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学園ミステリ〜桐木純架  作者: よなぷー
白鷺トロフィーの行方
93/156

0098消えたトロフィー事件15☆

 くだんの催しは入場料200円だった。俺の財布から消えていく小銭……。払った以上は楽しまないと。


 受付の先輩は、直前のお客が後ろのドアから出てきたのを見計らうと、俺たちに小型懐中電灯を渡した。


「通路に沿って進んでいって、後ろドアがゴールになります。ではどうぞ」


 俺たちは真っ暗な内部に足を踏み入れた。衝立とダンボールを重ねて壁とした空間は狭く、縦列でなければ進めない。俺が先、奈緒が後となると、奈緒が手を差し伸べてきた。俺は握り返すと、ゆっくり前進した。


「わーっ!」


 上半身血塗れの男子生徒が、いきなり壁の間から現れ驚かしてきた。俺は不意をつかれて瞬間心臓が飛び跳ねたが、渾身(こんしん)の耐性を発揮してどうにか叫ぶのをこらえる。奈緒は俺の手を強く握り締め、うろたえることなくたたずんでいた。


 考えてみれば彼女は昨日ここを経験しているわけで、どこで誰がどのように飛び出してくるか知悉(ちしつ)しているのだ。しかも幽霊役、はたまたゾンビ役との間には俺という緩衝材(かんしょうざい)があるわけで、幽霊嫌いの奈緒でも落ち着いていられる。幽霊屋敷の醍醐味(だいごみ)を、彼女は享受(きょうじゅ)できないはずだ。


――なのになんで、俺をお化け屋敷に誘ったのだろう?


 2年3組の生徒は主に曲がり角で驚かしてくる。黒い長髪を振り乱す白衣の女、ゾンビメイクの男など、乏しいであろう制作費の中でよく頑張っていた。しかし俺たちは演者ががっかりするようなごく小さなリアクションをするのみだ。ごめん、先輩方。


 そんなこんなでおおよそ3分の2を終え、後はごく僅かな距離を残すのみとなった。と、そのときだった。


 奈緒がぴたりと止まったのだ。


 俺もつられて足を運ぶのをやめる。


「どうした?」


 振り返って懐中電灯で奈緒の顔を照らすと、彼女はうつむいて睫毛(まつげ)を震わせていた。


「朱雀君……」


 言いかけてためらい、ややあって今度こそ口にする。それは全世界が滅んだような悲しみの言葉だった。


「私、ふられちゃったんだ」


 深刻な顔と貧弱な声に、俺は理解できずまばたきする。


「え? 急に何だ?」


 奈緒は拳を口元に添え、絞り出すように言葉を発した。


「私、宮古先生のことが大好きだった。『折れたチョーク事件』で知ってるとは思うけど。だから二学期に入ってすぐ、先生に二人きりの場を作ってもらって、告白したの。宮古先生に、『好きです』って」


 かつてないほど、その声音は奈緒らしくもなく沈んでいる。俺は懐中電灯の明かりを脇へ発散させた。


「飯田さん……」


 そうか、告白したのか。入学当初から惚れこんでいた、担任の宮古博先生に。俺は切なさに胸をかきむしりたい気分だった。


 薄ぼんやりした暗闇の中、奈緒はわずかな光の下で両手に顔をうずめた。その動作は弱々しく、日頃の快活な彼女はどこにもなかった。


 泣いている。


 奈緒は今までの平静さが嘘のように、すすり泣きから号泣へ、号泣から慟哭(どうこく)へと急変していった。ほぼ真っ暗な中に彼女の悲痛な泣き声が響く。


「宮古先生……。好きだったのに……大好きだったのに……。『先生としても男としても、お前の気持ちには応えられない』って……」


 そうか。奈緒は宮古先生に告白してふられたのか。そして今の今まで、その悲痛な思いを隠してきたのだ。


「でも私は食い下がって……。もし気が変わったら、もし私のことを想ってくれるなら、『白鷺祭』初日に『探偵部』部室の催しに来てくださいって……。私はそうお願いしたの。そしてそれだけを頼りに、ふられた日から昨日まで生きてきたのよ」


 だが宮古先生は来なかった。そうか、先生が職員室で『探偵部』の部室を訪問することを渋ってみせたのは、奈緒の願望に応じられないためだったのか。反対に、奈緒が職員室への訪問を二度にわたって拒否した理由もこれだ。彼女は自分を振った宮古先生に会いたくなかったのだ。


「私、私……。本気で、本当に心の底から、宮古先生が好きで好きで――大好きでたまらなかったのに……。ふられちゃったよ、朱雀君。私……もう駄目だよ……」


 奈緒はこの話を俺に打ち明けることを決めていたのだろう。奈緒の恋を知る者は俺と純架しかいない。そして純架は奇行癖があるから、自然相談相手としては消去される。彼女は俺に一切合切(いっさいがっさい)話し、かつ俺以外の誰にも見られず泣くために、この真っ暗な幽霊屋敷へ誘ったのだ。


 そうと分かれば、文集を買ったり屋上に行ったりした奈緒の奇妙な行動の真意も分かってくる。奈緒は俺にぶちまける踏ん切りをつけるために、そうした心理的手順を辿らねばならなかったのだ。宮古先生に拒否された悲しみ辛さを、他人に打ち明けるのは、それだけの葛藤があったわけだ。


