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学園ミステリ〜桐木純架  作者: よなぷー
白鷺トロフィーの行方
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0104能面の男事件02☆

「まだ銃声と決まったわけじゃない。何で俺がただの破裂音に、尻尾(しっぽ)を巻いて逃げ出さなきゃならないんだ」


「大事な御身(おんみ)ですから」


 結城は(かたく)なだ。


「あるいは『能面の男』が動き出したのかも知れません。ここは3階の角部屋、追い詰められたら逃げ場を失います。英二様の身に何かあれば私が処罰されます。どうか私めと共に黒服の車にお乗りください。それも早急に」


「やれやれ、仕方ないか」


 英二は不承不承(ふしょうぶしょう)うなずいた。苛立ちも(わず)かに覗く。


 俺たちは部室を出ると、結城の先導のもと、廊下を進み階段を下りた。結城は通路の安全を確認し、同時にその体で主をかばいながら、時間をかけて校舎の外に出た。


「朱雀さんは狙われてはいません。どうぞ部室にお戻りください」


 俺は笑う膝を叩いて笑顔を作った。


「そうはいくかよ。英二が狙われてるってのに、一人のこのこ帰るわけにはいかねえし」


「そうですか、仕方ありません」


 校門脇に高級そうな黒塗りのベンツが停まっている。俺たちはその車内へ身を隠すように乗り込んだ。助手席に俺、後ろに英二と結城といった配置だ。運転席の黒服は、俺らの乗車を確かめると、音も立てずに車を発進させた。俺は慌ててシートベルトを締める。


 英二が黒服に傲然(ごうぜん)と質問した。


「お前は初めて見るな。名は?」


 黒服は――30代半ばといったところか――低い丁重な声で答える。


漆原(うるしばら)と申します。英二様の御身を運ぶ栄に初めて浴します。以後お見知りおきを」


 何千万円もするような高級な車なのだろう。かなりのスピードなのに振動が少なく、乗り心地は天界の絨毯(じゅうたん)のようだった。英二がスモークで遮られた窓を見つめる。


「どこへ行く気だ?」


 答えたのは結城だった。


「落ち着いてください。まずは安全な場所へ向かいます。『能面の男』が相手であることを念頭に置いてください」


 俺は車が坂道を登り、人気のない森林へ向かっていることに気がついた。山の方に移動しているのか。


「まあ安全と言えば安全かな……」


 それからどれぐらい走っただろうか。


 結城が深々と溜め息をついた。分厚い氷が割れた瞬間のような、豹変(ひょうへん)の気配。


「英二様。お話したいことがございます」


 低い、氷点下の声だ。彼女のこんな冷徹な口調は初めてだった。


「何だ」


 結城の変貌に気づいた英二が短く返す。一変した空気を掴み損ねていた。


「英二様……」


 結城は再び、ぞっとするような声音で呼んだ。


「私たち菅野家は、三代に渡って三宮家に仕えてきました」


 俺は助手席から背後を振り返った。結城はこちらにまるで注意を払わず、氷塊のような視線で主を突き刺している。


「何だ、(やぶ)から棒に。それがどうした?」


 英二は動じることなく返した。対する結城の声が車内に反響する。


「祖母も母も、もちろん私も、誠心誠意三宮家の当主様やご家族に奉仕してまいりました。晴れの日も、雨の日も、自分の体調が悪かろうとも、誠心誠意、尽くしてまいりました。しかしそれは屈辱の歴史。私たち菅野家は三宮家の下僕として、常にこうべを垂れ、卑屈に体を折り、奴隷として追従してきたのです」


 英二は目をすがめた。


「話が見えないな。それが何だ。俺たちと菅野家の主従関係はごく自然なものだろう。そうでなければ40年以上も続かない」


「その尊大な態度が、菅野家を不幸に追い落としてきたのです」


 結城は足元の鞄を開き、その中に手を突っ込んだ。


「英二様。いや、三宮英二」


 結城が取り出したものは、一丁の拳銃だった。黒光りする悪魔の凶器。その銃口をご主人様であるはずの英二の頭部に突きつけた。俺はあっと叫んだ。


「す、菅野さん?」


「あなたは黙っていなさい」


 今にも引き金を引きそうで、俺は慌てて押し黙った。


 英二は不機嫌そうに彼女を睨みつける。突然のことに俺同様面食らったようだが、顔には出さない。


「ベレッタM92Fか。何の真似だ」


 結城は冷酷に突き放した。


「もう主と従者の関係は、今日限りで終わりです。三宮英二、あなたは私をずっとメイドとして扱ってきましたね。私も憤怒を押し殺し、マグマを胸底深く沈め、今までずっと耐えてきました。しかしそれもこれまで。今日、私は『能面の男』――熊谷(くまがい)様と手筈した通り、あなたを殺害します」


 殺害、という一言には怨念らしきものがこもっていた。それに熊谷。それが『能面の男』の名前だというのか。


 いやいや、それよりも何だよこの状況。


「おいおい、何を言ってるんだ菅野さん。らしくないぜ。だって、だってさあ」


 俺は感情のまま思いのたけをぶちまけた。あの、あのクールで知的な結城が、完全に英二の従者だった彼女が、今その主人の命に手をかけようとしている。何でだよ……!


