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学園ミステリ〜桐木純架  作者: よなぷー
桐木純架、登場す
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0006血の涙事件02☆

 最初こそ打ち沈んでいた様子の畑中先生だったが、生来の音楽好きのためか、生徒たちに指導していくうちその頬は赤みをさしていった。気も体も小さい彼女だったが、音大卒の豊富な知識とピアノの技術は確かな威厳(いげん)と気迫を感じさせる。何というか、生徒を授業に没頭させてくれる、得がたい教師だった。


 俺は無料のカラオケぐらいに考えて、普段出さないような大声で参加する。純架は可もなく不可もなく、その歌声は平均点をやや超える程度の代物だった。ただ、奇行に走ろうとする自我を懸命に抑えて、その結果がこれのような気もしたが……


 時間はあっという間に過ぎていき、終了のチャイムが鳴る。だがピアノの伴奏に夢中の畑中先生は、そのことに気づかなかったらしい。数名の女子が目の前まで行って指摘すると、赤面して躍動する指を止めた。


「すみませんでした。では終わりにします」


 生徒たちは続々と教室を出て行く。俺も帰ろうとして、何者かに制服の袖を掴まれた。振り返ってみるまでもない、これは純架だ。


「何だよ」


「僕ら『探偵同好会』の出番だよ」


「俺はまだ入ってないぞ」


 純架は俺を畑中先生の元へ無理矢理引きずっていった。先生が俺たちに気づく。授業の熱が過ぎ去ると、彼女はまた不健康な顔色に逆戻りしていた。


「……どうしたの?」


 無理に元気を(よそお)っている。純架は柔らかい口調で話しかけた。


「先生、あまり血色がよろしくありませんね? 何か悩み事ですか?」


 いたわるような優しさに満ちている。純架の奴、こんな芸当も出来るんだな。畑中先生は彼の魅力溢れる気遣いに少し驚いていたが、微笑してかすかに首を振った。


「気のせいよ」


 これほど表情を裏切る言葉もない。純架はかまをかけた。


「ショパンの肖像画がなくなったのと関係があるんですね?」


「えっ?」


 畑中先生が驚愕し、胸を手で押さえた。どんぴしゃだったらしい。俺は割り込んだ。


「ショパンの肖像画を誰かに盗まれた、というわけですか?」


 もしそうならこれは窃盗(せっとう)だ。警察の職務の範疇(はんちゅう)に収まるもので、純架の――『探偵同好会』の出る幕ではない。俺は興味をなくした。


 そのことを鋭敏にも見抜いたのだろう、純架は俺をひと睨みした。畑中先生に名刺を差し出す。それは最近純架が作ったもので、『「探偵同好会」……お悩み・ご相談は1年3組桐木純架まで。それではしばしご歓談を』という意味不明な代物だった。


「僕は『探偵同好会』をやってます。もし僕の力が必要だと思ったらご連絡ください。探し物も受け付けますよ。もちろん秘密は厳守いたします」


 純架は優しく語り掛けると、世の女全てを篭絡(ろうらく)できるような笑みを浮かべた。畑中先生の頬に血が上る。


「あ、ありがとう」


「それでは」


 純架は彼にしか見えない竹竿の下を潜り抜けるように、リンボーダンスをしながら退出した。そのことに関する説明はなかった。こいつと付き合っていくということは、こうした奇行を見て見ぬふりし、その抑止を諦めるということになる。


 うざ過ぎる……




「畑中先生、来なかったね」


 放課後まで待っても彼女が1年3組に足を運んでくることはなかった。(なげ)く純架をよそに、俺は鞄を肩に提げると大あくびをした。


「信用されなかったか、そもそも大ごとではなかったか。どっちかだろうよ」


「せっかく悪霊退散の壷を10万円でお譲りしようと思ったのに……」


 霊感商法か。


「じゃあな、俺は帰るぜ」


 俺は純架を置き去りに教室を出ようとした。雪は止み、窓を透過する陽光は暖かだ。出入り口へと流れる人の動きに加わろうとする。だが俺は廊下に踏み出すなり、背の低い何者かとぶつかった。


「きゃっ!」


 甲高(かんだか)く短い悲鳴を上げたのは畑中先生だった。あらま、来ちゃったか、この人。


「おっとごめん、先生」


「いえ、私こそ不注意で……。桐木君は?」


 純架は頬杖をついて俺たちをにやにや眺めていた。勝利宣言か、黒目が『勝』の形に変化している。


 ホントに人間か?


