0002桐木純架君01☆
(一)桐木純架君
俺は周りから吹き付けられる殺気、みなぎって破裂しそうな緊張感に舌なめずりした。俺より背の高い高校生4人――と分かるのは俺と同じ紺のブレザーに身を包んでいたからだ――が、前後左右に位置して包囲網を完成させている。高校初日に先輩方とトラブルとは申し訳ないが、これも自業自得という奴で、まあ仕方がない。
まだ4月の初旬ということもあり空気は冷え切っていた。やや強めの涼風が俺の剣山のような黒髪をなぶって過ぎ去っていく。陽光は今ようやく目覚めたとばかり、この俺たち以外無人の公園を横殴りに叩いていた。滑り台や鉄棒が銀色に鈍く光っている。通りすがりの中学生が立ち止まり、こちらの様子を不審そうに眺めていたが、荒くれどもの一睨みで退散していった。
「肩がぶつかった程度でよくもまあいきり立つもんっすね」
俺は4人の高校生を一渡り眺め、挑発するように吐き捨てた。俺の上級生であろう男たちの中で一番がたいのいいリーダー格が、舌なめずりして拳を鳴らす。幼稚園児が作った粘度細工のような凶悪な面だ。まあ俺も人のことを悪罵できない器量ではあるが。
「てめえふざけてんのか? 肩がぶつかってこちとら骨折したかもしれねえんだぞ。慰謝料一万円を支払うか、俺たちに殴られるか、どちらか選ぶよう言ってんだよ。どうなんだ、こら」
「ふん……」
俺はすでに覚悟を決めている。もともとむしゃくしゃしていて、自分から強そうなグループに向かって肩をぶつけたのだ。それで慰謝料を請求されるとは思わなかったが、ともかく喧嘩ができる状況に持ち込んだ。「近くに公園があるからそこで話をつけよう」と、我から誘ってここへ来たのだ。
そう、俺は頭にきていた。今朝も両親は親権がどうの、養育費がどうのといった言い争いを、俺と兄貴の目の前で大声で繰り広げたのだ。うんざりして情けなくて、俺はどこかへ全力で叫び出したい気分だった。何も渋山台高校入学式の日に、冴えない離婚話などせずとも良かろうに。かくして俺はたまりかねて、両親を置いてさっさと高校へ出発したのだ。途中でカモになりそうな4人を見つけたのは、ほんの偶然のなせる業だ。
腕時計を見る。校門が閉まる8時半までには、勝つにせよ負けるにせよケリをつけたい。俺は鞄を地面に落とすと、両拳を固めて身を縮こまらせた。男たちが失笑する。
「そんなに殴られたいか? ならお望みどおり……」
一触即発の空気が心地よく、俺は体表を強張らせた。真正面の学生にウエートの乗った一撃を見舞おうと、膝を軽く曲げて狙いを定める……
と、そのときだった。
「待ちたまえ!」
公園の入り口から強く鋭い制止の声がかかった。俺と男たちは聴覚に狂いなく、一斉に同一方向を向く。息を呑んだのは俺だけではなく、他の4人も同様だった。
そこに立っていたのは、俺たちと同じ渋山台高校の制服をラフに着こなした、少女のような美しい顔の持ち主だ。
いや、美しいなんてものじゃない。眉目秀麗、容姿端麗。名匠の偉功の成果と感受せられる絶対的な美貌の持ち主がそこにいた。肌も雪のように白く、中世ヨーロッパの貴族のような、耳と額が隠れる黒髪が恐ろしいほど良く似合っている。こんな綺麗な男など、俺も、恐らく4人の連中も、今まで見たことがなかった。
何だこいつは。俺は時ならぬ闖入者に、その完璧な相貌に、思わず視線が釘付けとなる。
だが驚くべきはこれからだ。
その高校生はいきなり地面にうつ伏せになると、しゃくとり虫のように腰を掲げ、ずるずると前進を開始したのだ。へこへこと、その情けない体勢でじわじわ俺たちの元へ近づいてくる。殺人的に緩慢な進行。俺も4人も、あまりの格好悪さに声も出ない。
そんな俺たちの目など気にすることもなく、彼は前方を凝視し、マイペースに腰を上げ下げしながら、たっぷり一分かけてとうとうこちらへやってきた。そしてゆっくり立ち上がると、埃まみれの制服を両手で何度かはたいて綺麗にした。鈴の鳴るような声で詫びる。
「見苦しいところをお見せした」
全くだった。
あっけに取られていた男たちが我に返ったように凄みを利かせる。スキンヘッドの戦車のような男が美少年に矛先を向けた。
「何だ、てめえは?」
