0103能面の男事件01☆
(三)能面の男事件
「『能面の男』が現れた?」
俺は――朱雀楼路は裏返った声を出した。ここは旧校舎3階の、『探偵部』部室だ。一日の授業を終えた渋山台高校生徒6名と、地縛霊1名が、持ち寄った話に花を咲かせていた。外は10月後半に特有の、冷え冷えとする快晴だ。
三宮英二が深々と椅子に座りながら、動揺を毛ほども見せずに応じる。
「ああ。今まで心配をかけるのもどうかと、一応伏せてきたがな。そうだろ、結城」
英二は小学生のような背丈と優れた器量の持ち主で、三宮造船の跡取りでもある。つまり大金持ちのボンボンだ。美少年のわりに、きつい性格で周囲を圧倒するのが常だった。
情報を持ち込んできたのは、その英二のメイドをもって任ずるクラスメイト、菅野結城。幼女の頃からご主人様である英二の身の回りの世話をし、護衛を勤めている彼女である。俺たち『探偵部』は全員高校一年生だが、彼女はその中でもずば抜けて成熟した四肢を擁していた。
「はい。『バーベキュー事件』で逮捕された犯人たちの供述の下、『能面の男』の似顔絵が作成されたことはご承知かと存じます。その似顔絵そのままの中年男性が、三日前、この学校の近所を歩いていたとの情報があったのです」
俺は腕を組んでうなった。この夏に起きて、ボウガンで命を狙われた一件が脳裏にまざまざと再生される。
「確かそいつ、あの事件で英二の暗殺を企てた黒幕で、失敗するとすぐ行方をくらましたんだっけ」
「はい、警察の捜査能力でも捜し当てることはできませんでした。今回も、目撃情報から黒服たちが捜索しているのですが、いまだ捕まえるにはいたっていません」
辰野日向が震え上がった。新聞部と掛け持ちの彼女は、黒縁眼鏡にショートカットで、いつも紅色のデジタルカメラをぶらさげている。黒い髪が微妙に揺れた。
「また三宮さんを狙いに来たんでしょうか? 怖いです」
英二は急に機嫌よくなり、だらしなく微笑んだ。
「心配してくれるのか、辰野。ありがとな」
俺は浮かびそうになった笑みを押し殺した。英二は日向に惚れているのだ。彼女に気をかけてもらって満更でもないのだろう。日向の方はそうとは気づいていないが……
飯田奈緒は不安そうに両肘を抱いた。戦慄を押し殺す。
「まさかここまで来たりしないわよね」
奈緒は少年のような短い黒髪で、ウサギのような大きい茶色の瞳に、小振りな鼻、魅惑的な唇の美少女だ。丸まった耳が愛嬌ある。俺が片想いしている相手でもあった。
「俺が守るから安心しろよ、飯田さん」
そんな格好つけた台詞を吐いてみる。奈緒は感謝を表さず噴き出した。
「そんなに強くもないくせに、一人前みたいなこと言っちゃって」
思いがけず笑われてしまったが、悪意は感じられない。俺も苦笑して茶を濁す。
幽霊の白石まどかが後頭部で両手を組んだ。
「何や、面白そうな話やな。ああ、あたしも外をほっつき歩きたいわ」
茶色のポニーテールが真っ赤でつぶらな瞳とよく調和している。『探偵部』一同は最初こそ彼女の存在に恐れをなしていたが、今ではすっかり慣れてしまった。地縛霊にもかかわらず、一切悲観的な言葉を口にしなかったり、積極的に話しかけてきたりするせいで、いつしか普通の生徒より親しみを覚えるようになったのだ。
そして白鷺祭での大活躍。もはやまどかを毛嫌いする者は一人もいなかった。
「なあ純架、君はどうなん? その『能面の男』について……」
まどかが話を振ったのは、誰あろう、この『探偵部』部長である人物。桐木純架だった。
「さてね。まあ、特に怖いとは思わないかな。人間は持って生まれた運命からは逃れられない生き物だからね。能面だかラーメンだか知らないが、未来はすでに定まっているんだよ。じたばたしてもしょうがない」
そう言い終えて前髪をもてあそぶ。
純架は絶世の美貌の持ち主だ。男でありながらほとんど少女、それも飛び切りの美少女のような外見である。誰もがうらやむ甘い顔貌で、それに惹かれた学校中の女生徒たちから写真撮影をせがまれるほどだ。白い肌、耳が隠れる豊富な黒髪も、その眉目を引き立たせている。
しかし、彼に恋人ができることはない。なぜなら純架は、容姿の完璧さを損ねるぐらいの奇行癖の持ち主だからだ。
俺は首を傾げて尋ねた。
「何だ純架、お前らしくない。運命によって将来が決まるなんて寝言、どうしてほざいたんだ?」
純架は足を組んだ。どうせお前は無知だろうから教えてやる、みたいな口調で話した。
「いや、昨日映画の『ターミネーター』第一作を観てさ。あのシュワルツネッガーが冷酷なロボット役で一世を風靡した作品なんだけど」
