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学園ミステリ〜桐木純架  作者: よなぷー
夏休みの出来事
52/156

0052二人の投手事件06☆

 そして、6球目――


「あっ!」


 部員たちが驚きの声を上げた。外角低めのスライダーを純架がジャストミートしたのだ。それはピッチャーの頭上を越え、センターヒットとなった。岡田先輩が無人の野を行く白球を見送る。


 純架はしかし喜びもせず、静かにヘルメットとバットをそばに置いた。


「そう、岡田先輩。貴方がエースの座を奪われたのは、そのノミのような心臓のためです。大事な場面で緊張し、失投を重ねるのが貴方の弱点です。それを(かえり)みず、三上君を憎むだなんて酷い逆恨みですよ」


 岡田先輩は悔しそうに歯噛みした。純架はいつの間にか呼び寄せていた桃山先輩に向かって報告する。


「捜査結果です。八百長試合をやった投手は、三上君一人です。そうだね、三上君」


 三上は飢えた猛獣のように純架を凝視した。


「言いがかりです。証拠でもあるんですか?」


 純架は首肯して、助け舟を出すように言う。


「忠告させてもらうなら、早く告白した方が心の傷は小さくて済むよ」


 三上はその言葉に顔面蒼白となり、唇を噛んで押し黙った。桃山先輩がうつむく彼に返答を()かす。


「どうなんだ三上。お前はあの大事な決勝戦で、相手チームに手心を加えたのか?」


 1年のエースは苦しげに鎖骨の間をかきむしり、かと思うと帽子を脱いで髪の毛をかき回した。それは痛々しく、俺は目を()らしたくてしょうがなかった。


 だが、とうとう三上は降参した。その両目から大粒の涙が(こぼ)れ落ちる。


「……はい。認めます。自分は八百長をやりました」


 一同がどっと嘆声を発した。「やっぱりか」「だと思ったんだよな」「許せん……」などなど、聞こえる声は抗議の(いきどお)りに満ちている。


 その中で若武者は号泣し、両膝をついて手で顔を押さえた。その口から(せき)を切ったかのように真実が溢れ出す。


「うちには父親がいません。そのせいでとても貧しくて……。中学時代は野球道具を揃えるのも一苦労でした。それで今夏、決勝戦の前夜になって、星降高校の主将から八百長試合を頼まれたんです。稼ごうと思ってもなかなか無理な、苦しい家計を(うるお)してくれる、そんな大金80万円を提示されました。片八百長という奴で、自分と星降の主将しか知らないことです。自分は甲子園よりも、お袋の助けとなる金の方を選んでしまったんです。ああ……」


 三上は土下座した。慟哭(どうこく)はいつ果てるとも知れない。


「自分はあえて打たれやすいコース、打たれやすい球を投げて、6点を献上してしまいました。すみませんでした!」


 額に土をつけながら、八百長の当事者は桃山前主将に涙まみれの謝罪を行なった。


「本当に申し訳ありません。責任を取って、即刻野球部を辞めます。どうか、どうか許してください……」


 誰もが無言だった。三上の貧しい暮らしを知っているため、同情の念が湧き上がってきたものであろう。しかも受け取った80万円の中から、彼が贅沢したのはスパイク一つ。残りの全額は母親の手に渡っているらしい――となれば、誰も彼を無下に責める気にはなれないのだった。


 純架は三上を見下ろしながら尋ねた。


「君の母さんは80万円を何も言わずに受け取ったのかね? そんな大金がいきなり入ってきたら、犯罪に関わったんじゃないかと心配してきそうなものだけど」


「お袋は自分のことを信じてくれていますから……。自分が『大丈夫な金だ』と言えば、不安にならずに受け取ってくれます」


「なるほど、そうだったのか……」


 そこで純架が衝撃の言葉を撃ち出した。


「何にしても君が辞めるというのなら、連帯責任で岡田先輩も辞めなくちゃならないね。何せ、三上君が受け取った80万円という大金の出所は、岡田先輩の(ふところ)なんだからね」


 三上を含めた全ての野球部員たちが、どよめいて騒然となる。桃山先輩が目を丸くしていた。


「本当か、桐木」


 岡田先輩がしどろもどろに批判した。


「な、何を言ってるんだ桐木。そんなわけがないだろう」


 純架は冷たく言い放った。


「なら『ぎょくはるさだ』にあれだけ動揺するはずもないですよね。そう、玉春定(ぎょく・はるさだ)は星降高校野球部の主将であり、三上君に八百長を依頼した人間であり、更に岡田君から100万円を受け取った人物なんですからね。さっき岡田先輩は僕にそこを指摘されて、投球に乱れを生じたのです」


 三上が岡田先輩を呆然と見上げている。岡田先輩は醜い顔をしていた。呻き声さえ漏れ聞こえる中、純架は悪事を暴いていく。


「岡田先輩は後輩の三上君に先発投手の座を奪われたことで憎悪をつのらせた。そしてその鬱憤(うっぷん)を晴らすために、三上君に八百長をやらせようとしたのです。星降高校主将の玉さんを金で懐柔(かいじゅう)し、三上君に働きかけるようにして、ね。もちろん敗戦後にそれとなく噂を流して、三上君が全部員から軽蔑されるようにしました。井上先輩はその行動の初期に岡田先輩から吹き込まれたわけです。しかしそれは岡田先輩の思いもよらない方向――『どちらかの投手が八百長をした』という内容に変化してしまって、彼も困ったことになったんですけどね」


