0023生徒連続突き落とし事件01☆
(六)生徒連続突き落とし事件
吸い殻を巡る事件から数日後。世間は『クレーン車が転倒、バスが下敷きに。死傷者8名』というニュースを連日報道していた。近県で嫌な事故が起きたものだが、さりとて俺の日常に変わりはない。
その日、俺は一人カラオケで散々歌い尽くし、喉の調子を悪くして帰宅した。今日の料理当番は兄貴の賢だ。俺は自室に入って普段着に着替えると、1階のキッチンに向かった。腹はぺこぺこだ。
両親がテーブルについていた。打ち沈んだ、この世も末かと案じるような絶望的な顔。兄貴も無言で彼らに対面している。まるでお通夜だ。
俺が入室すると皆こちらに気づいて一斉に振り向いた。お袋がしわがれた声を出す。
「楼路、座りなさい。大事な話があるの」
俺は上々だった気分に冷水をぶちまけられた。「大事な話」とやらは想像がつく。大人しく席に腰を下ろした。親父とお袋は一瞬目線を交錯する。お袋が俺に気まずそうにぼそりと言った。
「私たち、今度正式に離婚することになったの」
俺は足元から闇が這い上り、心臓を取り巻いたように感じた。どこかで楽観し、あまり仲裁に入らなかった過去の自分を後悔する。だが、もう手遅れだ。
二人はこの数ヶ月間幾度となく話し合った。怒鳴り合いまでした。それは結局、離婚という結末へ転落する前段階だったのだ。俺は二人の指を見た。結婚指輪はどちらの手からも見出せない。覚悟はできている、ということだ。
「もうあまり時間がないわ。楼路」
お袋がこちらをひたと見る。その瞳に尻込みする俺が映った。
「あんた、どちらについていきたいの?」
これほど葛藤を要する質問は中間テストでもなかった。というより、生まれてこの方、こんな残酷な問いかけはなかったといっていい。
俺は窒息しそうな息苦しさに襟元をくつろげた。
「どっちって……」
三対の目が俺を注視する。俺はテーブルの下で拳を握ったり開いたりした。「離婚なんてやめようよ!」とは言えない。俺の想像を絶する極めて困難な人生を、二人は既に歩もうと決めているのだから。
俺に言えたのはしょうもない答えだった。
「時間をくれ」
一同が緊張を解いた。そんな中、親父が素早く低音の声をかけてくる。
「賢は俺についてくるといった」
兄貴はすまなそうにうつむいた。そう、これは自分たちの、両親の未来を決定する大事な選択なのだ。お袋が若干身を乗り出す。
「もうあまり時間はないよ。そうね、2週間以内には結論を出して」
「分かった」
兄貴が立ち上がる。どうやら調理途中だったようで、彼は椅子の背に掛けてあったエプロンを手にした。
「話はそれだけだ、楼路。すぐ夕食にするから待ってろ」
賢が背後で紐を結ぶと、親父もお袋もばらばらに立ち上がった。俺はこの食卓がもうじきなくなるんだ、と思って泣きそうになった。
雨の強い一日だった。これで梅雨になったらどうなるんだ? 1年3組担任宮古博先生は、朝のホームルームで出欠を取ると、「これが今日の本題」とばかりに教壇に両手をついて話し始めた。
「実は今日から、このクラスに転校生が加入することになった」
頬を緩める。室内はざわめき、誰かの短い口笛が甲高い音を立てた。宮古先生は生徒たちを見渡し、散々もったいぶってから動く。
「おい、入って来い」
ドアの向こうに声をかけた。引き戸が開き、現れたのは……
「ちっちゃ!」
教室一の噂好き・祭り好きの久川が、失礼な一言を条件反射で放った。だがその言葉に異論を差し挟むものはいなかっただろう。確かに入室してきたのは、明らかに150センチ台半ばの小柄な少年だったのだ。その類まれな造作の顔に、主に女子から歓声が上がる。
少年は久川の一撃に不快感を剥き出しにして、不機嫌な面構えで教壇そばに立った。宮古先生は久川をひと睨みすると、黒板に名前を書き出す。『三宮英二』――
「彼が転校生、三宮英二だ。仲良くしてやってくれ」
英二は純架に匹敵する美貌と小さい背丈が特徴だった。格好いいというより可愛いという部類に入る。茶色の髪は癖っ毛で手入れが大変そうだ。瞳は穢れを知らぬ純朴さで、鼻は生意気そうに尖っていた。
「三宮、挨拶しろ」
英二は頭を下げた。きちっとした、いいお辞儀だった。
「これからお世話になる三宮英二だ。よろしくな」
「ほれお前ら、拍手拍手」
教室は手を叩く歓迎の旋律に埋まる。立ち上がって拍手するお調子者もいた。
二枚目という点では純架にとってライバル出現だ。そう思って純架を見ると、彼はルービック・キューブを全力で解いていた。解けないことに頭にきたのか、シールをめくって貼り直し、無理矢理各面を揃えようとしている。
