0099消えたトロフィー事件16☆
俺の自由時間も残り少なくなった。トロフィーは相変わらず見つからず、しかし心は別のことで安心しながら、ひとまず生徒会室へ戻ることにした。
ドアを開ける。鍵はかかっておらず、すんなり中に入れた。
「おうい、純架。純架、どこだ?」
しかし純架も、彼を訪ねに行った元刑事の光井さんもいない。もぬけの殻だった。
「何だ純架の奴、さてはドアの鍵をかけ忘れて返却しに行ったな」
ティッシュで鼻をかんでいた奈緒が気を利かせた。
「職員室にひとっ走り行ってこようか?」
この台詞には、もう宮古先生のいる場所に行っても、動揺したりしない――そういう裏の意味が隠されている。俺は賛意と同行の意志を示そうとして唇を開いた。
そのときだった。
「がおーっ!」
突如ロッカーの戸が開き、中から純架が飛び出してきたのだ。
「うおっ」
俺は不意をつかれて吃驚した。奈緒も驚愕の声を放つ。
純架はそんな俺らのリアクションに満足したか、鍵をつまんで垂らしながら哄笑した。
「僕ならここだよ。びっくりしたかい?」
俺はしばし呆然とした後、中っ腹で殴るように返した。
「当たり前だろ! ……何してたんだ、お前」
「何、犯人の手口を解明しようとしただけだよ。これで、このロッカーの中に入って隠れることができると実証されたわけだ」
俺たちが生徒会室に戻らなかったら、こいつはずっと隠れたままだったのか? 俺は純架の奇行愛好家ぶりを情けなく思った。
「で、何か分かったのか」
「事件の大体の輪郭はね。もう帰っちゃったけど、光井さんと色々話し込んでね。僕の読みで大方間違いないだろうと結論づいたんだ」
そうか、光井さんは帰ったか。最後にもう一度会いたかったが、喫茶店『シャポー』に行けばまた遭遇するだろうからいいか。
「光井さんとは他にも色々話したよ。怖い夢を見た話とか、悲しい夢を見た話とか、面白い夢を見た話とか……」
光井さんもさぞかし迷惑だったことだろう。
それにしても純架はこの事件を解きつつあるのか。俺は迫るように聞いた。
「肝心要のトロフィーは見つかったのか? それが分からなきゃ謎が解明されても意味ないぜ」
純架は腕を組んだ。少し勢いを弱める。
「それなんだよね。後はトロフィーの隠し場所だけなんだ」
「隠し場所? トロフィーは学校の外に持ち出されてないってのか?」
純架は自信満々にうなずいた。生徒会室はドアや窓を閉め切ると、相変わらず外の喧騒が聞こえなくなる。
「そうさ。トロフィーは校内のどこかにあるのさ。そうでなければ意味がないからね」
教室の壁にかけられたアナログ時計を見上げる。秒針が規則正しく時間を刻んでいた。
「ところで楼路君、君はそろそろ肩叩き当番のはずだ。部室に戻りたまえ。後は僕と飯田さんでやっておくから」
「もうそんな時間か。じゃあな、純架、飯田さん」
奈緒は目元を赤くしたまま、微笑んで見送ってくれた。
「行ってらっしゃい」
まだ立ち直りきってはいないけど、そうなるための第一歩は踏み出せたのだろう。彼女の語調は力強さを取り戻していた。俺はそれを嬉しく思った。
生徒会室に純架と奈緒を残し、俺は自分の仕事のため旧棟3階1年5組に向かって歩き出した。時刻は午後1時より5分前だ。
「あっ、朱雀さん!」
部室に戻る途中、俺と同じく午後1時より2時半まで働く予定の日向と遭遇した。自然、並んで歩く。
「辰野さん、新聞部はもういいの?」
日向は新聞部と『探偵部』を掛け持ちしているのだ。彼女はしかし、全くやる気を損なっていない。
「はい、無事に大量の最新号が学校に届いて、これから来場者に無料で配布するところです。白鷺祭に関しては昨日の様子が早くも掲載されていますよ。壁新聞も更新したし、新聞部の一記者としての役目はひとまず終わりました。これから終了時刻まで、『肩叩きリラクゼーション・スペース』の受付として頑張ります」
「そんなに動き回って疲れない?」
「はい、全然。やっぱり楽しんで活動してますから」
俺は人の往来で混雑する廊下を歩きつつ、ことのついでに聞いてみた。
「そういや辰野さん、英二はどうかな?」
日向は俺を見上げて無邪気に目をしばたたく。
「どう、と言いますと?」
俺はわざとらしくならないよう空咳をした。
「いや、最近よく一緒に行動してるじゃない、辰野さんと英二。馬が合ったりしないかな、って……」
足を繰り出しながら、日向の顔が複雑な影を帯びていく。その顔ははっきり否定に傾いていた。
