0039紅茶愛好会事件03☆
「そうだね、私が審判するよ。他にも2名ばかり先生を選んでくる。紅茶を味わうんだ、せっかくだから両チームからも代表を1名ずつ選出して加わってもらおう。必ず不偏不党で、厳しく味を審査することを誓ってね」
久地先輩はこの案を了承した。
「よし、紅茶愛好会の代表はナンバー2の俺だ。そっちは?」
英二が俺に横目を使う。
「行ってこい、朱雀」
「俺でいいのか?」
「飯田や辰野は結城と仲がいいし、俺も含めて結城寄りに判定してしまうだろう。桐木は奇行を発してぶち壊しにするかもしれない。残された人間はお前だけだ」
奈緒が不平を漏らす。
「ちぇっ、つまんないなあ」
日向は新聞部らしく記者の目になっていた。
「これはなかなかのネタですね。当日は撮影しまくります。よろしいですね?」
釜田先輩と結城はそれぞれうなずく。田浦教頭が話は決まったとばかりに手を叩いた。
「では『探偵部』対『紅茶愛好会』の試合は、2日後の金曜日、放課後の午後4時としよう。どちらが先に淹れるかはじゃんけんで決めなさい」
じゃんけんの結果、まずは釜田先輩が、次いで結城が紅茶を作ることになった。
両者は力強く握手した。どちらも気合の入った表情になる。
「楽しみましょうね、菅野さん」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
殺気というものとは違う、相手の健闘を望む心意気が、一瞬だけみなぎって2人は離れた。
翌日、結城は珍しく学校を休んだ。明日の決戦を控えてどんな心境か、それを尋ねに来た日向が、結城の不在を英二から聞き出して空振りに嘆く。
「それにしても三宮さん、どうやら今日は警護なしみたいですね」
「いや、黒服はいるぞ。単に陰に潜んでいるだけだ」
忍者かよ。
日向は紅色のデジタルカメラを愛おしそうに撫でた。かつて階段で突き落とされたときにも壊れなかった頑丈な逸品だ。
「ともかく、明日菅野さんがどんな紅茶を淹れてくるか楽しみですね。今日の休みは確実にその研究に当てていると思いますし」
純架は首肯した。
「そうだね。『探偵部』の部室獲得がかかってるんだ、きっと全力で取り組んでくれることだろう」
純架の声にいまいち熱がこもっていないのが気になった。
そして金曜日がやってきた。田浦教頭、畑中祥子先生、青柳龍先生、俺、久地先輩の5名が審査することになった。
釜田先輩は紅茶愛好会をフル動員し、必要なものを全て揃えてきた。何といっても先手というわけで、若干の緊張がそのしぐさからも垣間見える。
一方、結城はなかなか現れない。今日は登校しているとの英二の言だったが、午後4時10分になっても舞台となる家庭科室には姿を見せなかった。
久地先輩が純架に意地悪な横目を使う。せせら笑うように言った。
「これは不戦勝かな」
『探偵部』部長は澄まして首を振る。
「後攻だから遅いだけかもしれません。これ以上菅野さんを待つこともないでしょう。釜田先輩、始めてください。先攻はあなたなのですから」
釜田先輩は久地先輩に目顔で尋ねた。久地先輩はうなずいて合図する。釜田先輩は長く鼻息を噴き出したあと、腕まくりをした。
「じゃ、わたくしから淹れさせていただきます!」
釜田先輩たちが家から持ち出してきたポットやカップ、奮発して買ったという茶葉の入った缶を並べる。純白のエプロンを巻いて、彼女は紅茶を淹れる準備に取りかかった。
まずはやかんに水道水を入れ、多めのお湯を沸かし始める。ちょっと多過ぎないか? その疑問を久地先輩にぶつけると、せせら笑うような返事を寄越してきた。
「まあ見ていろ」
釜田先輩は熱湯が出来上がると、ガラス製の透明なポットと白磁のカップの全てに注ぎ込んだ。
久地先輩が得意げに知識を披露する。
「美味しい紅茶を飲むためには、器を温めておく必要があるんだ。これを湯通しという。覚えておけ」
空になったやかんに再び水道水を注ぎ込むと、改めてコンロにかけた。
「分かるか朱雀。紅茶には汲みたての軟水が適していて、幸い日本は軟水に恵まれているんだ。この家庭科室の水は最適なんだよ」
釜田先輩はやかんの蓋を開け、中を確認した。再び久地先輩が解説する。
「釜田は温度を測ってるんだ。泡が5円玉くらいになるまで熱するのがベストだ。100度に沸騰した直後の、空気成分が多く含まれたお湯を使うのが正しいんだよ。ぬるくても沸騰し過ぎても駄目で、その場合は紅茶の香味が失われてしまうのさ」
どうも久地先輩は他人に知識をひけらかすのが趣味らしい。まあこの場合はありがたいんだけど。
釜田先輩はお湯が沸騰する前に、ポットのお湯を捨てた。そして開けた缶の茶葉は――また久地先輩が詳述する。
「どうだ、桐木。こいつは中国の「祁門」でグレードはオーソドックス製法のBOP――ブロークン・オレンジ・ペコーだ」
紅茶愛好会の面々が一斉に歓声を上げた。え、どういうこと?
