0051二人の投手事件05☆
「そういうことになるな。……となると、岡田先輩があえて敗退するために片八百長して打たれた。そしてその罪をなすりつけるために、三上が八百長したかのように言いふらした。真相はそんなところか? これで解決か?」
純架は水飛沫を上げて通過していく乗用車を眺めた。
「そうはいかないよ、楼路君。三上君が失投を連発して打たれに打たれたのは、岡田先輩にとっても全野球部員にとっても、思いもよらない事態だったんだからね。岡田先輩が片八百長するにしても、まずは三上君が降板しないと何も出来やしなかったんだよ」
「そっか」
『探偵部』部長は自分の傘の高すぎる位置で、小雨をもろに浴びていた。
傘の意味がない。
「少し気になることがあるんだ。三上君のスパイクが、ちょっとね」
「というと?」
「明日また野球部は練習するって話だし、また部活終わりを狙って聞き込みに行こう。濡れた雑巾を掴むような、嫌な気分になることだけどね」
そして捜査は2日目に入った。幸い昨日の雨はすぐに止み、グラウンドはやや湿っているものの部活動に支障はない。宇治川監督は柔軟体操を重視していて、激しい猛特訓の中、定期的にそれを取り入れた。やがて、「お疲れっした!」の挨拶と共に、今日の練習が終了する。
俺と純架は動き出した。帰り支度をする野球部員たちへ、精力的に聞き込みを行なう。調査はスムーズにはいかなかったが、外部の人間という建前がある以上、部活動中に部員を一人一人呼び出す、ということも出来なかったのだ。
しかし三上と岡田先輩以外は『探偵部』の俺たちに好意的で、なんと自分の聞き込みを待ってくれるものも現れた。これは嬉しい誤算だ。そんなわけで野球部全31名のうち、結局聞き込まなかった部員の方が少ないほど、あれこれ話をかき集めることが出来た。
だが純架が関心を向けたのは、噂の出所などではなかった。三上の経済状況である。
俺は純架の横顔を眺めながら、八百長には金か貸し借りが関わる――という昨日の彼の言葉を脳裏に再生していた。純架は三上の金銭的事情を知りたがったのだ。
「あいつは確かシングルマザーの家庭で、かなり貧乏だって嘆いていたよ。でも母親の言いつけで、アルバイトしなくていいから野球部に専念しなさい、って諭されてるらしい」
この決定的な情報を提供してくれたのは、三上と懇意の1年生、峰野康助だった。母子家庭は俺も同じで、三上に対して少し親近感が湧く。
晴れ渡った空の下、俺と純架は帰りがけに有名ファストフード店に寄った。涼しい店内で、氷の浮かんだアイスコーヒーをストローで吸引するのは最高の贅沢だ。チーズバーガーに噛み付きながら、俺は純架に真意を求める。
「やっぱり三上の懐具合が気になってたんだな?」
彼は照り焼きチキンバーガーにかぶりついた。濃厚な味が好みだったのか、美味そうに咀嚼する。
「三上君の家は極端に貧しい。一方、岡田先輩は裕福だという」
「ああ」
「見たかね楼路君。二人の野球道具の差を。金持ちの岡田先輩は自前のものを揃えていたよね。それもかなりの高級品だ。それに対して三上君のそれは、部活支給の安物ばかりだ――いや、だった、と言うべきかな」
俺は言い回しが気になった。
「だった?」
純架は忍者のように両手で素早く印を切り、組み合わせると、人差し指を天井に向けた。
「忍法、隠れ身の術!」
しばらく時間が経った。もちろん純架の体はどこにも隠れず、消えない。
「成功だ!」
目を覆わんばかりの大失敗だろうが。
「そう、『だった』だよ。三上君のスパイクを見たかね。あれは1万円はくだらない、ブランド物の新品だった。貧乏で、でもバイトもしていないのに、どうして買えたのだろう? どこからか最近かなりの入金があったといえそうじゃないか」
俺はポテトフライを口に運ぶ手を停止させた。純架の言葉は今回の事件の核心に迫るものだ。だが一応別の考え方を提示する。
「岡田先輩が三上の貧乏振りを見かねて、買ってあげたとかじゃないのか?」
「馬鹿だね、それなら県大会が始まる前にしそうなものじゃないか。……金は大会後に三上君の口座に入ったんだ、間違いない」
俺は急に室内が冷えたように感じた。
「そうか、読めたぞ。星降高校のお偉いさんの誰かが、三上に金を渡したって言うんだな? 八百長の見返りとして……」
純架は興奮してきた俺を闘牛士のようにひらりとかわした。
「明日、僕はちょっと単独で調べてみるよ。君は来なくてもいい、電車代が高いからね。家で宿題を忘れずこなしておきたまえ」
