサラリーマン。美幸が最も見慣れた人間。
「どうしたの幸造さん」
「急な出張でね。日本を離れる前に美幸さんのサンドイッチを食べていこうと思って」
店長、皆方美幸がキッチンカーから見下ろしていたのは、夫、皆方 幸造であった。夫は忙しい仕事をしているらしく、海外出張がポンポン訪れる。
「まあ!お荷物のお手伝いもせずにごめんなさいね」
言いつつ、美幸は幸造の趣味のミックスサンドを作り始めていた。
「大丈夫だよ。ぼくもこんな仕事に就いているから慣れたものさ。それより美幸さん」
「はい?」
「実は今度の出張は長引くかも知れないんだ。現地がトラブっちゃってて、解決するまで帰れないかも・・・」
「まあまあ!」
出来上がった特製サンドセットを手渡しながら、美幸は驚いたような声をあげた。
今年のクリスマスは店を休む。そう決めていたのに。
「頑張ってすぐに終わらせるつもりだけど・・・」
サンドイッチの袋を受け取りながら、幸造は言葉を続けられなかった。待っていてとも待たないでとも言えなかった。
「無事に帰ってきて。今までと同じように」
何も言えなかった幸造を、美幸の言葉は柔らかく包んでくれた。
「うん。お土産も待っててね」
幸造は手を振り、待たせていたタクシーに乗り込んだ。
幸造を見送った美幸は、もう次のお客さんに対応していた。
「オールザッツサンド、はい、お待たせしましたー!」
タクシーはシーサイド公園を出てすぐの降海埠頭に向かっていた。その間、車中では幸造は横に座っていたもう一人の男と会話をしていた。
「大きく分けて3つの事件が発生している。一つはアメリカの原潜奪取。次がロンドンでのテロ予告。最後に未確認の動物工場調査。全て君の裁量に任せたい。エージェントM」
「映画みたいな呼び方をするな・・・。ぼくの肩書きはサービスマンだ」
相手の男は見事な銀髪をオールバックに固め、一切隙のないスーツ姿。見た目だけなら超エリートに見える。なぜかネクタイをマフラーみたいに巻いているが。
「エージェントM。ぼくらは超国家公務員だ。自覚したまえ」
そういう男の首から下げている名札には、しっかり山形 十三郎と書かれている。役職はデータ班で、エージェントなる文言は影も形もない。
ついでに言えば運転手の名札にも後藤 頼太とある。肩書きは国際特殊運転手。外交官ではない。
「まずは奪取された原潜を奪い返す。囮として米軍が艦隊を出しているが、気にしなくて良い」
囮じゃなくて本命だろ、とツッコむ常識人はここには居なかった。
「奪われたのは新型潜水艦マーズ。核ミサイルを積載した動く火薬庫だ。これ一隻でアメリカ全土を灰に出来る」
「乗組員は?」
「連絡がない。交渉に使われるためにいくらかは生きているだろうが」
タクシーは埠頭の倉庫に迫った。すると倉庫の扉が自動的に開き、タクシーは止まらずそのまま倉庫に進入した。
「単純に沈没したのでは?新型なんだろ」
「アメリカ本土からの連絡は到達しているらしい」
「ふむ」
ザバア
話しているうちに車は倉庫の中央部に達した。中央部はタクシーが乗った瞬間に下降、海中への進路を開放した。
海中に入ったタクシーは後部トランクルームが変形、スクリューシステムが起動した。左右のドアは外部装甲が跳ね上がり、90度変形。水中進路変更翼となり、「タクシー」は海中をまっすぐに進んで行く。
「反乱か」
「かも」
米軍に限らず、潜水艦を外部から攻撃するのは不可能に近い。あり得るとしたら買収からの内乱。
「どちらにせよ。沈めて良いんだよな」
「ああ」
人命の価値はこの際、最下級。というより存在しない。核兵器を積んだ船がコントロールを失った。この時点でマーズは人類の敵になっている。
ウウウン・・・・
海中に進行して10分。タクシーは「港」に着いた。
超国家治安維持組織BOAの最新潜水艦「ヤドクガエル」である。
「エージェントM。おかえり」
「・・・ただいま、クーリー」
造形、顔立ちは女のような、一台の水陸両用車を下部から収納したヤドクガエルの艦長、クーリー・クーラーは幸造の旧友である。もちろん潜水艦にエージェント呼びの風習はない。
司令部に居るはずのクーリーが格納庫に来ている。事態はそれほどに切迫していた。
「2時間後に接敵する。攻撃は本船のアクアウィタエで行う」
「?沈めないのか」
アクアウィタエは海中特殊攻撃。海水を超振動させた上で潜水艦位置に波紋を集中させる、超船酔い発生攻撃。人は殺せるが、船を沈めるには弱い。
「奪って、「スズメバチ」の予備にするんだ」
「・・なるほど」
スズメバチはマーズと同じ、攻撃用潜水艦。核兵器こそ搭載していないが、百発超の戦術ミサイルを積み込んだ動く要塞。その弾薬の補充に当てるのだろう。