「先生、よくぞお越しいただきました」


「良かった、まだ帰ってなかったのね。お時間いいかしら?」


「はい、問題ありません。ここで話しますか?」


「ええ。音楽室はちょっと怖くて……」


 音楽教師が音楽室を怖がるとは、一体どういうことだろう。少し興味深いな。純架が何でもなさそうに俺に声をかけた。


「君も暇だろ? 付き合いたまえ」


 畜生(ちくしょう)、暇なのは間違いない。むかつくが、純架のお手並み拝見といきたい心情もある。俺は適当に座った。


 純架が勧めた椅子に腰を落ち着けた畑中先生は、ひと気がなくなった周囲を見渡す。そして俺と純架とを交互に眺めた。その表情は今朝と変わらず、いやもっと青くなっているように見受けられる。


「このことは他言無用というか、気味の悪い話なんで、誰にも喋ってほしくないの。まずそれを守ってほしいんだけど……」


 純架はうなずいた。俺も不思議な前置きに点頭する。畑中先生はほっとしたようにかすかな笑みを浮かべると、重たそうに口を開いた。


「最近私は毎朝6時には登校してるの。というのもピアノコンクールでの演奏を目標にしていて――正確にはグランミューズ部門A1カテゴリーって言って、23歳以上上限なしの大会があるんだけど――それを目指してピアノの練習をするためなの。地区予選では5分以上7分以内のプログラムを暗譜(あんぷ)で演奏するのね。私はフランシス・プーランクのナポリから『イタリア奇想曲』を選んだのだけど」


 純架はほう、と吐息を漏らした。


「プーランク、あのフランス6人組ですか。その曲ならだいたい5分くらいですね」


「それで毎朝6時10分には音楽室の鍵を開けて、ピアノの前に座って弾き始めるの。今日も時刻はその辺りで、私は夢中になって奏でていたわ。気がついたら6時半を過ぎていたかしら。そのとき、私は妙な音に気づいたの」


 俺はいつの間にか真剣に聞き入っていた。


「妙な音?」


 畑中先生は誰かに盗み聞きされてはいないかとばかり、戦々恐々(せんせんきょうきょう)として周囲に目を配る。大丈夫だと信じたか、話を続けた。


「水滴が床に落ちる、あの音よ」


 うーむ。今日の音楽の授業ではピアノに没頭していたが、朝に一人で弾くとなるとまた別の話らしい。そんな細かい音が気になったのか? 純架が冷静に返した。


「今日は雪が降ってるから、その音ですかね」


「私も最初そうだと思って気にせず再度鍵盤を叩こうとしたわ。でもね、ふっと教室の肖像画に目がいったとき――私は悲鳴をこらえ切れなかった」


 畑中先生は内緒話をするように顔を寄せ、声を低めた。俺も釣り込まれて耳を差し出す。


「驚いたことに、ショパンの肖像画の両目から、真っ赤な血が流れ落ちていたの。血の涙――」


 畑中先生は自分の肘を抱いて絶句した。戦慄と恐怖で今にも泣き出しそうだ。俺も背中に氷柱(ひょうちゅう)を入れられた気分だった。絵画が血の涙を流すなんて、オカルトにもほどがある。


 他方純架は、この異様な話にすっかり興味をそそられたと見える。いつもの奇行は鳴りを潜め、狂おしいまでの光彩が両目にへばりついていた。


「血の涙、ですか。それは教室に入ったときには既に流れていて、演奏の休みまで気がつかなかったんですか? それとも演奏中に流れ始めたんですか?」


 畑中先生は震えながらも気をしっかり持つためか、声を励ました。もともと小さい体が、このとき更に小さく見える。


「私が教室に入ったときには血のしたたる音はしてなかったし、肖像画も――視界の端に映り込んだ程度だけど――涙をこぼしてはいなかったわ。明らかに私が部屋に入ってから流れたものよ」


 俺の背筋が寒くなったのは冷気のためだけではない。怪奇現象。心霊。霊魂。そんな非現実的な言葉が脳内を乱舞する。


「呪いだ。きっとショパンの呪いが血の涙を流させたんだ」


 自分でも言ってて馬鹿みたいな気がしたが、しかしそうとしか考えられない。純架は軽蔑したような視線を俺にぶつけた。


「そんなわけないよ。もしそうなら僕もお手上げだ」


 畑中先生は可哀想に半泣きだ。取り出したハンカチがわなないている。


「私はショパンの肖像画の異変にすっかり(おび)え切って、音楽室から逃走したわ。職員室に駆け戻って助けを呼ぼうと考えたの。でも途中である予想が立って静止したわ。もし、もし私がショパンのことを誰かに話したら、回り回って生徒たちに知られてしまうかもしれない。彼らに音楽室を気味悪がられるかもしれない。そう思うと、とてもじゃないけど他の先生方に知らせるわけにはいかないと思ったの」


 目尻を拭い、気丈な彼女は当時を回想して恐怖と闘った。この異常事態に際して冷静に思考するとは、全く教職の鏡である。


「幸い時間はまだあった。だから私は用務員さんに頼んで脚立(きゃたつ)を借りて、一人音楽室に戻ったわ。そうしてそれに上って涙を流すショパンの肖像画を外し、床に落ちた血も雑巾で拭い取って、何事もなかったかのように(よそお)ったの。――本当に怖かったわ」


 そうか、だから不気味な音楽室ではなく、この1年3組で相談したがっていたのだ。


「勇敢な話です。それで今朝は顔色が優れなかったんですね」


 純架は髪をひと()でした。奇怪な相談にもまるで動じていない。俺は純架を鋼のごとき精神の持ち主とするより、今までの奇行から、単に正気を失っているアホだと心の内で断定した。

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