そんなわけで、俺は翌日暇だった。純架の言いつけ通りに机に向かい、プリントの山と格闘する。純架は星降高校に行ったのだろうか? 今頃何をしているんだろう? 勉強は一向にはかどらず、俺は窓の外に浮かぶ白雲を眺めてシャーペンを回していた。
その夜、夕食を食べて風呂に入って歯磨きをして、後は寝るだけとなった俺の元に電話が入ってきた。純架からだ。
「明日も渋山台高校野球部は学校で練習があるらしいよ。熱心なことだね。僕らも行ってみよう」
俺はピンときた。
「何か進展があったんだな?」
「まあね」
一夜明け、俺と純架は青く晴れ渡る空を仰ぎながら、渋山台高校へ登校した。絶好の運動日和である。野球部はグラウンドの一角を占領して、全員がレギュラー目指して熱く練習していた。宇治川監督は今日も大声で生徒たちを叱咤激励している。
俺と純架は木陰で涼みながら、その様子を見守った。そうするよう純架が頼んできたのだ。
「こんな青空は滅多にないね。暑いのを除けば快適だよ」
そこで宇治川外部顧問が手を叩いた。
「よし、10分休憩!」
投手も野手も球拾いも、一斉に自分の鞄へと駆け寄る。持ってきた飲料水と塩キャンディーを経口補給し、熱中症にならないようにするためだった。
そこで純架が動いた。大声で二人の人物の名を呼ぶ。
「三上君! 岡田先輩!」
呼ばれた当人たちはまたか、という表情だ。うんざりしているのは明白だった。他の部員たちは水筒の蓋を傾けながらこちらを盗み見ている。聞き込みを経て、俺たち『探偵部』の捜査に強い興味を抱いているらしい。
岡田先輩がペットボトルをあおりつつこちらへ正対した。
「何のようだ、桐木。八百長ならやってないぞ」
「そうではありません、岡田先輩。三上君も。ちょっと僕と勝負してもらいたいんです。一対一、投手と打者という形で」
2人はあっけに取られていた。三上が当然のごとく疑問をぶつけてくる。
「何のためですか?」
「まあまあ、いいじゃないかね。それで分かるということもあるんだよ。捕手も審判も、ちょっと付き合ってください」
純架はヘルメットを被りバットを握ると、バッターボックスに立った。三上が呆れたような顔でマウンドに上がる。この男は頭でもおかしくなったんじゃないか、と言いたげだった。
「本気でいきますよ、桐木さん!」
「そうでなくちゃ意味がないよ。存分に来たまえ、三上君」
俺はその光景に肩をすくめた。これは奇行なのか何なのか……
三上が大きく振りかぶり、力強い速球を放る。純架は明らかに遅れて空振りしてしまった。
続けて2球目。これはまた物凄いストレートが、空気を切り裂いてキャッチャーミットに収まった。純架は全く反応できない。
それにしても凄い捕球音だ、と俺は感心した。やはり天才投手は桁が違う。
何にせよこれであっという間に2ストライク。純架は後がなくなった。
この訳の分からない勝負を、いつの間にか野球部員の大半が食いついて見ていた。『探偵部』部長の美貌の男と、野球部エースの真っ向勝負。好奇心をそそられたとしてもしょうがない。
そんな中、純架がバットを構えて大声で叫んだ。その内容はどぎついものだった。
「さすがだね、三上君。でも君のせいで渋山台高校は甲子園に行けなかったんだ。君が八百長しなければ、今の僕に対するような剛速球を放っていれば、僕らは夢の続きを見ることが出来たんだ!」
この痛烈な、誰もが聞き捨てならない非難の言葉に、一同が驚きざわめいた。俺もビックリした。三上が、八百長をした――?
痛罵された少年は歯軋りしながら、まるで怨敵に対するかのように直球を投げ込んだ。それは純架のバットにかすりもさせず、捕手のミットに飛び込んでいった。三球三振、純架の大敗だ。
三上は憤慨した様子で無言のまま岡田先輩と交代した。純架はその様子を厳しく睨みつけながら、再びバットを掴み締める。
「さあ次は貴方です、岡田先輩。手抜きせず、全力で来てくださいね」
岡田先輩は真っ向勝負を信条とする三上とは好対照に、変幻自在の投球術を得意としている。チェンジアップ、スライダー。純架はまるでついていけず、またノーボール2ストライクに追い込まれた。
岡田先輩は勝利を確信したか、その顔に余裕の色さえある。純架はヘルメットの位置を直しつつ、とどめの3球目を投げんと待ち構えている彼に対して、こんな台詞を放った。
「ぎょくはるさだ!」
俺はまた奇行が始まったか、とうんざりした。言葉の意味は分からないが、純架的には意味があるのだろう。
……と思っていたら……
「ボール!」
岡田先輩は見るからに動揺し、投げた3、4、5球目は、全てストライクゾーンから外れたボール球となった。カウントは3ボール2ストライクと変わる。特に5球目はキャッチャーの守備範囲ぎりぎりの酷い球だった。




