0050二人の投手事件04☆
「三上、知らないのか? 『探偵同好会』の会長、桐木純架だ。この前の学校新聞に掲載されていただろう」
純架は素早く訂正した。
「今は『探偵部』ですよ、岡田先輩」
「ああ、そうなのか?」
俺はなるべく愛想良さそうな笑みを作った。
「よろしくお願いします」
純架が頃合いを見て本題に入る。若虎のような三上、狐のような岡田先輩を前に、何気なさそうに撃ち出した。
「実はこの野球部の、県大会決勝における八百長事件を追っていまして……」
三上も岡田先輩もさっと顔色を変えた。これは噂を知っているようだと、愚鈍な俺でもはっきり認められる。果たして、岡田先輩が苛立たしげに顔を手で拭った。
「俺と三上のどちらかが八百長をした、とかいうくだらん話だろう? 『探偵部』はずいぶんつまらないことに関わるんだな。誰の指示だ?」
「それは言えませんよ。で、本当のところはどうなんでしょうか?」
あまりにも直球過ぎて、俺は冷や冷やした。三上がしかめっ面で答える。
「自分も岡田先輩も、八百長なんかしていません。お帰りください」
まあ当然そう答えるだろうな。真実がどうであれ……
純架は当たり前ながら食い下がった。
「じゃあこの噂の発生源は? そっちの突き止めも任されているんですよ。何か心当たりは?」
岡田先輩は内心の不満を躊躇なく叩きつけてきた。細い目は怒りに満ちている。
「俺が知るわけないだろう」
三上が同調した。先輩の前だからなのか、それとも図星を指されたからなのか、判別は出来ない。
「自分も知りません。酷い噂だと思います」
「なるほど。お二人は八百長なんかしてないし、噂の出所も分からない、と」
純架はスマホに入力しながら、ぬけぬけと別の質問に切り替えた。
「お二人は先発を争う、野球部投手陣の2大エースですよね。相手の足を引っ張ったり、出し抜いてやったりとかは考えなかったんですかね?」
岡田先輩はぐっと詰まった。純架の顔を火の噴くような両目で睨みつける。
「……そんなこと考えるわけがない。馬鹿をぬかすな」
純架はひるまずたたみ掛ける。
「確か1年生の三上君は、中学でも名の知れた名投手だったそうですね。中継の解説者がそう言ってました。一方岡田先輩についてはよく知らないんです。貴方はいつから野球を始めたんですか? 正直にお答えください」
岡田先輩は質問の意図を測りかねたか、少し守勢で応じた。
「この高校に入ってからだ。最初はルールを覚えるのも大変だったな」
「投手として固定されたのは?」
2年生の野球部員は、その目に追憶の光をまたたかせる。
「去年の秋季大会からだ。宇治川監督に起用されたんだ」
少し嬉しそうにその顔を綻ばせた。野球部員として、自分が認められた瞬間を回顧するのは気分がいいのだろう。
だが純架はそんな機嫌の良し悪し関係なく、容赦なしで言い放った。あくまで世間話のような、軽い口調である。
「なら、今年から岡田先輩を抜き去ってエースになった三上君を、貴方は憎んだりしなかったのですか?」
岡田先輩は一瞬言葉の意味を理解できなかったらしく、ぽかんと口を開ける。だがその直後、怒髪天をつくように大声で抗議してきた。
「ふざけるな! それじゃまるで、俺が嫉妬深い男のようじゃないか!」
これには三上も腹に据えかねたのか、言葉を添えて純架をたしなめた。
「桐木さん、岡田先輩はそんな人じゃありません!」
叫ぶように言い放つ。同級生の純架にも丁寧語を崩さない、変わった少年だった。
「自分は先輩後輩の上下関係を堅持しつつ、一緒に競い合うライバルとして岡田先輩を見ています。自分らは足を引っ張り合うことなく尊重し合ってます。これは絶対です!」
純架は二人の憤然とする姿に、さすがに語気を弱めざるを得ない。
「分かりました、分かりました。悪かったですよ」
それでも気圧された様子もなく、『探偵部』部長は会話をまとめた。
「じゃあ二人はお互い友好関係にあるってことですね」
「そうです」
「そうだ」
二人の投手は言葉を揃えた。気がつけば、野球部部員が走り終えて部室に引き上げ始めている。こちらをちらちら盗み見るものもいた。純架は二人の労をねぎらう。
「はい、分かりました。お忙しいところ邪魔をしました。また話を聞きに来ることがあるかもしれませんが――」
三上と岡田先輩が嫌そうな顔をした。完全にうざがられている。
「――そのときはよろしくお願いします。じゃ、行こう楼路君」
純架は二人が中断されたランニングを再開するのを見届けつつ、俺と共に野球部部室に直行した。俺は彼にささやく。
「今度は野球部部員への聞き込みか?」
「もちろんだよ」
俺はさっきの聴聞を回想した。