 俺は、しゃくり上げて嗚咽(おえつ)を漏らす奈緒を正視できなかった。前の『折れたチョーク事件』でも彼女は泣いた。だがあのときは恋の露見を恐れての涙だった。今回は次元が違う。


「い、飯田さん……」


 俺はどうすべきか悩み苦しみ、ともかく泣き切らせようと決断した。ポケットを探り、ハンカチこそなかったものの、ポケットティッシュを見つけて彼女に差し出す。奈緒はそれを目の当たりにすると、首を振って自分のハンカチを取り出した。目尻を押さえて澄明(ちょうめい)な水滴を布に吸わせる。


「ごめんなさい。私、朱雀君以外に吐き出す相手がいなかったから……」


 哀れ純架。まあ普段の奇行からして仕方ないか。


「宮古先生……。宮古先生……」


 奈緒は一生分の涙をここで流さんとばかり、とめどもなく泣き続ける。俺はそこで、少し苛立ちのようなものを胸中に抱いた。何だ、さっきから宮古先生の名前ばかり挙げて……


「俺だって……」


 俺は言いかけて、慌てて口をつぐんだ。今告げていい言葉ではない。


 それにしても、と俺は奈緒をつくづく見る。彼女にここまで情熱をもって愛された宮古先生が本当にうらやましい。至誠(しせい)天に通じずだったが……


「飯田さん」


 彼女の両肩を(つか)む。奈緒ははっとしてこちらを見上げた。


「飯田さんはもちろん悔しいだろうけど……。俺だって悔しいよ」


 俺の言わんとするところを察知出来ず、彼女は泣きながら俺を凝視(ぎょうし)する。


「飯田さんは素敵な女の子だ。いつも明るい笑顔を見せて、誰とでも打ち解けて、周囲をなごますことが出来る、そんな天性の素質を持った人だ。そんな飯田さんが、『探偵部』の誇りの飯田さんが拒まれたってのは、本人だけでなく俺たちも辛い」


 俺は己の人生でもかつてなかったほど、思いを言語化することに腐心(ふしん)した。


「でもさ、逆にも考えられるじゃないか。高校生の飯田さんの貴重な時間を、これ以上無駄に費やす必要がなくなったってさ。宮古先生は分からず屋だ。あの男が泣いて悔しがるほど、今度は飯田さんが素晴らしい女性になればいい。そのための時間的余裕はたっぷりあるんだ」


 奈緒は俺の瞳を射るように視線を向けてくる。俺は喉の渇きと、なかなか上手く言葉に出来ない己の気持ちの双方に苛立った。


「だからさ、だからさ……。そんな、身も世もないほど落ち込まないでくれ、飯田さん。まあ今すぐ立ち直ってくれとは言わないけど――まっすぐ歩いていればつまずくこともよろけることもあるさ。大事なのはそこからどう立て直すか……だよ」


 俺は舌がもつれ、噛みながら喋り立てる。情けない。


「と、ともかく、言いたいのは……こんなときもあるってことと、飯田さんは一人じゃないってこと。俺も、『探偵部』のみんなも、それから飯田さんの友達も家族も……全員応援してる。それだけは忘れないで……」


 俺はそれ以上は撃ち出せず、もごもごと口の中で台詞を転がすだけだった。それまで俺の顔を眺めていた奈緒は、頬を伝う涙を拭うと、不意に噴き出した。


「朱雀君……ありがとう。ごめんなさい、気を使わせちゃって」


「いや……」


 奈緒はまだ悲哀の真ん中にいるようだったが、少なくとも号泣ではなくなった。こんな泣き笑いの彼女は初めて見る。俺は宮古先生に腹が立つと同時に、何とかこの目の前の少女を元気付けてやりたいと、痛切に願った。


「飯田さん。大丈夫だよ、きっとすぐ君にふさわしい男がまた現れるさ。飯田さんは素敵な子だ。男連中はみんな君を狙っているに違いないし」


「そうなの?」


 まあ外れてはいないだろう。俺は彼女の肩に置きっぱなしだった両手に気付き、慌てて引っ込めた。ズボンに擦り付けて手汗を拭き取る。


「そうさ。飯田さんは今自由なんだ。()り取り見取り、好きになれそうな相手を探せる絶好の機会さ。しばらくそれを楽しむといい」


 奈緒は調子を取り戻してきたように、二度三度うなずく。


「そうよね。もう宮古先生のことは忘れるべきよね……」


「ああ。放っておこうぜ」


 涙はせき止められた。彼女は微笑む。


「……へへ、泣いちゃった」


「うん……」


 そこで俺たちの進行方向から明かりが差し込んできた。2年3組の先輩方が、いつまで経っても出てこない俺たちに痺れを切らしたらしい。大声で注意してきた。


「後がつかえてるから、そろそろお願いします」


「はい、すみません」


 俺は奈緒の手首を掴むと、出口へ向かい――


「うわあっ!」


 突如道端の段ボール箱から飛び出してきたお化け役に仰天した。あまりに不意打ちだったため、俺は尻餅をついて無様(ぶざま)な姿をさらしてしまう。一瞬遅れて奈緒が爆笑した。


「何やってるのよ、朱雀君」


 彼女の明朗(めいろう)な笑顔は、まるで羽化した蝶のようだった。俺は頭を掻いて、どうやら立ち直ってくれた奈緒に、安堵の笑いを傾けた。

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