0038紅茶愛好会事件02☆
該当する扉を指し示した。やっぱりか。俺は頭をかいて、やや気の毒に思いながら指摘した。
「あの、釜田先輩。そこは俺たち『探偵部』の部室に決まったんですよ。残念ながら」
紅茶愛好会5人のうち唯一の男子生徒が――かなりの高身長だ――、不快感を露わにする。
「何を言ってる。これを見ろ。先生方による引っ越し承認のプリントだ」
「それなら僕らも持ってますよ」
純架と3年生男子とが互いに紙を見せ合った。どちらも転居先は部室棟1階2号室とある。見事なまでにバッティングしていた。
「これは一体……」
「僕ら紅茶愛好会の顧問は田浦教頭だ。今部室の鍵を探していて、そろそろ持ってきてくださる手はずになってる。ひとまずそれを待つとしよう」
そう時間もかからず、田浦五郎教頭先生は現れた。登山好きで体は頑健、中肉中背の50代だ。遠近両用眼鏡をかけていた。髭の濃さによるマイナス点が優しい両目で中和されており、黒く染めた髪はバーコード状だ。
「ずいぶん大勢いるね。桐木君がいるということは、君らは『探偵部』かい?」
「はい。ある意味ではカバディ部でもあります」
どこがだよ。
「実は教頭、問題が発生しまして……」
釜田先輩と純架がことのあらましを告げると、田浦教頭は眉根を寄せた。渋い顔を更にしかめる。
「なるほど、両方のプリントに同じ転居先が書かれている、というわけか。これは確かに一大事だね。ちょっと先生方に確認を取りに行こう。釜田さん、桐木君、職員室へ一緒に来なさい」
「はい」
教頭は2人を連れて本校舎へと去っていった。その後ろ姿を見送ってから、紅茶愛好会の男子生徒が俺たちに振り返る。
「僕は久地修太郎。紅茶愛好会の副会長を務める、3年1組の者だ」
久地先輩はオールバックに固めた髪で、一本ほつれ毛を額に垂らしている。剣道の武具を身に着けたらさぞかし似合うことだろう。男前だが近眼らしく、その瞳は紫がかっていて、コンタクトレンズを使用しているとはっきり分かった。
「悪いが部室は諦めてもらおう。君たちに3年生はいないようだし、ここは僕や釜田会長を引き立てて譲るべきだ。君たちには来年があるが、僕たちには最後の一年なのだからな」
英二がその理屈を打破した。歴然たる身長差にもひるむところはない。
「では来年になったら部室を譲っていただけるとでも? そんな権力はないでしょうに」
結城がご主人様の援護射撃とばかりに追い撃ちする。
「5人中2人が3年生なら、来年には会員は3人に減るということです。1年生6人の『探偵部』こそが部室の使用にふさわしいでしょう。……新橋芳実先輩、もうおひと方は2年生のお知り合いですか?」
緑がかったショートボブの女生徒が問いに答えた。お饅頭のような丸顔で、日本人形然とした白い肌とくっきりした目鼻立ちをしている。海藤先輩同様、少しぽっちゃり気味だ。
「菅野、違うよ。こっちは遠藤涼香。1年1組さ」
どうやら結城と新橋先輩は顔見知りらしい。日向が珍しくおかしそうに口を挟んだ。
「遠藤さんは紅茶なんて興味ないでしょう。私と同じクラスですけど、久地先輩久地先輩ってことあるごとに……」
涼香が慌てた。こちらはパーマの茶髪をヘアピンで無理矢理まとめている、実に今風の女子高生だ。ささくれだった顔つきには特殊な美がある。
「馬鹿、辰野ちゃん! その話はここでしないでよ!」
久地先輩が涼香に問いかける。首を傾げていた。
「何だ? 僕がどうかしたのか?」
「な、何でもありませんよ、先輩」
ふむ、このバレバレの態度からして、どうやらこの涼香は久地先輩目当てで紅茶愛好会に入ったらしい。もっとも鈍感なのか、今に至っても久地先輩は気付いていないようだ。
話はまた元に戻った。海藤先輩が俺を憎々しげに指差す。眼光も指先も鋭い。
「お前と桐木はいちいち目障りなんだよ。部室はあたしたちのもんだ。さっさと引き下がれ」
「そうはいかんでしょう。てか遠藤先輩は2年で吹奏楽部だってのに、紅茶愛好会と兼任するってのはどういう神経なんですか? 勉強とか吹奏楽コンクールとか、色々やることは山積みでしょうに」
海藤先輩は鼻を鳴らして一蹴する。俺は彼女と英二が相撲対決したらどうなるだろうと、馬鹿な妄想を展開した。
「悪かったな。やることが山積みだからこそひと息入れたいんだよ。昼休みに会員が淹れた美味い紅茶を飲むのは、精神的にも健康的にもいい効果があるんだ」
新橋先輩が結城を拝む。まるで神様に祈るようだ。
「なあ菅野、今回ばかりは譲ってくれ! 愛好会の充足した活動や来年の新入会員獲得のためにも、専用の部室は必要なんだ。頼むよ」