「なあ、最後の質問は、岡田先輩が自分のポジションを奪った三上に嫉妬しているかもしれない、って内容だったよな。それが今回の八百長疑惑と関係あるのか?」
純架は腕を組んで眉間に皺を寄せた。
「人が八百長に手を染めるとき、理由は大体二つに絞られる。すなわち金か、貸し借りか、だね。その辺りをただ確認しておきたかっただけだよ。何せ岡田先輩は金に関してはうなるほどあるんだから、彼が八百長していたとなれば、理由は後者となる。その解明の糸口が見つかるかと思ったんだ」
「岡田先輩が三上のエースぶりに嫉妬して、後輩を旗頭に甲子園へ行くのを拒絶した……つまりはそういうことか?」
「話が飛躍し過ぎかもしれないけど、僕はそれも仮説の一つとして成立しうると思う。先発投手の誉れを奪われた『借り』を返すためにね。まあ、このことはとりあえずグレーの箱に収めておこう」
野球部部員たちは、早くも帰り支度を済ませて下校の途についていた。純架は少し焦って、手当たり次第に『噂』に関して聞き込みを行なう。だがかえって「真相はどうなの?」と問い返される始末だった。やはり彼らのこの情報に対する熱量は半端なものではない。
甲子園強奪の戦犯――
もし投手が八百長をしていたなら、殴る蹴るじゃ済まさない、とまで言い切る2年生もいた。物騒な話だ。
そんな中、最後に部室を後にしたのが2年3組の井上陽真先輩だった。試合では左を守っていて、2番打者としてヒットを放っている。
ここまで噂の真偽に通じる具体的な話は出てきていない。今日の調べの最後の相手として、純架は彼を捉まえた。
「やあ、井上先輩ですね。試合見てましたよ。僕は桐木純架、こっちは朱雀楼路メンバー。『探偵部』です」
何で俺だけ不祥事を起こしたアイドル扱いなんだ。
純朴そうな丸刈りは、ドアに鍵をかけながらあどけなく微笑した。
「ああ、『探偵部』ね。で? 僕に何か聞こうってのかい?」
純架は今日だけで何回口にしたか分からない言葉をぶつける。
「三上君と岡田先輩、2人の投手のどちらかが八百長したっていう噂についてなんですが……出所を知りませんか?」
井上先輩は笑みを引っ込めた。まるではばかりあるかのごとく周囲を見回してから、頭を寄せて返答する。
「それなら僕も聞いた。岡田からね」
俺と純架は顔を見合わせた。俺は勢いづいて井上先輩に問いかける。
「岡田先輩から?」
井上先輩は記憶を辿るように頭を上向けた。しばらく空を眺めた後、地平に引き戻す。
「最初は確か、『三上は八百長したのかもしれない』とかいう話だったな」
どちらか、ではなく「三上は」なのか。
「僕はふうん、そんなこともあるものかなと半信半疑だったけど、いつの間にかそれが『投手のどちらかが八百長した』って形に変化して広まっていて……。何だかよく分からないや」
純架はこの新事実に、小虫のルアーを求める魚のように食いついた。
「ふうむ。最初は岡田先輩が三上君をおとしめようとしていたのかな。井上先輩、このことは誰かに話しましたか?」
井上先輩は不安そうに、ためらいがちに返してきた。
「いいや。岡田の立場を無理に悪くすることもないかと思って、あとちょっと怖かったこともあって、今初めて話したんだ」
俺は宇治川外部顧問の配慮に感心した。やっぱり監督の予想通り、外部の人間じゃないと聞き出せないことってあるもんだな。
純架は井上先輩の肩を掴んで揺さぶった。上級生の頭がぐらぐらする。
「他に何かありませんか? 全て吐き出してください」
井上先輩は怒涛の勢いに気圧されつつ、純架の手首を掴んでやんわり離した。残念そうに首を振る。
「いや、僕が知ってるのはこれぐらいだよ。悪いけど、後は別に何もないな。力になれなくてごめん」
純架は落胆を巧みに隠し、微苦笑した。
「そうですか。ありがとうございます、参考になりました」
帰り道、俺と純架は並んで歩いていた。遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。夕方の空はとうとう崩れ、小雨がビルや自動車を延々と叩きまわっていた。
そんな中、今日の聞き込みの成果をまとめる。純架はヘルメット傘を馬鹿みたいに使用していた。
「やっぱり岡田先輩は、三上君に先発の座を奪われたことをかなり根に持っていたみたいだね。本人は憤慨して否定していたけどね」
「だから三上が八百長をしたという噂が流れるよう、井上先輩に話したわけか。逆恨みもいいところだ。実力次第なんだからな、野球って」
「おやおや、いっぱしの口を利くものだね。まあともかく、岡田先輩は井上君以外にも何人かに吹き込んでいたみたいだね。ところがそれが、本人の意図しない『どちらかが八百長した』という内容に変遷してしまったというわけだ」