「そうですね……。あまりこういうことは言いたくないのですが……」
実に言いにくそうだ。しかし英二のことを思えば、ここで彼女がどう考えているかを知っておく必要がある。
「誰にもばらさないから言ってごらん」
日向はどうしたものか迷ったらしかったが、十秒後には踏ん切りをつけた。
「はい。三宮さん、この白鷺祭に文句ばかり言っていて、正直むっとしました」
あらら、英二は何かまずいことを喋ったようだ。俺は内心の困惑を表に出さないよう慎重に話しかける。あくまで気さくに、軽そうに。
「文句ばかり言う? たとえばどんな?」
「焼きそばを食べては品質が極悪だと評し、ダーツ喫茶では紅茶の味をこきおろし、お化け屋敷では涙目なのに子供だましだと見下していました」
「そうか。二人きりでそんなこと言ってたのか……」
「はい。おかげで私もつまらない気分になって、あまり楽しくありませんでした」
英二の奴、特に共通の話題もないから、駄目な方へ会話を転がしちまったんだな。そうすれば自分が尊敬されると思って……。馬鹿な奴だ。俺は頭を抱えた。
「時間通りだな、楼路。代わるぞ」
日向の文句を知る由もなく、英二は客の合い間を見計らって俺と肩叩きを交代する。俺はつくづくと英二を見た。まったく、背はともかく顔はいいし、性格も男らしいのに、なんで上手くやれなかったのか……
英二が俺の視線に気づいて抗議してきた。
「なんだ、じろじろ見るな。文句でもあるのか?」
「なんでもねえよ。お疲れさん」
俺たちは拳を突き合わせた。結城とバトンタッチした日向に合図する。
「こっちの準備は万端だ。お客さん、入れていいよ」
「分かりました」
幽霊のまどかは姿を消した状態で愚痴を言った。不満がみなぎっている。
「何や、あたしには『お疲れ様』もなしか」
俺は苦笑して腕まくりした。まだ誰も座っていない椅子の背後に回る。
「お疲れ様、白石さん。また1時間半、俺と頼む」
「そうや、そういう謙虚な姿勢や、あたしが求めとるのは」
くすりと立てた笑い声は、鈴が鳴るような音楽的な響きを伴っていた。
「ほな、頑張ろか」
早速一人目の客が衝立のこちら側に案内されてくる。
「いらっしゃいませ。お座りください」
俺は目の前の座席を指し示した。
俺は被術者の肩を機械的に叩きながら、あれこれ考えた。生徒会室の鍵、戸棚のガラス戸の鍵、それを収める職員室のボックスの鍵――すなわち三重の鍵。完全に閉まっていた窓。昼は生徒、夜は警備員という周囲の目。そんな雁字搦めの状況で盗まれたトロフィーとその隠し場所。動機といい異様な行動といい、明らかに犯人としか考えられないのに、しかし犯人ではなさそうな周防生徒会長。俺はこれらの謎をどれ一つとして解明できなかった。
「楼路さん!」
すっかり肩凝りが治った老婦人を送り出すと、いきなりはしゃいだ声が俺の全身を打った。見れば純架の妹である愛が、大人びた私服姿でやってきていた。
「楼路さんに肩を叩いてもらえるなんて幸せ! 来て良かったぁ」
「愛ちゃん、椅子に座って。そう興奮せずに」
彼女は俺が桐木邸にお邪魔した際、初対面なのに好意を寄せてきてくれた。俺なんかのどこに一目惚れしたのだろう。
多分、水着といい私服といい、大人を目指して背伸びしている愛は、俺に恋する自分自身を好ましく捉えているのではないか。それが一目惚れの正体なのかも知れない。「恋している自分は大人だ」と、そううぬぼれたがっているように思える。
「ねえ楼路さん、小生のことどう思う?」
俺にうなじをさらして肩を叩かれながら、愛が期待半分、不安半分で尋ねてきた。俺は肘を使って揉み解した。
「どうって……純架の妹として、可愛いなって思うよ」
愛は不満のようだ。
「もう、お兄ちゃんはどうでもいいから! 一人の恋人として見れたりしない?」
俺は愛を直視しづらくなった。何と答えるべきか。しかし判断は一瞬だった。
「ごめん、愛ちゃん。俺、好きな人がいるんだ」
重苦しい沈黙が垂れ込め、俺は針のむしろに座っている気分になった。
「愛ちゃん……?」
愛は突如、がばと立ち上がる。まどかが慌てて姿を消した。愛の振り返った目に怒りがにじんでいる。
「誰? 誰が楼路さんの恋人なの? 教えてよ、楼路さん!」
俺は彼女の急変に狼狽した。まるでヒステリーだ。
「恋人じゃないし。それに『誰?』って……聞いてどうするんだ?」
「小生の武術『戦塵拳』で叩きのめす!」
おいおい。
「そんなことをしたら、俺、愛ちゃんを嫌いになっちまうぜ」




