0041紅茶愛好会事件05☆
釜田先輩が久地先輩の肩に手をかけた。彼ははっとして細い五指の持ち主を見やる。釜田先輩は完敗を認めていた。
「桐木君の言う通りです。久地君、ありがとう」
「いや、そんな……」
久地先輩は赤面した。この人が釜田先輩を好いていることが、これだけであっさり見抜けた。
審査結果は審査員5人中、久地先輩を除く4人が結城を支持した。ここに探偵部の勝利が確定したのである。部員一同ははしゃぎ回った。一方得意の分野で完敗を喫したことで、紅茶愛好会の5名は納得しているかのようだ。
先生方は「ごちそうさま、2人とも」と戦い終えた両者をねぎらうと、新部室の鍵を純架の手に握らせて退出した。
純架は鍵を見つめた。少々の間と共に、未練を断ち切るように釜田先輩に差し出す。
「もらってください、釜田先輩」
「えっ?」
この行動には誰もが仰天した。俺は忘我のときが過ぎ去ると、純架の腕を掴んで強く揺さぶる。到底納得できない発言だった。
「馬鹿、何言ってんだよ。勝負に勝ったのはこっちだろうが!」
純架は微笑んだ。
「僕は別に、初めから部室はいらなかったんだよ」
英二が当然のように問いただした。こちらはまだ冷静さを保っていた。
「どういうことだ、桐木」
「僕らの活動は別に今のままでも支障はない。でも釜田先輩の『紅茶愛好会』にとっては、部室があるとないとでは雲泥の差だ。家庭科室を借りて活動してきたんだろうけど、そんな肩身の狭い思いをこれから先も味わわせるのは気が引けてね」
釜田先輩、久地先輩、海藤先輩、新橋先輩、涼香。紅茶愛好会の面々は押し黙っている。純架は続けた。
「……だから僕はこの勝負で見てみたかったんだ。『紅茶愛好会』の本気度ってやつをね。本当に将来に渡って、真面目に紅茶を研究していくのかどうか。紅茶と真摯に向き合っていくのかどうか。そういう態度というか姿勢というか、そんなものが探りたかった。そしてその結果によっては、勝敗によらず部室を明け渡してもいいとさえ考えたんだ」
純架は紅茶愛好会5人を眺めた。一様に呆気に取られている彼女らに、美麗な笑みを絶やさない。
「そして釜田先輩や久地先輩、他の紅茶愛好会のメンバーの本気具合は、僕の想像以上でした。その点では完敗でしたね。……部室はお譲りします。これからはそこで皆さんの夢を育んでください。僕ら『探偵部』は今まで通り、放課後や早朝に僕のクラスに集まって、それを部室代わりとしますよ」
釜田先輩は鍵を握り締めて、この思いもよらぬ展開に震えていた。ストレートの黒い長髪が細かく揺れている。
「桐木君……」
やがてつぶやくように言った。その瞳に涙が浮かんでいる。
「ありがとう。大切に使わせていただきます」
純架は快心の笑みを浮かべた。夕暮れの家庭科室で、そこだけスポットライトが眩しく照らし出しているかのようだ。
「何、ただとは言いません。時には今日飲めなかった探偵部員たちに紅茶を振る舞っていただきますよ。それは勝者の特権としてお許しください」
久地先輩が愁眉を開いた。純架の上腕を軽く叩き、ついで力強く握手した。
「すまん、恩に着る。いつだって歓迎するぞ。俺が美味い紅茶を出そう」
海藤先輩がやれやれとばかりにポットやティーカップを洗い始める。
「桐木、男に二言はなしだからな。それはともかく、もう日暮れだ。さっさと洗ってとっとと帰るぞ」
その言葉で皆が動き出した。黒服たちも入ってきて、家庭科室は混雑するのだった。
帰り道、俺と純架は並んで歩いていた。初夏だけあってまだ辺りは明るい。虫の音が耳に心地よかった。俺は相棒に尋ねる。
「これでよかったのか?」
純架はリスを手に乗せ、「ほら、怖くない。怖くない」とささやいていた。だが差し出した指をリスに噛まれると一転、「痛いじゃねえか!」と怒号する。
『風の谷のナウシカ』ごっこだった。
「いや、良くはないんだけどさ。上手い具合にどこかの教室が空いて、僕らが使えるようになることを祈るよ。何か大きな事件が起きて、それを解決して手腕を認められたりしたら、きっと教師陣の方から使ってくれって言ってくるさ。僕らの夢はこれから、これから」
本当は誰よりも部室が欲しかったくせに、よくもまあやせ我慢して懐の広さを見せ付けたものだ。俺は後頭部で両手を組み、藍色のグラデーションがかかった空を見上げる。星が激闘を繰り広げた両陣営を慰めるように、華麗にまたたき始めていた。
「ま、お前が満足しているならそれでもいいけどな。……ああ、また紅茶が飲みたくなってきた……」
「どうやら気に入ったようだね。ま、以上がこの事件の全貌だよ、楼路君」




