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学園ミステリ〜桐木純架  作者: よなぷー
桐木純架、登場す
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0008血の涙事件04☆

 2人に負けず劣らず驚いている俺をよそに、純架は穏やかに自己紹介した。


「1年3組の桐木純架です。こちらは助手の朱雀楼路君。あなた方は?」


 何か勝手に助手にされてるが……


 三つ編みは気が小さいらしく、体の震えを止めるのに必死だ。まるで罠にかかったネズミだった。


「わ、私は山岸文乃(やまぎし・ふみの)。トランペット担当です」


 きつい目がふんぞり返って続いた。


「あたしは海藤千春(かいどう・ちはる)。オーボエやってる。桐木だっけ? 何なの、お前ら。ショパンがどうこう言ってたけど」


「しらばっくれないでいただきたい。現に山岸先輩は認めておられる」


 そこを足がかりに、純架は説明を開始した。


「昨日の早朝6時前に、あなた方は音楽室の鍵をこっそり借りて、音楽室に侵入しましたね? 目的はショパンの肖像画に血の涙を流させるため。あなた方は瞬間接着剤とウエハースの欠片、凍らせた豚の血――恐らく肉を絞って型に流し込み、自宅の冷蔵庫に入れていたんでしょう――を持ち込みました」


 山岸先輩はその顔をどんどん蒼白にさせていく。一方海藤先輩は両腕を組んで堂々としていた。彼女らの気持ちはどうあれ、純架の言葉に強い関心を示しているのは間違いない。


「そして一人がもう一人の肩に乗って、ショパンの肖像画に細工しました。それは簡単なものでした。ウエハースと絵画の目の下の部分を接着剤でくっつけると、その上に豚の血の氷を載せ、既に溶けてしまった血をハンカチで拭います。これでおしまい。そうしていたずらを終えると、音楽室を施錠(せじょう)して、何食わぬ顔で鍵を返却した――そうですよね?」


 山岸先輩は涙目で純架と海藤先輩を交互に見ている。海藤先輩は強情な姿勢を崩さず、純架を火が出るほど睨んでいた。しかし睨まれた側は平然と続ける。


「血の氷が着々と溶けていく中、音楽室に畑中先生が入ってきます。まだこの時点ではウエハースが頑張っていて、氷を食い止めていました。雪が降っているぐらい寒かったですからね。畑中先生は一つのことに没頭するたちで、ピアノを弾いている間は肖像画の変化に気づかなかった。恐らく演奏中に氷が溶けてウエハースを濡らし、ふやけさせ、下へと最初のしたたりを始めたのでしょう。そして畑中先生がいったんピアノの手を休めた間に、『血の涙』は床へと落下して、彼女の聴覚にその存在を知らしめた、というわけです」


 俺は純架の語る事件の概要に、腰を抜かしそうになるほどたまげていた。それが『血の涙』の正体なのか。


「その後、畑中先生は健気にも脚立を借りて自力で肖像画を取り外しました。しかし気が動転しており細かいこと――たとえば床に落ちたウエハースの欠片など――に気づかず、血痕を雑巾で拭き取ったのです。いかがですか?」


 山岸先輩はもう完全に諦めて、涙を流してすすり泣いている。だが海藤先輩は強気を守っていた。まるで殴ってもびくともしないタイヤのようだった。


「それで? 何でその『血の涙事件』とあたしらが関係あるの? 動機は何? 肝心のところが抜けてるじゃないの」


「動機は畑中先生のピアノの音です」


 純架は(ひる)むことなく斬りかかる。


「あなた方は自主練するほど吹奏楽部に熱心です。だから毎朝早い時間にこうして練習しに登校します。楽器の重ささえ苦にせずに。そのあなた方にとって、畑中先生のピアノの音は邪魔でした。下手だから嫌なのか、上手だから拒絶するのか、それは分かりませんが。ともかく耳障りでした。だから畑中先生を脅かしてやろうと、どちらからか提案しました。二度と早朝にピアノを弾けなくなるような、そんな痛手を負わせるために。それゆえ、あなた方は今回のいたずらを仕掛けたのです。絵画に血の涙を流させるという、怪奇な方法を用いて……」


「全部憶測だ」


 海藤先輩はしぶとかった。


「そこまで言うなら何か証拠でもあるんだろうな? 証拠がないならお前の話に根拠はない。あたしらを侮辱した罪を先生方にならしてもいいんだよ、こっちは」


「あります」


 純架は髪をかき上げた。二人の先輩がどきりとしてそのしぐさを見つめる。純架は鞄から何かを取り出した。


「ショパンの肖像画に張り付いていた指紋です」


 純架が見せたものは、セロハンテープが貼られた黒い紙切れだった。


「今は千円程度で指紋採取キットが販売されていましてね。肖像画からアルミパウダーで検出したものがこれです。これが山岸先輩か海藤先輩の指紋と一致すれば、もう逃れられませんよ」


 俺はそのセロテープを横から覗き込んだ。確かに白い指紋が確認できる。


 山岸先輩はバネのように立ち上がり、号泣しながら頭を下げた。ほとばしるように謝罪する。


「ごめんなさい! 出来心でした! ほら、千春ちゃんも謝って!」


 とうとう海藤先輩も観念したらしく、不承不承(ふしょうぶしょう)起き上がり、ぶっきらぼうに頭を下げる。


「はいはい、ごめんなさい。私たちが悪かったわ」


 純架はこの決着の自白に喜びもせず、冷ややかに二人を見つめた。


「なぜこんな真似を?」


「……畑中のピアノは上手いけど、毎回同じ曲を弾くからうざく感じるようになって……。私たちの練習の邪魔になるから、何とかしてやめさせようと考えたんだ。後はお前の言う通りさ。全く、見ていたように正確だな」