しかしその声の震えから、異様なまでの美男子と、その彼が行なったしゃくとり虫前進――つまりはあれだ、奇行だ――とに度肝を抜かれたままなのはほぼ間違いなかった。
俺自身も平衡感覚を取り戻すのにだいぶ苦労する。住む世界の違う異星人に話すような感じで、ようやく謎の男子に忠告した。
「おい、お前。助太刀ならいらねえよ。これは俺と先輩方の問題だ。部外者は引っ込んでいてもらいたいな」
美少年はにこりと笑う。怪鳥のように両手を広げた。
「そうはいかない。彼らと喧嘩したいというなら、まずは僕がお相手しよう」
「は?」
次の瞬間、彼は俺に飛び掛ってきていた。反応する間もなく腕を掴まれた俺は、あっという間に投げ飛ばされた。地球が半回転し、地面に倒される。一本背負いだ。腰をぶつけたが手加減がしてあって痛くはない。
俺はいきなりの早業に、ただただ呆然としていた。俺の足をよけた先輩が目を白黒させている。俺もそんな状態だっただろう。
「どうですか上級生の方々! もっともっと痛めつけますか?」
美男子は俺の服を握り締めたまま、4人に笑みを含んで問いかける。連中はどうしたものか迷っているらしく、その困惑の波動が俺にも知覚された。
美少年は返事がないと見るや、今度は俺を腕十字に捉えた。肘を極める関節技で結構痛い。だがこれも本気の掛け具合ではなかった。
「おい、放せよ」
「どうです皆さん! 腕を折っちゃいますよ!」
4人の間に明らかなしらけムードが漂っていた。これからボコボコにのしてやろうと腕まくりしていた相手が、横から来た絶対的かつ衝撃的な美貌の持ち主に攻撃を受ける。これほどシュールかつ異様な情景には未だかつてお目にかかったことがないに違いない。つか、俺だって訳が分からん。
やがて男たちのリーダー格が虚脱し、間の抜けた声を発した。
「何だお前。馬鹿かよ」
美少年は俺を極め技から解放すると、針金のように立ち上がった。前髪をかきあげる。
「馬鹿とは失礼な。僕は渋山台高校新1年生、桐木純架です。まつじゅんと呼んでください」
まつがない。
この立て続けの奇行で、上級生たちはあからさまに毒気を抜かれていた。さっきまでの緊迫感が嘘のように消尽している。
「知らねえよ、ボケが。いつまでも勝手にやってろ」
彼らは「行こうぜ」とお互いをうながしながら、俺と純架を残して公園から出て行った。その姿は建物に隠れてすぐに見えなくなる。彼らはたとえUFOを肉眼で確認したとしても、ここまで手酷く常識を打ちのめされることはなかっただろう。現実感に乏しい幕切れだった。
純架が俺に手を差し伸べる。絹のように滑らかな、きめ細かい肌だ。
「どうやら作戦名『レッド・オクトーバーを追え』、うまくいったようだね」
誰がショーン・コネリーだ。
「何がうまくいった、だ」
俺は彼の掌を無視して起き上がると、背中や足に付いた土埃を払った。何となくみじめでいたたまれない気分に陥る。
「余計な真似しやがって……。てめえ、俺に喧嘩売ってんのか?」
美少年はいかにも心外とばかりに肩をすくめた。落雷に打たれたかのように爪先立ちした、大仰で芝居かかった動作だ。
「まさか。不穏な空気を察知したから止めに入っただけだよ。そのおかげで君は怪我一つなく窮地を切り抜けられたんじゃないか。迷惑だったかい?」
「迷惑だ」
俺は鞄を拾うと、改めて純架を見た。やはり冬眠中の熊が一瞬で目覚めるほどの美形だ。女だと言われても納得してしまうだろう。
「お前、1年とか言ってたが……俺と同じ新入生か? 渋山台高校の?」
「その通りだよ。君、名前は?」
俺は脇に唾を吐き捨てた。この馬鹿相手に喧嘩をやる気も起きず、消化不良で胸くそ悪い。
「俺は朱雀楼路だ」
「もう二度と喧嘩はしないと約束してくれるね?」
何なんだこのおせっかい野郎は。俺は面倒くさくなって粗雑に返した。
「ああ、ああ、しないよ。する気が失せた。じゃあな、色男」
俺は純架を背後に、すっかり白けきって公園を出た。
まったく何て朝だ。今から喧嘩の相手を見つける気にもなれないし、さっきの連中に追いついて続きをやろう、とも言えない。むしゃくしゃは俺の体内に凝り固まって、吐き出せばボーリングの球ぐらいにはなりそうだった。それでさっきの奇行野郎をピンに見立てて、思い切りストライクを取りたい気分である。