「キーモンは世界三大紅茶の一つとされる、由緒正しき逸品だ。中国は上海の西に位置する安徽省祁門県で生産される古典的な茶葉で、黒褐色と針のような形状で知られている」
純架はさすがについていけなかったらしい。先生や奈緒と顔を見合わせるが、誰一人として分からなかったようだ。英二だけは熱心にうなずいていたが……
それでも久地先輩の熱弁は続く。
「BOPとはOPを揉捻する際にカットしたもので、サイズは2~4mm。芯芽を含む上級品だ」
釜田先輩が引き取った。
「6月はまだ摘み始めで茶葉的に十分ではないのですが、その分値段的には財布に優しかったですね」
ティースプーンを取り出して茶葉をすくった。久地先輩はもはや実況だ。
「一杯に2.5~3グラムほどを一人前とするんだ。温まった透明なポットに5名分、すなわち12.5~15グラムほどを入れるわけだな」
釜田先輩が恐らく万全の状態に仕上がったやかんを取り上げ、沸騰したばかりのお湯を注ぎ込んでいく。久地先輩がうるさい。
「お湯の量は1杯あたり150~160mlが目安なので、全体で750~800mlかな。ここまで目に見える失敗はない。さすが会長、大勝負に強いな」
釜田先輩はポットに蓋をして蒸らしに入った。ここで紅茶愛好会の面々が揃ってガッツポーズをする。
「やったな釜田!」
「さすがです、釜田先輩!」
ついていけない俺たち『探偵部』に、今度は新橋先輩が自慢げに胸を反らした。
「ポットの中でジャンピングが始まったんだ」
「ジャンピング?」
「ジャンピングは理想的な温度の熱湯を注いだときに起こる対流現象で、上の茶葉と下の茶葉が回りながら入れ替わり、3分後に全て沈むんだよ。イギリスの紅茶研究家ガーバス・ハックスレー氏が、『このとき茶葉の持ち味は全て溶け出すのである』と著しているぐらいだ。さすが会長、この土壇場でこれを引き出すなんて……!」
釜田先輩はストップウォッチで計測しながら、各カップを温めるために注いでおいたお湯を捨てる。そしてジャンピングがおさまったベストなタイミングで、スプーンをポットに差してひとかきした。
日向がその様子をデジカメで捉えていく。邪魔にならないように少し離れての取材だった。
釜田先輩は茶漉しを使用し、各カップに回るように紅茶を淹れていった。素晴らしい蘭の花香と、澄んだ黄色がかったオレンジ色の水色に、俺を含めた5人の審査員は感動を隠しきれない。紅茶愛好会会長は、最後の一滴まで注ぎ込んだ。
副会長が興奮してまたも解説する。
「最後の一滴は『ゴールデンドロップ』といって、一番美味しいとされてるんだ。良かったな、朱雀。お前もそれを味わえるんだ」
釜田先輩はスティックシュガーとスプーンを添えて、5人の審査員全員にカップを差し出した。
「出来上がりです。どうぞ召し上がれ」
田浦教頭が砂糖を入れて混ぜる。皆もそうした。一口飲むと、芳醇な香味が口の中一杯に広がって、天にも昇る心地だった。
「美味い!」
「美味しい!」
青柳先生、畑中先生が揃って激賞する。
「へえ、俺はいつも安物のティーバッグで済ましているし、それでも十分美味いと思っていたが……やっぱり本物は違うんだな。色艶、匂い、そして味。全てが次元が違う」
「そうですよね。専門店で出されるような、高級感あふれる出来栄えですね」
俺は2人の言に納得しながら、至福のティータイムを過ごした。
「こんな美味い紅茶、飲んだことがありません」
「だろう?」
久地先輩が目をつむり、余裕たっぷりに杯を傾ける。
「俺が認定するが、これは釜田が淹れた紅茶史上ナンバーワンの傑作だ。断言してもいい。菅野の腕でこれに勝る紅茶など作れるはずがない」
純架が物欲しそうな目で恨みがましく俺を見やる。
「少しぐらい分けてくれても良かったのにね、楼路君」
気付けば俺は全て飲み干していた。カップにはもはや一滴も残っていない。
「ああ、すまん」
海藤先輩が余裕たっぷりに純架を罵倒した。
「アホが、お前は審査員じゃないだろうが。間抜けめ」
しかしその直後、脇を向いて小声で付け足す。
「……飲みたかったら、お前も紅茶愛好会に入ればいいんだ」