 俺はようやく深呼吸できた。純架の証拠は嘘八百だ。肖像画の指紋なんて、昨日はまるで採取していなかった。純架が昨日のうちに、まだ見ぬ『犯人』を追い詰めるために作ったであろう偽物なのだ。そのことに気づいてからこっち、俺は気が気でなかった。海藤先輩が認めず、指紋を比較してみようとか言い出したら、純架は尻尾を巻いて退散するほかなかったのだ。


 そうか。それで思い当たった。畑中先生をこの場に立ち合わせなかったのは、そうした「失敗」の可能性を考慮に入れたからだ。なかなか抜け目がない。


 純架は細部を聞き出そうとした。山岸先輩に毒矢のような視線を投じる。


「音楽室の鍵をどうやって手に入れたんですか?」


 撃たれた彼女は毒が回ったかのように苦しげに答えた。


「教頭先生に頼んで、忘れ物を取りにいきたいって言って」


「犯行に及んだのはあなた方だけですか?」


「ええ、私たちだけです」


「そうでしょうね。僕は初めから2人の男子、もしくは女子の犯行だと睨んでました。脚立がない以上、複数人で肩車しないと絵画には手が届きません。異性同士だと、女が上ならスカートの中を覗かれたりするし、女が下なら非力で持ち上げられなかったりしますからね。それに団結して秘密を共有するには、3人以上は多過ぎます」


 純架は胸に手を当てた。


「以上がこの事件の全貌ですね、お二人さん」




 その日の昼休み、畑中先生は事件を解決した俺たちに――俺は目立つような活躍をしなかったが――大変感謝した。あの後、山岸先輩と海藤先輩の両名は、畑中先生に正式に謝罪したという。2人は本当に反省していたらしく、先生は謝罪を受け入れたそうだ。


「君たちのおかげよ。本当にありがとう!」


 苦悩から解放されてほっと安堵した畑中先生の笑顔は、たいそう美しい。純架は芸術家が苦心の作品を賛美されたように、顔を紅潮させて胸を反らした。


「それほどでもないですよ。先生がこれからも良質な授業を行なってくださること、楽しみにしております」


 畑中先生はあたかも反省するがごとく、呟くように言った。


「それにしても……。本人の知らないところで、誰かに(うと)ましく思われる場合もあるのね。気をつけなくちゃ」




 放課後の帰り道では、素晴らしい夕陽が辺り一面に黄金の粒を撒き散らしている。何だか全てが輝いて見えてしょうがなかった。俺は隣を闊歩(かっぽ)する純架に聞く。


「なあ、あの二人だって断定できた根拠は何だったんだ? 同じ吹奏楽部で自主練をやっている生徒たちとか、それとも他の朝練のある文化部とか、畑中先生のピアノを恨む人間の範囲は広かったと思うけど」


 赤信号で立ち止まると、純架は車の騒音に負けじと大声を出して、苦もなく答えた。


「あの二人があまりにも早く登校していたからだよ。彼女らは吹奏楽部に最も熱心だからこそ、最も畑中先生を邪魔だと見なしていたのさ。だから僕は九割がたあの二人だろうと思い、まずはかまをかけてみたんだよ。どんぴしゃだったね」


 純架は「ところで……」と話を変えた。


「楼路君、君も確か僕に言っていたね。昨日の朝だったかな、『お前みたいな奇人、うっとうしくてたまらん』と。君は僕が疎ましいかい?」


 俺はまだ道の各所に残る白雪(はくせつ)を眺めながら考える。結論はすぐに出た。


「ああ、疎ましいね」


「そうかい」


 純架はうつむいた。軽くしょげた美少年に、俺は続きを口にする。


「ただ、あの2年生女子2人のように、遠まわしの嫌がらせをして喜ぶ気はねえよ。疎ましいときははっきりそうだと言う。それが俺だ。お前も少しは反省して、奇行なんかやめて、真っ当な人間に戻るんだな」


 純架は「ゴーストバスターズ!」と叫んだ。


 流行が30年以上遅れている。


「残念だけど、僕は畑中先生のように気をつけたりはしないよ。君が君であるように、僕は僕だよ、楼路君。――お腹が減ったよ。ナルドに行って飯でも食わないか?」


 マクドナルドをナルドと略すのは純架ぐらいのものだろう。


 信号が変わり、俺たちは夕暮れの道を悠然(ゆうぜん)と歩いていった。帰宅の途にある人々の背中を視界に泳がせつつ、俺は秘めていた言葉を口にする――わずかなためらいと共に。


「あのさ、純架。……『探偵同好会』、入ってもいいぜ」


 純架はぴたりと静止した。振り向いてみれば、彼は自分の耳が信じられないとでも言いたげに、真っ直ぐ俺の顔を凝視している。


「本当かい? 何でまたそう思ったんだい?」


「別に……」


 畑中先生の感謝する笑顔を見て、この活動はやりがいがあると思った――なんて、恥ずかしくて吐露(とろ)出来ない。


「別にいいだろ」


 俺はわざと仏頂面(ぶっちょうづら)を作り、また歩き出した。純架がすぐに追いついてきて、俺の腕を肘でつつく。


「嬉しいよ。ようこそ『探偵同好会』へ! 早速お祝いとして、ボートに乗って捕鯨船(ほげいせん)に体当たりしに行こう!」


 誰がやるか。

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