0047二人の投手事件01☆
(三)二人の投手事件
英二は今回の『バーベキュー事件』の不手際を取り戻すべく、第二の山荘への『探偵部』招待を計画しているらしい。さすがに同じようなおっかない事件には巻き込まれないだろう、と、俺は楽観視していた。今から楽しみだ。
そんな7月下旬に俺の前に現れたのは、もうおなじみとなった隣の奇人一家――桐木家の長男である純架だ。彼はシャツ、カーディガン、パンツ、靴下を全て裏返しに着用するという奇抜な格好で、何事もおかしなことは起きてないんだぞとばかりにドアの先で俺を見上げた。中世ヨーロッパの貴族のような、耳が隠れる豊富な黒髪だ。
「僕の家のテレビは妹の愛君が占領していてね。君の部屋のそれを借りたいんだ」
衣服のタグをひらひら風に舞わせ、屈託ない笑顔を向けてくる。そう、純架は奇行の達人なのだ。誰に命じられたわけでもなく、格好がつくわけでもない、あからさまな奇態を呈し、ただそれだけでこの世は平穏ですとばかりに笑顔でたたずんでいる。息を吐くように奇行を発する。それが彼、桐木純架の負の側面であった。
俺は玄関でひとつ溜め息をつくと、今更奇行を指摘することも面倒くさかったので「上がれよ」とのみうながした。純架は彼にしか見えない赤ん坊を抱き上げて、「高い高ーい」とあやしてから靴を脱いだ。もちろん俺は反応しない。これは反応した奴が負けのゲームなのだ。
純架は階段を上り切ると、彼にしか見えない赤ちゃんを「はい高い高ーい! はい高い高ーい!」と躍りながら執拗に上下させた。その目は血走り、異様なまでの必死さがほとばしっている。
これで麻薬をやってないんだから逆に凄いな。
俺は2階の自室に純架を通した。そこでベランダに干していた洗濯物を取り込んだ、俺のお袋が現れる。
「あれ、誰か来たのね」
「おう」
「飲み物汲んであげるよ。2名でいいね?」
「悪い」
母親は階段を軽やかに下りていきつつ尋ねた。
「楼路、麦茶でいいだろ?」
「頼む」
白髪混じりの髪から目を離し、俺は室内に足を踏み入れた。純架はリモコンのスイッチを押しまくり、チャンネルを地方局に合わせた。ちょうど高校野球が始まったところだ。そこに映し出された名前に、俺は度肝を抜かれた。
「渋山台高校対星降高校……県大会決勝戦?」
渋山台高校は俺や純架の通う学び舎だ。そこが決勝戦に進出? これで勝てば甲子園確定ってことか?
「信じられん。いつの間にここまで勝ち上がってきたんだ?」
純架は肩をすくめて苦笑した。
「君は新聞を読まないのかい? それとも野球部の友達がいないんじゃないのかね? 夏休みに入ってから、僕は渋山台高校野球部の活躍をつぶさに拾い上げてきたんだ。今日は見ものだよ。何しろ弱小野球部に現れた救世主、三上譲治君が凄いんだ。きっとこの一戦も快刀乱麻の投球で、星降に凡退の山を築かせるだろうよ」
「へえ、三上ねえ。1年でエースか……」
「宇治川武蔵外部顧問を招いた甲斐があったというものだよ。やっぱり元プロ野球選手は教え方が違うんだね。三上君を先発起用してきたのも宇治川顧問の手腕によるというからね」
「ほう……。相手チームはどうなんだ? 強いのか?」
純架はうなじでばっさり水平に切られている後ろ髪を撫でた。
「ここまで来たんだから相当だろうね。強豪だろうけど、大丈夫、きっといける」
そこへお袋が盆を持って現れた。汗をかいたコップに美味そうな茶色の液体が入っている。氷のぶつかり合う音が涼しさを感じさせた。チップスが盛られた深皿もあって、気が利いている。
「何だ、隣の桐木君じゃない。ほら、麦茶注いだわよ、お二人さん」
「ありがとうございます」
純架は素朴に一礼した。俺は手刀を切ると、早速純架に杯を手渡した。自分の分も取り上げる。お袋はテレビ画面を数秒間見つめた後、気まずそうに視線を逸らした。俺は隣のカーペットを叩く。
「ほら、お袋も観て応援しろよ」
彼女は心底嫌そうに溜め息をついた。何だ?
