0088消えたトロフィー事件05☆
そういえば防犯カメラが設置されていたなあ……と思っていると、英二が身を乗り出す。
「じゃあ生徒会室も不十分だったんですね」
向井さんはしかし、明確に首を振った。少し苦笑している。
「でも、生徒会室は鍵もかかってるし、廊下を映す監視カメラと僕ら警備員の見回りとでカバーしている。こちらも不審なことは生じなかったよ」
「そうですか……」
英二は分かりやすく落胆した。それは純架も同じだ。
「ううむ……。昼は人目が、夜は監視があったのに、白鷺トロフィーは完璧に盗まれた。二重の施錠をもかいくぐって……。こんな非現実的な技、犯人はどうやってやりおおせたんだろう?」
ふと気付いたように、向井さんへ頭を下げた。俺と英二も続く。
「お忙しいところ、ありがとうございました。大変参考になりました」
その後、俺たち『探偵部』は飾り付けとリハーサルに没頭した。まどかの治癒効果は絶大なものがあり、施術された者は肩の軽さと健康増進を実感する。
「これはお客さんにもウケると思うよ」
奈緒は笑いながら楽観的に語った。実際、俺も肩叩き――に見せかけたまどかの治療――を体験し、見違えるように肩凝りが改善されて自信を深める。
「行列が出来るに違いないな」
まどかは褒められて上機嫌になり、得意気に天井付近をくるくる飛び回った。
「せやろ、せやろ。あたしの手にかかればざっとこんなもんや」
純架はしかし、一人浮かない顔で練習にも集中できていない。奈緒が見咎めて、少しきつめに声を出した。
「ちょっと桐木君、だらしないよ。明日は桐木君にも手伝ってもらうんだから、しっかりしてよね」
「ああ、ごめん、飯田さん。ちょっと事件のことで頭が一杯で、他のことに手をつけられない感じでさ。……これからはちゃんとするよ」
「本当? 全く……」
俺は折り紙の綱をカーテンレールに貼り付けながら、奈緒の様子を盗み見た。彼女は学園祭が楽しみなのか、やけに張り切っている。ちょっと異常なぐらいに。
俺は彼女が好きだ。だが奈緒はそんなこととは露知らず――あるいは勘付いているのか――、こちらとは一定の距離を保っていた。俺はこの近いようで遠い関係を一気に縮めるべく、この学園祭にかこつけて、奈緒との校内デートをもくろんでいる。
でも、どうやったらそこまで持っていけるだろうか? そこが悩みの種だった。
奈緒への思慕は果てしなく、俺は情熱を燃やしながら、まとまらない思考をもてあそぶ。
翌日、青い天蓋は眩しいほどに輝いていた。俺と純架は『第40回渋山台高校白鷺祭』と書かれた白い縦看板を見ながら校門を通過した。ダンボールを貼り合わせた上に茶色い塗装を施した『樹の大門』が、トンネルの入り口のように聳え立っている。そこも潜り抜けると、焼きそばやたこ焼きの屋台が左右に展開される大通りが目に入ってくる。昇降口に入ると店舗案内の張り紙が目を惹き、カラフルに化粧された廊下はいつもより華やかだった。
祭が始まる――俺は何だかそわそわして、妙に落ち着かなくなってきた。中学校の文化祭とはまた違う、一段上の雰囲気に、興奮と高揚を煽り立てられる。
1年3組は既に準備万端。久川考案の『ダーツ喫茶』は、黒板に貼られた白黒円盤のダーツボードが特徴的である。1万円弱と結構高く、生徒会から予算を奪い取って購入したものだ。その周辺にはダンボール紙が張り巡らされ、矢で黒板を傷つけないよう気が配られている。
「腕が鳴るぜ……!」
久川は武者震いが止まらないようだ。彼の情熱はここに収斂し、早く開店したくてうずうずしているみたいだった。クラスメイトも普段より緊張し、胸を高鳴らせているようだ。
祭りの始まりである開会式は体育館で行なわれた。渋山台高校全生徒の注目を浴びて、校長や先生方が壇上で意気込みを述べる。初日は生徒・先生のみで楽しみ、二日目の最終日は一般のお客さん方も参加する。稼いだ金は全て学校の懐に入るので、各チームはアンケートとそれの結果如何で手に入る白鷺トロフィーを目標としていた。それが盗まれてなくなっているとも知らずに……
壇上に生徒会長の周防先輩が立った。相変わらず知的な太っちょといった印象だ。だがマイクを通したその声は凛として、涼やかで男前である。
「白鷺祭は今年で第40回目を迎えました。この渋山台高校が開校したまさにその年、偉大な先達が生徒たちの力を発揮して世に知らしめようと、総力を挙げて開催したのが始まりです。以来幾星霜、様々な試みと挑戦がなされ、白鷺祭は発展してきました」
ふっと息をつく。自分を正視する生徒たちを見渡した。そして、
「どうか皆さん、白鷺祭の精神を汚さぬように。心から楽しんでまいりましょう。白鷺祭、開幕です!」
そう締めた。会場から大歓声が拍手の山と共に巻き起こる。周防会長は何か思うところがあるのか、やや不機嫌そうな表情でそれに手を振って応えた。やはり白鷺トロフィーが手元にないことが不満なのだろうか?