「今まで俺たち、仲良くやってきたじゃないか。菅野さんは英二のメイドとして、常に全力で英二を守ってきたじゃないか。俺も英二も知ってるぜ。英二を馬鹿にされると自分のことのように怒り、俺に張り手を食らわせたこともあったじゃないか。英二にほのかな恋心を抱いて、英二が辰野さんに近づくと露骨に不満顔を作っていたじゃないか」


 駄目だ、感情が制御できない。今の現実と過去の思い出との整合性が取れないで、ただ溢れる言葉を垂れ流すしかできない。


「皆でプールや海に遊びにいったじゃないか。学園祭じゃJKビジネスとかこき下ろされながら、一緒にリラクゼーションスペースを催したじゃないか。何で、何でこうなるんだよ。こうなっちまったんだよ」


 英二が滔々(とうとう)と語る俺を鋭く制した。


「黙れ、楼路。結城は本気だ」


 俺は無視して叫ぶように頼んだ。


「思い直せ、菅野さん。今ならまだ間に合う」


 結城は歯軋りした。だが拳銃を握り締める手は一向緩まない。


「お黙りなさい、朱雀さん。確かに私はメイドとして三宮英二にお仕えしてきました。それこそ全身全霊を込めて。でも、熊谷様に祖母と母の悲惨な死に様を知らされたとき、そんな自分が恥ずかしく、いたたまれなくなったのです」


 英二の両目は燃えるようだ。二人の視線が火花を散らす。


「『能面の男』熊谷に何を言われたんだ?」


「二週間前のことでした」




 菅野結城の人生は、常に三宮英二と共にあった。


 神殿のような巨大な邸宅を初めて視界に収めたのは、まだ幼稚園にも通っていない頃だった。それでも結城はそのときの情景をまざまざと記憶している。まだ元気だった母の幸恵(ゆきえ)、祖母の久美(くみ)に左右の手を繋がれて訪問すると、同年齢の男の子に対面させられた。子供でも分かる上等な身なりだ。


 綺麗だな、結城はそう思った。素朴な感嘆が口をついて出る。しかしその褒め言葉に、男の子はにこりともせず邪険にののしった。


「『綺麗だな』じゃない、『格好いい』だ」


 それが英二との出会いだった。彼の父親らしき偉丈夫(いじょうぶ)が苦笑する。つられるように、母や祖母、その他の召使いたちが笑い声を上げた。


 祖母がしゃがみ込んで結城の顔を覗き込む。


「いいかい結城、お前はこの男の子――英二様に仕えるんですよ」


 その台詞には確固たる意志と岩のような重量感があった。結城は反射的にうなずいた――


 それから英二と結城の主従関係が始まった。


 まずは飲食の用意や衣服の手配などから勉強していった。英二は当時からぶっきらぼうで、結城との特殊な立ち位置をすんなり受け入れた。ただ何でも結城任せにするのではなく、自分で出来ることは自分ですることを好んだ。


 あるとき、結城は英二と共に雨上がりの庭を散歩していた。その際、濡れた地面に誤って転んでしまった。お仕着せのメイド服が泥まみれになる。結城はどうしていいか分からず、ただメイド長に怒られることを想像して泣き出してしまった。


 すると英二は、何を思ったか――その場に自分も寝転がったのだ。当然英二の服も泥だらけとなった。英二は顔に土を付着させながら、珍しく楽しそうに笑ってみせた。


「俺はお前と一緒に相撲をとっていたんだ。いいな、メイド長にはそう言えよ」


 結城は涙をこぼしながら、あっけに取られて英二を見つめた。そのときの彼の笑顔を、結城は後々になっても思い出すことが出来る。もちろん二人とも怒られたのだけれど、結城は自分のご主人様である英二に、初めて親近感を抱いたのだった。


 年齢を重ねて小学生後半となった頃、結城は英二の緻密(ちみつ)な頭脳に舌を巻くようになった。何しろ学年トップの成績を連発。伸びない背丈とは裏腹に、テストの得点は急速に伸張(しんちょう)したのだ。


 その英二の専属メイドとして、まさか遅れを取るわけにはいかない。せめて同格になろうと、結城も必死に勉強に励んだ。運よく彼女にもその方面の才能があったらしく、英二の知的な質問にもどうにか答えられるようになった。英二は目覚(めざま)しい結果を弾き出し続け、結城もそれに寄り添うように成績上位に君臨した。


 結城と英二は更に成長し、中学生になった。小学校同様、同じ学年、同じクラスである。前者はともかく、後者は三宮造船が陰で影響力を発揮したのだろう。真新しい制服に身を包み、二人はより一層勉学に励んだ。英二は友達を作るのが苦手らしく、もっぱら小遣い――普通の中学生の何百倍もある――をばらまいて、どうにか関係を作っていった。一方結城はしっかり者として人気になり、英二のメイドとしての本分を忘れない範囲で、多くの友人たちと付き合っていった。

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