「ああ、私は駄目なのよ。私が応援すると、何故か相撲でも野球でもサッカーでも、ひいきが負けちゃうのよね」
俺はコップを傾けて喉を鳴らす。
「こう言っちゃなんだけど、まるで疫病神だな……」
ついこの前シングルマザーとなった彼女は寂しそうに笑った。自嘲の波動が面を走る。
「そうよ。だから私は自分の部屋に引っ込んでるわ。まあ楽しんでください、桐木君、楼路」
お袋はトレイを置くとドアの外に出て行った。純架は閉まる扉に目線を滑らせた後、改めて画面に向き直る。テーブルに肩肘をつき、拳に頬を預けた。
「じゃあ楼路君の母さんの分まで応援するかな」
俺は腕まくりをして試合開始のブザーを聴く。すっかり応援態勢に入っていた。こんな面白い試合を見逃すところだったのかと、教えてくれた純架に感謝したい感じだ。
「甲子園の夢がくだらない理由で散ってもしょうがないしな。お袋には我慢してもらおう」
「さあ、始まった!」
先攻は渋山台だった。相手先発・中山投手の前に、もろくも三者三振で無得点に終わる。俺は無様な打撃陣を嘆くより、相手の豪腕を賞賛した。
「こりゃ手強そうだな」
純架は俺のゲーム機を指差した。
「脈絡なくて悪いけど、これ貰ってもいいよね?」
駄目に決まってんだろ。
「でもそんな速球派でもないし、狙いを定めればいけそうだけどね」
我らが渋山台高校ナインが守備につく。実況が車のエンジンもかくやとばかり、その饒舌をふるった。
『渋山台高校先発ピッチャー、三上譲治。中学ではエースとしてチームを県大会優勝に導いた新人です。そのときの監督が宇治川さんで、彼の元で投げたいと、後を追うように渋山台高校に入学したそうです』
俺はつまみの菓子を口に放り込む。
「へえ、そうなんだ。経験者ってわけか。それも、かなりトップクラスの……」
三上は虎のような外見で、端正な相貌は日焼けしており、歯の白さが際立っていた。
解説のしゃがれた声が室内に響く。実況に比べればのんびりとした喋りだった。
『三上君の武器は速いストレートですね。最速150キロとか。時折チェンジアップも混ぜますが、これはあくまで相手を揺さぶるためのものらしいです』
ほう、剛腕か……。俺はパリパリに乾いている嗜好品を咀嚼した。純架がポテチを麦茶に浸し、デロデロにしてから食べる。
「うーん、美味い!」
いや、不味いだろ、それ。
『三上、最初のバッターをノーボール・2ストライクと追い込みます!』
ここまで放った2球はどちらも140キロ台後半の速度だった。まるでプロ並だ。このまま押し切れるか?
だが……
『おーっと、ホームラン! 先頭打者本塁打を打たれてしまいました、三上!』
何とど真ん中に投げた甘いボールをバッターが打ち返し、それはスタンドに飛び込む先制の一打となってしまった。純架がスコアボードに表示される『1』の文字を見つめる。
「あらら……」
夏真っ盛りのマウンドで、帽子を取り額の汗を拭う三上。その背後を打者が悠々と走っていく。快晴に照り映えるホームベースが無情にも敵手に踏まれた。笑顔に包まれる敵陣とは対照的に、三上の表情は暗い。
その後、三上は投げる球をことごとく打たれ、ノーアウト1、2塁になった。俺はテーブルを挟んで純架と菓子を奪い合う。
「おいおい、初っ端からやばいぞ」
「立ち上がりが悪いね」
『また打たれました! これは星降の立川、一気にホームを狙う!』
三上は2ベースヒットを献上し、一挙2得点を許した。相手応援団の大歓声が球場にこだまする。
「あちゃー……」
「何やってるんだい、三上君……」
これで3失点。更にノーアウト2塁。我らが渋山台高校は、早くも窮地に立たされた。純架が生真面目に言う。
「こりゃ100失点もあるかもね」
「観たことねえよ、そんな試合」
てっきり純架の奇行だと思っていたら違った。彼は指を振って俺を戒める。
「高校野球で122対0の試合がかつてあったんだよ。何でも奇行扱いしてもらっちゃ困るね」
そう言いながらチップスの欠片を鼻の穴に詰め込む。
奇行しながら言われてもな。
三上は奮起したのか、その後は安定したピッチングでこれ以上の被安打を阻止。試合は0対3で1回裏を終えた。
俺はティッシュで鼻を掃除している純架に尋ねた。
「三上はここまでずっと先発だったのか?」
「そうみたいだね。それによる疲労もあったのかな。これは途中降板、投手交代も視野に入れないとまずいだろうね」
「宇治川監督の判断はどうなんだろうな」
2回表の渋山台高校の攻撃。4番の3年生倉内先輩がお返しのソロホームランを放った。
「よっしゃあ! さすが4番!」
「景気づけにちょうどいいね!」
5番は背番号3、渋山台高校野球部主将の桃山卓志先輩。
『今大会では打率4割を超える桃山の出番です』
俺はテレビの液晶画面の向こうへ祈願した。
「頼みますよ桃山キャプテン!」
空振り、ファウルであっという間にツーストライク。しかし3球目のボール球をこらえると、ぐっと精悍な顔になった。
そして4球目はレフトへ。豪快な3塁打だ。純架が興奮して手を叩いた。
「やったね!」