「そう言われましても……困ります」
久地先輩が攻め口を変えた。俺たちを諭すように口説く。
「大体『探偵部』とはいっても四六時中事件を抱えているわけでもないだろう。事件がなければただのだべり部じゃないか。違うか?」
俺も部員たちも押し黙った。まあそうなんだけどさ。
「ほら見ろ。その点紅茶愛好会はどうだ。世界各国の紅茶をたしなみ、その香りや色、味わいを堪能する。まさに紅茶で世界を旅するんだ。こんな優れた活動は他にあるまい。違うか?」
待ったをかけたのは英二だ。見上げる目つきに気後れはない。
「何をおっしゃってるんですか? 要は紅茶愛好会も、ただ紅茶を飲んでだべっているだけじゃないですか。『生徒連続突き落とし事件』等を解決している『探偵部』に比べたら、紅茶愛好会なんて誰の役にも立っていないでしょう」
英二は『探偵部』を守りたいというよりは、相手のくどさに苛立っている風だった。久地先輩が熱くなり、早口でまくしたてる。
「それは紅茶の素晴らしさを知らない人間のいいぐさだ。お前はまことの紅茶を喫したことがないからそんなことが言えるんだ。本物は美味いぞ。これが同じ紅茶かと驚くほどにな。可哀想な奴」
これはやはり、英二に笑殺された。彼は三宮造船の御曹司であり、それこそ味覚に関しては我々凡人の及ぶところではないのだ。紅茶にしたって、一流中の一流を毎日喫しているだろう。
「ならおうかがいしますが、『探偵部』の菅野結城より美味い紅茶を出せる人間が紅茶愛好会にいらっしゃるんですか?」
結城は突然名前を出されても平然としていた。久地先輩がまばたきを繰り返しているところへ、田浦教頭と純架、釜田先輩が戻ってくる。
俺は両活動の口喧嘩に閉口していたので、むしろ助け舟が来たと3人に話しかけた。
「それでどうだったんですか、先生」
「いやあ、担当教員の初歩的なミスだったよ。『探偵部』と『紅茶愛好会』の両方に、ついうっかり同じ部室――部室棟1階2号室を割り当ててしまったみたいだ。すまなかった」
純架は肩をすくめ、戻し、すくめ、戻し、を繰り返す。
何のトレーニングだ?
「こっちは6人、そっちは5人。部活として成立しているのはこちらです。釜田先輩、どうか諦めてくれませんか?」
これに激怒したのは久地先輩だ。髪の毛が逆立つほどの憤慨を放射する。
「ふざけるな。せっかく1年生の遠藤という新入会員が来て5人となり、特別に部室を持つ許可も得たんだ。さあこれからだってときに、その宝を奪われてなるものか。……田浦教頭」
先生に顔をめぐらした。
「教師の凡ミスで弾かれるなんて冗談じゃありません。他に空いている部室、または使用されていない教室はないんですか?」
田浦教頭は頬をかいた。困惑の波動が視認できるかのようだ。
「残念ながら一つもないんだ。ここは桐木君の言うように、6対5だし、何とか耐えてくれないか?」
「無理ですよ!」
久地先輩は怒声を放った。ここを先途とまくし立てる。
「じゃあ紅茶で勝負させてください。うちの釜田会長とそちらの菅野、どちらがより美味しい紅茶を淹れられるかで競い合うんです。そして勝った方が部室を獲得できる。どうですか?」
英二が腕を組んだまま大声で対抗した。
「おう、やってみてくださいよ! 絶対無理ですから!」
俺は慌てて彼を抑えた。事態を軟化させるために苦笑いさえする。
「落ち着けよ三宮。相手は紅茶部だぞ、相当な腕前のはずだ。そんな危険な話は許容できないな」
奈緒が異口同音に純架に主張する。
「こんな不利な勝負はないわ。当然断るわよね、桐木君」
しかし……
「いいですよ」
部長の即断即決に、俺も奈緒も開いた口が塞がらなかった。数瞬後、俺はわめく。
「おい純架! 正気か?」
「正気も正気だよ、楼路君。久地先輩、やるからには徹底的に戦いましょう。僕らを代表してくれるよね、菅野さん」
結城はかしこまってお辞儀した。その挙措は闘志が剥き出しで、過去最高の真剣さがうかがえる。
海藤先輩が純架を馬鹿にしたように罵った。
「ふん、釜田に勝てるものかよ。……ルールはどうするんだ?」
釜田先輩がしばしの熟慮ののちに提案する。
「茶葉や道具の持ち込みは何でもありの乱闘スタイルで。勝負には家庭科室を使いましょう」
くすくすと上品に笑う。
「ぜひとも美味しい紅茶を淹れて、本気でかかってきてください。その方がわたくしも張り合いがありますし、審査してくださる人々にも素晴らしい体験を授けてくれることでしょうから」
田浦教頭が調停役として、脇からアイデアを出した。