ともあれ学園祭はこうして幕を開けた。
我ら『探偵部』の『肩叩きリラクゼーション・スペース』を宣伝するために、チラシ配りは欠かせない。俺と純架が客に対応している間、奈緒と結城はその古典的活動にいそしむべく、紙束を手に一階へ下りていった。広告は『肩叩きでリラックス!』との文句の脇に、部室の場所が示されている。シンプルイズベストとはこのことだ。やはり奈緒が少し浮き足立っているような感じがしたが、高校初の学園祭に緊張でもしているのだろうか。その一方、日向は新聞部に顔を出しに行き、英二が俺たちのサポートに回った。
俺は窓から街の遠景を両目に映した。時刻は午前10時半。
「しかし、開店したはいいものの……お客なんて本当に来るかな?」
何せ旧棟の3階だ。昇降口からはかなり遠い。肩を叩いてもらうためだけに、わざわざ来てくれるだろうか。
「宣伝紙、絶対こっちの案の方が良かったんだけどね」
そう言う純架は自分の描いたイラストを眺めている。俺は覗き見た。
鉄の椅子に両手両足を固定された純架が、体に電気を流されながら『Oh! モーレツ!』と絶叫している。その横に毛筆で『渋山台高校の地獄の釜! これであなたもアハ体験!』と書かれていた。
良かねえよ。
そのとき英二が唐突に叫んだ。彼らしくもなく喜びに満ちている。
「いらっしゃい!」
見れば前谷翔一郎校長が、チラシを手に姿を見せていた。肥えた体は周防生徒会長にだぶるものがある。権力者は太るものなのだろうか。
「校長……」
ともかくも俺は唖然としていた。『割れた壷事件』のいきさつから、前谷校長は絶対来ないだろうと踏んでいたからだ。
彼は機嫌が良さそうだった。
「肩叩き、よろしくお願いする」
純架は俺のようなわだかまりを持ち合わせていないのか、愛想よく元気に答えた。
「お任せください」
俺は校長を衝立の向こう側に案内した。座布団を載せた椅子に座ってもらう。その背後に純架が立った。
「校長、体の力を抜いてリラックスしてください。それからできれば目をつぶって、心持ち背中を曲げて……そうです、その調子です」
校長の死角にまどかが顕現する。彼女は純架と重なり、校長の背中に両手を添えた。純架がはりきって声を出す。
「では、叩かせていただきます!」
純架が対象の肩に連続して両拳を振り下ろす。それに合わせて、まどかが治癒能力を発揮し始めた。
最初は半信半疑だった校長も、2分、3分と施術されるうち、満足そうな溜め息を漏らす。
「なんだか気持ちがいいな。肩叩きって、こんなに効果あるものだったか?」
純架はリズミカルに殴打した。それほど力は込めておらず、あくまでまどかの添え物だ。
「何、校長の肩が思っていたより凝っていた、それだけですよ。……ときに、なぜうちに来たんですか? 他に色々店はあったでしょうに」
前谷校長は目を閉じたまま苦笑した。年輪のある声が紡ぎ出される。
「いや、君と朱雀君には失礼なことをしたと思って、それが今でも尾を引いていてね。謝りに来たんだ。……いつぞやはすまなかった」
意外な吐露に俺は不意を打たれて押し黙った。反省してたんだ、この人。
「もちろんそれだけじゃなく、これから色々な来賓を接待しなくてはならなくてね。その景気付けに、少しでもリラックスしたかったんだ」
5分は短かった。まどかは姿を消し、校長は終了を告げられると立ち上がって大きく伸びをした。爽快な声だ。
「信じられん。あれだけへばっていたのに、まるで一晩ぐっすり眠ったかのように疲れが取れている」
「それは良かった。お代は100円です」
純架は代金を受け取り、アンケートを書いてもらった。校長が記した満足度は5点中5点。満点だ。票の不正を防止するための名前記入に協力してもらい、その紙は箱の中に納められた。
純架が彼に手を差し出す。握手が成立すると、美貌を緩めて笑いかけた。
「校長、宣伝の方、気が向いたらよろしくお願いします」
「ああ、任せろ。これは先生方に人気になるぞ。……そうそう、白鷺トロフィーの捜索も頑張れよ」
俺は心中汗をかいた。校長はトロフィーの盗難と、それを『探偵部』が追っていることを知っているようだ。知らぬは生徒会以外の学生たちか。
「じゃ、これで」
校長はあくびをしながら去っていった。その顔色は見違えるように改善されている。改めてまどかの力を思い知らされた気分だった。