ルービック・キューブあるあるだった。
宮古先生が転校生に指示する。
「じゃ三宮、一番後ろの席が空いてるだろう。そこに座れ」
「分かりました」
英二が歩き出すより早く、普段目立たない女子、菅野結城が立ち上がった。空いている席の後ろに素早く移動して椅子を引く。英二は傲然とそれに座った。結城はメイドのようにうやうやしく一礼する。
宮古先生は目を白黒させていた。
「なんだお前ら、知り合いなのか?」
転校生と知り合いとは、確かに驚嘆に値する。結城はうなずいて朗々と答えた。さも当然と言わんばかりだ。
「渋山台高校が英二様にふさわしい学び舎かどうか、春より下調べしていまいりましたが、合格とさせていただきました。そこで英二様及びその父剛様にご転校を具申したのです。もちろん、英二様直属のメイドとして、これからも本領を発揮させていただく所存です」
俺は改めて彼女を見た。結城は一言で言えばクールだ。制服は皺一つなく、銀縁眼鏡の奥のグレーの瞳は底知れない。知的な見た目を擁しており、鋭利な刃物のような印象だった。栗色の髪は背中まで伸びている。
彼女の突然の告白に、宮古先生もクラスのみんなもたじろがざるを得ないようだった。
「メイドって……。ま、まあいい。菅野。じゃあ三宮をよろしく頼む」
「承知いたしました」
「席につけ」
「はい」
結城の堂々たる物腰に、あっけにとられぬ者はいなかった。こんな高校デビューに直面するとは、正直誰も予想だにしていなかったに違いない。結城は澄ました顔で英二に視線を注いでいる。宮古先生は調子を取り戻すのに苦労しながら、その他の伝達事項を早口に述べた。
担任が去ると、早速英二はクラスの男子に囲まれた。転校生がもてはやされるのはどこの学校でもよくある風景だ。
「俺、貝川。これからよろしくな、三宮」
「メイド付きって、ひょっとしてお金持ち?」
「俺は篠田。昼休みに学校を案内してやるよ」
「なあなあ、一体どこから転校してきたんだ?」
英二は彼らの砕けた問いかけに一切答えず、急に椅子を蹴立てて立ち上がった。目をしばたたくクラスメイトたちの間を縫い、純架の席に近づく。純架はキューブのシール張り替えをようやく終えたらしかった。
「やっと解けた」
解けてない。
英二が大声で呼びかける。声変わりしていない高い声だった。
「おいお前!」
純架は今ようやく英二の存在に気づいたらしい。まだ名前が書かれたままの黒板を一瞥する。
「サンキュー・エイジ……。『ありがとう時代』か。どういう意味だろう?」
英語じゃねえよ。
「やあ、三宮英二君。僕に何か?」
英二は怒り心頭に発していた。腕を組んで眉尻を上げる。目から火が出そうだった。
「俺の紹介から今まで、ずっとルービック・キューブで遊んでいたな。失礼だろうが」
純架はてへぺろしながら素直に謝る。美少年二人の会話にクラス中が引き込まれていた。
「ああ、ごめん。一応キューブの国内大会に出る予定なんで、練習に没頭していたんだ」
えっ、シール張り替えで?
結城が主人に耳打ちした。聞くものの居住まいを正させる、冷徹な声だ。
「英二様、彼は『探偵同好会』会長の桐木純架です。渋山台高校一の変人です。お関わりにならぬことが肝要かと愚考します」
「変人か……確かにな」
英二はせせら笑った。教室はしんとして、気温が若干低下したように感じられる。
「どうせろくな教育も受けず、まともな礼儀も教わらず、今日まで怠惰に生きてきたに違いない。そうでなければそんな失礼な真似はできないだろうからな。いや悪かった桐木、気にしないでくれ」
嫌味ったらしく罵倒すると、英二は今度は久川の席に向かった。彼の机に勢いよく平手を叩き付ける。誰もがどきりとする乾いた音に、久川はぎょっとして身を引いた。
「お前は俺のこと『ちっちゃ!』とか言ってたな。言い訳があるなら聞こうか」
久川は顔を引きつらせている。脂汗がこめかみのあたりに早くも浮かんでいた。
「あれはついつい出てしまった言葉だよ。そんなに深い意味もないし、悪口を言うつもりはなかったんだ。そうカッカするなよな」
しかし英二はそれで納得するたまではなかった。言語の釘を相手に突き刺す。
「謝れ」
「は?」
「謝れ、といっているんだ。聞こえなかったか? それとも耳が遠いのか? どうなんだ」
久川は救いを求めて教室を見渡した。だがフォローしてやるものはいない。俺も自業自得だと思って無視した。純架も面が揃ったルービック・キューブを眺めて悦に入っているだけで、二人にまるで関心を向けていない。




