0042バーベキュー事件01☆
(二)バーベキュー事件
渋山台市内から車で一時間。辺りは夏の陽光に輝く緑の空間となり、間隙を縫った草いきれが鼻腔を快くくすぐる。英二のボディガードでもある運転手の黒服は、気分良さそうにハンドルを握り、都会の喧騒から離れた解放感に口笛でも吹きそうだった。
俺たち『探偵部』6名は、今日は代々谷山でバーベキューとしゃれ込む予定だった。そう、期末テストが終わった後、『探偵部』で多数決を取って決まったのが、今回の行楽なのだった。全員参加でないとつまらないということで、嫌がる英二も無理矢理参加させることにしたのは純架の手柄だった。
英二のメイドである結城は、いったん開催が決まると、全員の都合の良い日を聞き出して鮮やかに段取りを整えた。日取りが夏休みの最序盤に定まると、結城は英二の――信じられないぐらい金持ちの跡取りの――執事やボディガードたちと協議し、全ての準備を滞りなく済ませたらしい。この高級ワゴン車に食材以外の諸々の道具が積まれていないのは、今朝夜明け前、先乗りした取り巻きたちが既に現地でセッティングを終えたからだそうだ。
こうして単なるバーベキューは、英二の財力をバックに一大イベントと化したのだ。強引に参加させられた英二が、いつの間にか主人役となっているのが面白い。
俺は浮き浮きと、弾む心を気楽に眺めやっていた。何しろバーベキューなんて初めての体験だ。今から楽しみで仕方がない。
「嬉しそうだな、朱雀」
三列シートの中央窓際で、俺の隣に座る英二がどこかつまらなそうに言った。
「まったく、夏休み中の活動を勝手に決めやがって……。多数決は嫌いだな。大体この年になって今更バーベキューなど、何が楽しい。子供の遊びだろう」
英二は辛辣なことを口走る。俺は反駁した。
「大自然の中で飯を焼いて食う。それだけでも普段とは違う解放感に溢れてるじゃねえか。地球が織り成す悠久の営みの中に放り込まれると、人間は誰しも自分の小ささに気付いて殊勝になるってもんだ……なんちゃって」
「誰が小さいって?」
小柄な英二が言葉尻を捉えて目を剥いた。うわ、めんどくせ。
「誰もそんなこと言ってないだろ。過剰反応し過ぎだ。落ち着けって」
英二は俺を指差した。言葉に鋭い切れ味がある。
「いいか朱雀。俺は高校三年間で、必ずお前の身長を抜いてやるからな。今はともかく、将来は俺がお前を見下ろすんだ。分かったな」
「へいへい」
俺は適当に返し、なおも睨みつけてくる英二から後ろへ視線を転じた。ワゴンの最後尾は『探偵部』3名の女子が仲良く並んでいる。
そのうちの一人、結城が読書の手を休めて、心持ち前傾姿勢で黒服に話しかけた。切れ長の目でスタイル抜群、白いブラウスに紺のスカート姿だ。銀縁眼鏡を人差し指で押し上げる。
「それにしても英二様の行楽に、ボディガードの黒服があなた一名とは少な過ぎませんか?」
答えたのは英二で、彼は鷹揚に手を振った。
「俺が一人でいいと言ったんだ。どうせ誰も来ないんだし、『探偵部』の和気藹々を邪魔しなくてもいいと思ってな。それに山の麓に別働隊を控えてある。特に問題はなかろう」
結城は頭を下げたが、それでも不満げだ。文庫本を辿る視線が険しかった。
その結城の隣は、俺の恋焦がれる女、飯田奈緒。彼女は座席の中央で、隣の日向と談笑していた。紅色のデジタルカメラが話題の中心らしい。
「日向ちゃん、やっぱり撮るんだ」
「今日は新聞部関係なく、純粋に自分のために色々思い出を残したいと思ってます。いい写真が撮れたら後で差し上げますね」
「うん、お願い」
「それにしてもいい天気ですね。三宮さん、今日の場所は行ったことあるんですか?」
英二がだるそうに振り向く。まぶたが重そうだ。
「いや、ない。昔俺の両親が使ったことはあるそうだが……。おい沢渡」
「何でございましょうか英二様」
運転しながら黒服が答える。この人沢渡さんっていうのか。
「お前はそのとき一緒だったか?」
「はい、三宮剛様を先導する栄誉をたまわりました」
いつの間にか車は緩やかな崖道を走っていた。森林の背丈が下がり、梢の隙間から空が覗けている。
英二はあくびをした。今日は朝早く集まったのだ。彼もホストとして少し気疲れを起こしているのかもしれない。
「少し眠るか。結城、着いたら起こしてくれ」
「かしこまりました」
英二は両目を閉じて椅子にもたれかかった。程なく健やかな寝息を立て始める。寝顔だけ見ると、傲岸不遜な常態はあとかたもなく消えていた。俺はやれやれと溜め息を吐く。
「楼路君、君も一杯いくかい?」
しばらくして話しかけてきたのは、助手席に座る『探偵部』部長、純架だった。彼は水筒の蓋をコップ代わりに、椅子の隙間からそれを差し出してきた。中にはなみなみと、得体の知れない緑色の液体が注がれている。
「おい、何だこりゃ」
「何って、分からないかい? アボカド玉ねぎジュースだよ」
「飲めるか!」
「何だい、時代は今アボカドなんだよ。こんな絶品を拒否するだなんて、君も流行遅れだね」
純架は俺を馬鹿にした後、仕方なしに自分で蓋の中身に口をつけた。
「熱っ」
沸騰させた意味が分からん。
「しかし沢渡さん、その格好暑くないんですか?」
運転手の沢渡さんは、黒いスーツに同色のサングラスと、ボディガード然とした格好だ。ワゴン車の中は冷房が効いているからいいとして、到着して食材の運び出しとなったら焼死できるのではなかろうか。
「仕事ですから」
無口な沢渡さんはそう応じたのみだった。純架は火傷しないよう十分息を吹きかけてから、アボカド玉ねぎジュースをすする。
「三宮君は大企業の跡取りとか。やっぱり沢渡さんは命に代えても三宮君を守るんですか?」
「仕事ですから」
同じ答えが返ってきた。護衛とはこういうものなのか?