あまりの古さ・今更感に、俺はげんなりした。そうと気づかず純架はまくし立てる。
「主人公の女性であるサラ・コナーの数奇な運命を目の当たりにして、つくづく思ったよ。運命は気まぐれで人をもてあそぶってね」
フィクションだけどな。
「僕は運命論者じゃないけど、いやあ、そんなこともあるのかと感心させられたよ。詳しいことはネタバレになっちゃうから敢えて控えるけどね」
純架は気は利かせたぞとばかりに、片目をつむってみせた。知ってるよ、観たことあるし。俺はこめかみを押さえて頭痛をやわらげざるを得なかった。
まどかが宙を遊泳しながら純架に問いかける。
「『能面の男』に対策せんってわけか?」
「そのつもりだよ。英二君の護衛なら、プロの黒服の皆さんに任せるべきだしね。僕らがしゃしゃり出てもしょうがない」
純架は立ち上がって「ダンカン! ダンカンこの野郎!」とビートたけしの物真似をした。もちろん意味はない。やり終えた純架は満足感を前面に打ち出し、再び椅子に腰を下ろす。一仕事終えたとばかり、肩を回して微笑した。
『探偵部』メンバーは皆見て見ぬ振りをしている。諦念がたゆたっていた。
英二はティーカップを指先で弾いた。
「結城、おかわり頼む」
だが結城はぼうっとして窓外を眺めるばかりだ。ご主人様である英二の要請が耳に入っていないらしい。何かしら物思いに耽っているようにも見える。
「結城!」
英二が強く名前を呼んだ瞬間、結城はびくりと身をわななかせて主を見やった。
「は、はい。すみません」
気がついた結城は、慌てて英二のカップを受け取った。奈緒が不思議そうに口を開く。
「どうしたの結城ちゃん。珍しく考えごと?」
「は、はあ。まあそんなところです。失敬しました」
結城は熱い紅茶を注ぎながら苦笑した。どこかぎこちない。何だかこの前の学園祭における奈緒のような感じだった。あのとき彼女は宮古先生にふられて落ち込んでいたわけだが、結城も似たような案件を抱えているのだろうか。
「…………」
英二は自分のメイドの粗相をしばらく見つめていたが、やがて目を閉じて首を振った。
「なあ純架」
差し出されたミルクティーを手に取りながら、英二は純架に話しかけた。
「後でいいんだが、ちょっと頼みごとだ。いいか?」
純架はポテチを食いながら「カロリーそのままで旨さハーフ!」とほざいた。
駄目な菓子じゃん。
「了解だよ、英二君」
それから数日経った土曜の放課後。俺は純架――女生徒との写真撮影に付き合っている――を置いて、一人部室へと向かった。奈緒は友達の相談事で、1年1組の日向は新聞部の活動で、それぞれ遅れるとのことだった。
木造旧校舎の3階角部屋、元1年5組の教室が『探偵部』の根城だ。引き戸を開けると、英二と結城の主従コンビが椅子に座ってくつろいでいた。まどかはいびきを掻いて寝ている。こいつホントに地縛霊か?
英二は爪を切っていた。硬質な音と共にゴミ箱へカスが落ちる。
「事件依頼がないと暇だな」
こちらを見ずに話しかけてきた。俺は「そうだな」と応じながら机に鞄を引っ掛ける。結城が身を起こした。
「朱雀さん、紅茶いりますか?」
「ああ、助かるよ」
彼女は微笑むと、ポットの方へ歩いていった。英二は爪切りを手に無心に作業を進めている。俺に話しかけてきた。
「結局『能面の男』は今日まで現れず、だ。あるいは見間違いだったのかも知れんな」
「そうだな。もう警戒を解いて大丈夫かもな」
「俺もそう思ったから、今日は黒服たちを減らしている。ボディーガードが大勢いれば安心だが、窮屈にも感じるからな。……それより、観たぞ『ターミネーター』」
純架がしきりに薦めていたDVDを、昨日英二がしぶしぶ借りたのだ。俺は身を乗り出した。
「どうだった?」
「面白かったな」
英二はゴミ箱を脇に押しやった。爪を切り終えたらしい。
「何十年も前の映画とは思えないぐらい、プロットが素晴らしかった。ただ……」
そのときだった。
乾いた破裂音が聞こえたのは。
「何だ?」
俺と英二が同時に叫ぶ。目を見合わせ「確かに聞いた」と確認しあった。
結城が常ならぬ警戒心を露わにする。唇を舐めた。
「今のは銃声であろうと思われます」
俺は喉の渇きを覚える。銃声? こんな真昼間から、こともあろうに学校で?
結城は緊張を隠しきれず、片膝をついてご主人様に頭を下げた。
「英二様、急いで避難してください。危険です!」
英二は眉間に皺を寄せた。結城の恐怖に感応していない。