「エージェント。用意が出来た」
「ああ」
先に武器庫に行っていた山形がエージェント用の特殊装備を持ってきてくれた。
カートで運ばれきたのは、ダイビングスーツに似た防御服にさらに装備を付加させた重装備。全重量120キロであり、着用可能な人類は限られているが、使いこなせれば敵はない。超人類になるための衣服だ。
「作戦時間は5分。5分で艦内を制圧してくれ」
「1時間にしろ」
舐めた事を言うクーリーに舐めた返事を返しながら、素っ裸になった幸造は極薄のボディスーツを着用、その上に分厚いボディアーマーをセット。それから山形が背部装置を装着してくれた。ぱっと見は全身タイツの変態だが、厚みが違う。
「いつも通り、あらゆる行為が免責される。何をしても良いが、出来れば核ミサイルは無傷で入手してもらいたい。それからテロリスト及び米兵も人体実験の材料にしたいので、無駄に殺さず生け捕りにしてくれ」
「本当にいつもどーりだな」
エージェントには殺傷行為を含む全ての自由行動が認められているが、それは注文が無い事を意味しない。同じくエージェント資格を持ったクーリーや山形に言われたなら、無視も出来ない。結局、この世に自由な場所はあまりない。
「では私は司令室に戻る。10分後、アクアウィタエを発射。そして海中が落ち着く前に下部ハッチを開放する。エージェント。いつも通りに危険な任務だが、君なら出来ると信じている」
「了解。ぼくも信じてるよ」
目と目で敬礼をし合うとクーリーは去っていった。逃げ場のない機関音の響く格納庫では、後藤運転手が黙々とタクシーを整備してくれている。
「エージェント。いつも通りではない可能性がある」
「は?」
特殊スーツに着替え終わった幸造だが、山形の不穏な言葉に口に運ぼうとしていたコーヒーを止めた。クーリーの入れてくれたコーヒーはなぜか美味い。
「今回の3件。動いているのは君だけだ」
「それが?」
自慢ではないが、幸造は10件ほどの任務を連続成功させた記録がある。全てを任務に捧げていた時期だ。
「原潜の一隻程度なら君に任せておけば安心だ。だが複数同時発生事件に君一人は、考えるまでもなくおかしい」
「そうなのか」
知らなかった。先述した通り幸造は単独で連続して請け負っている。その幸造の常識からすると、今回のようなケースは珍しいものではなかった。
「そうなんだよ」
ちなみに10件連続の事例で本部と幸造のつなぎ役をやっていたのは、山形である。
「クーリーもグルだとは言わないけれど、本部に操られている可能性は高い」
「考えすぎでは?」
ヤドクガエルは高速移動船であり、一切の攻撃能力を持たない運搬役に過ぎない。アクアウィタエ等の特殊能力はともかく、戦略には関わり合いのない存在のはず。
「エージェント。人形遣いの操り糸は、クーリーを通して君につなげているのだ」
「・・・で?本部の誰を消せば良い?」
幸造の話は早かった。
「さっぱり分からない」
バカみたいな間抜け面で山形はそう言った。お手上げのポーズも完璧だった。
「ならぼくが戻るまでに決めておけ」
ウィィィン
機械音が潜水艦内に響く。アクアウィタエが発射されようとしている。
幸造は確信もなしに山形が適当な事を喋ると思っていない。不穏分子の決定打が見付けられないのだろう。
ならば全員消せば良いだけだ。山形ともあろう者が何を迷っている。
「総員衝撃体勢を取れ。アクアウィタエ発射」
艦内放送が流れ、そして衝撃が発生した。
ゴ オ オ オ
強い横揺れ、それが終わると1メートルほどジャンプしたかのような縦揺れ。格納庫内で全ての部品、工具が固定収納されているのはこのためだ。
「こっちが攻撃を受けてるような威力だな」
「向こうはもっとひどい。揺れのみで何人かは死んだだろうな」
潜水艦とは金属の塊。それに身体を強打して、耐えられるものではない。言わば船上の地震だ。
ちなみに幸造は自重があまりにも重いので、適当に手すりに掴まるだけでこらえられる。そして山形は幸造にしがみついてやり過ごした。さっきの冷静なセリフもコアラみたいな格好で発せられたものだ。
キイイイイン
今度は下部ハッチに避難警報が発令された。ハッチが展開されるという意味だ。タクシーは後藤によってすでに固定されて、その後藤もこちらに手を振りながら艦内に移動した。
「エージェント。本部は全て敵だ」
「何?」
言い終えた山形は振り返らず後藤の後を追った。
2秒間を思考に使った幸造は彼を問いただせなかった。
ボオッ
ぼうっとしたまま作戦は始まった。幸造は水深200メートルの海中に飛び出した。