純架は不毛な問答を打ち切ると、脈絡なく北原白秋作詞、山田耕作作曲の童謡『待ちぼうけ』を口ずさんだ。
いつの時代の人間だ?
車は舗装されていない悪路の端で停車した。沢渡さんがエンジンに休息を与える。
「ここからは歩いて河原に向かいます。なに、3分もありません」
結城が前の座席の英二を、壊れ物を扱うようにそっと揺り起こした。
「英二様、着きましたよ」
結城は銀縁眼鏡を輝かせる。灰色の思慮深そうな瞳が慈愛に満ちた。英二はおもむろに目を開けると、すぐ眠りの女神のくびきから脱する。
「よし、行くか」
頬っぺたを一つ叩き、ドアを開けて車から降りる。と、情け容赦ない日の光が早速俺たちに敵意を示した。俺は早くもじっとりと発汗する。30度は余裕で超えてそうな気温だ。
「暑っ……」
皆同じ言葉を漏らしながら、ダンボール三箱分の食材を手分けして持ち出した。英二は貴賓を気取っているのか、荷物を結城と沢渡さんに任せて手ぶらで歩き出す。
空気の美味い森の中、そこだけは人工的な木組みの階段を下りていった。河のせせらぎと野鳥の鳴き声が鼓膜をくすぐる。
「うわあ……」
前方を歩いていた奈緒が立ち止まり、感嘆の声を自然に発した。
木々の間を抜けて立ち現れたのは、白い石ころが敷き詰められた、天然の極致というべき河のほとりだった。森林を左右に切り開いたようなそれは、大小も形態も様々な岩石で組み上げられ、秘境としての圧倒的な景観を誇っている。
そしてその中に、バーベキューコンロ、鉄板、トングなどの道具が、タフワイドドームテントと共に鎮座していた。何と仮設トイレまで設置されている。普通ここまでするか?
「ボウルやまな板、包丁などはテントの中にしまってあります」
沢渡さんが説明する。俺は荷物を脇に置くと、長く車で揺さぶられた体を伸ばして活力を取り戻した。血行が回復して生き返った心地がする。
「見て、魚が泳いでるよ!」
奈緒が河岸で水面を指差している。やがて彼女は河の縁にひざまずき、そっとその手を流れに浸した。
「冷たっ。こりゃ泳げないね。水着持ってきてないけど」
「撮りますよ、奈緒さん」
早速日向が写真撮影に踏み切った。奈緒が肩越しに笑顔を見せる。パシャリとシャッター音がして、本日最初の一枚を記憶メモリに登録した。微笑ましい光景だ。
「このコンロ、引き出し式だ」
純架が焚き木を楽しそうに入れている。網を持ち上げる必要がないようで、なかなか便利のようだ。
「火は僕が点けるよ。楼路君と三宮君は釣りでもしてきたまえ」
純架はチャッカマンを手に格闘を開始した。とにもかくにも火がなければ始まらない。まな板で野菜を切り始めた結城を尻目に、俺と英二は釣竿とバケツを持って下流に向かった。
「しかしこんなに道具が用意されてるって結構凄いな。誰かに盗まれる事態とか考えなかったのか?」
この問いに、英二は薄く笑った。嘲るような調子が紛れている。
「ここは三宮造船の要人しか知らない場所だ。俺たち以外誰も来ない。なんなら裸踊りでもするか、朱雀? どんな痴態でもし放題だぞ」
「するか!」