 岡田先輩はまだ虚勢を張っていた。しかし震え声が(つくろ)えていない。


「ふざけるなよ、桐木。どうしてそう言い切れる。証拠はあるのか?」


 純架は冷ややかな目で岡田先輩を刺した。


「聞いてなかったんですか? 僕は三上君に証拠があると伝えたんです。その証拠はつまり、貴方の最低の行為の(あかし)でもあります」


「何だと……」


 純架はすっかり一場を支配していた。その言葉の重力に皆の聴覚が引き寄せられている。


「昨日、僕は星降高校へ乗り込みました。彼らは甲子園に進むことが決まって、その準備にかかり切りだった。そんな中、僕は星降高校の永島(ながしま)監督に面会し、八百長について聞き込みました。てっきり追い返されるかと思ったのですが、彼自身も決勝戦での渋山台高校投手のピッチングに違和感を抱いていたそうです。甘い球や四球の連発。さすがに片八百長の気配に気付いていたらしいですね」


 岡田先輩が悲鳴を抑え込むかのように、自分の口元を手で覆い隠す。純架は語を継いだ。


「そこで僕は、三上君を大金で懐柔(かいじゅう)した人間が星降高校にいると睨みました。そしてここでも、スパイクやグローブを新調した者がいることに気がついたのです。それは3年の野球部主将・玉春定さんでした。僕は永島監督の力をお借りして、玉さんを尋問しました。最初こそ否定し、銀行通帳を見せてほしいという僕の要請も突っぱねていました。しかし彼の心酔する永島監督の『潔白なら見せるべきだ』との押しに負けて、渋々開示したのです。そこには岡田先輩から100万円が入金されていたことと、そのうち80万円を三上君の口座に送金した事実が書かれていました」


 純架はポケットから紙を取り出して広げた。


「これはそのコピー。『オカダユウサク』、『ミカミジョウジ』、確かに貴方たちですね」


 桃山先輩が受け取り、内容を確かめてうなずいた。純架は咳払いをして締めくくった。


「以上で報告は終わりです、桃山先輩」


 岡田先輩はどす黒い顔で地面を睨みつけている。というか、それ以外に集中する蔑視(べっし)に抗する(すべ)はなかった。


「あの(ぎょく)の馬鹿野郎が……!」


 ()えるように(こぼ)した言葉に、純架は軽侮(けいぶ)の目線を差し向けた。


「馬鹿は貴方ですよ、岡田先輩。貴方が渋山台高校の反撃の直後に4失点したのも、手心を加えて『負けたかった』からです。貴方はもう投げるべきではない。(いさぎよ)く退部するんですね」


 三上に向き直ると、一転優しく声をかける。


「来年こそは渋山台を甲子園へ導いてくれたまえ、三上君。その責任を忘れちゃいけないよ」


 桃山先輩が紙を畳んでポケットにしまいこんだ。それまで黙って見守っていた宇治川監督に一礼する。


「……ということです。二人の処遇は任せてもらえませんか?」


 宇治川外部顧問は帽子を被り直した。


「分かった。投手がいなくなるのは問題だが、八百長の事実の方が遥かに大問題だ。任せる」


「はい、ありがとうございます。三上、岡田、制服に着替えろ。生徒指導室へ行くぞ。たっぷり話し合おう」


 監督がまだ騒いでいる生徒たちに大声を叩き付けた。


「さあ、10分はもうとっくに過ぎたぞ。練習再開だ。配置につけ!」


 純架は俺の手首を掴んでグラウンドから引き上げた。胸に手を当てる。


「以上がこの事件の全貌だよ、楼路君」




 後日、俺は純架と桃山先輩の訪問を受けた。前主将はその後の顛末(てんまつ)を語った。俺のお袋が()れたアイスティーを飲みながら……


「三上は残り、岡田は去ることになったよ。まあ当然の結末だな。宇治川監督は新しい投手を育てるのに必死になってるそうだ。三上一人でも十分いけそうだけど、やっぱり控え投手は育てておきたいからな」


 すこぶる残念そうに小首を振った。


「甲子園、行きたかったけどな。まあ俺の代で八百長が終わってよかったか」


 純架がストローを鼻の穴に差し込んで紅茶を吸引しようとしている。俺はチョップでやめさせた。桃山先輩は丁重に無視してくれる。


「ありがとうな、桐木、朱雀。何か望みはあるか?」


 純架は片手を挙げた。もう片手も挙げる。


アイ!」


 人文字かよ。


「じゃあお言葉に甘えて、星降高校への交通費往復3000円を」


「それだけでいいのか?」


「はい。『探偵部』にとって必要なのは、事件の解決依頼ですから。それこそが最大の望みなんですよ。それに……」


「それに?」


 純架は柔らかく微笑する。晴れ晴れとした笑顔だった。


「今回は『探偵部』の家族を勇気付けられる結果でしたから。甲子園の夢が破れた理由が、彼女にはないって、胸を張って言えるんです。これ以上のことはありませんよ」


 ああ、そうだな。良かったなお袋。全然疫病神なんかじゃなかったよ。俺は後で話して聞かせてやろうと考え、一人浮き浮きするのだった。

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