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学園ミステリ〜桐木純架  作者: よなぷー
桐木純架、登場す
16/156

0016変わった客事件03☆

「えへへ」


「お礼に一杯おごるよ。何がいい?」


「嬉しい。そうね、じゃあカフェオレ一つ」


 俺と奈緒が(なご)んで話していたときだった。


「泥棒!」


 外で甲高い悲鳴が上がった。店内の人間全てが金縛りにあったかのように一瞬静まり返る。その直後。


「すぐ戻る!」


 あの老人が席を立ち、怒鳴りながらドアに駆け寄ると、思い切り押し開いて飛び出していった。俺は一瞬躊躇(ちゅうちょ)したが、マスターに目配せすると、老人の後に続いて戸外へ走り出た。


 そのときにはもう、泥棒――引ったくり――に、老人が掴みかかっていた。しかし力の差はいかんともしがたく、老人の手はもぎ離される。尻餅をつくその脇をすり抜け、俺はラグビー選手のように引ったくりへ躍りかかった。両腕が泥棒の腰に上手いこと引っかかったので、俺は歯を食いしばって死に物狂いでしがみついた。引ったくりは30代前後で白いジャージ姿のうえ体格が良く、手に掴んだ女性用手提げ鞄――ブランド物だ――を鷲掴みにし、組み付いた俺を猛獣のように引き()がそうとする。だが俺はテレビの格闘技番組で得た知識を生かし、男を持ち上げ、足を払って地面に横転させた。


 倒してしまえば制圧はたやすい。俺は老人に手伝ってもらい、まだ手足をばたつかせて抵抗を試みる引ったくりをうつ伏せに寝かせて、その上に腰を下ろした。


 俺と老人、泥棒の三者が汗みどろで粗い呼吸をする。冷たい小雨が気持ちよかった。やがて50代らしき年配の婦人が傘も差さずにこちらへ走り寄ってきた。


「ああ、私のバッグ……!」


「奥さんのものでしたか」


 老人がにこやかに笑った。婦人は息を切らしながら、俺と老人にこめつきバッタのように何度も頭を下げる。


「ありがとうございました、ありがとうございました」


 老人は婦人をうながした。


「さ、警察に電話を。110番です」


 俺は耳を疑った。思わず聞いてしまう。


「えっ、あなたは警察ではないんですか?」


「は?」


 老人は目をしばたたいた。ややあって答える。


「昔は県警刑事部捜査第一課で働いてましたがね。6年前に定年退職して今は悠々自適に暮らしてます。何だと思ったので?」


 俺はさぞかし間抜けだったろう。


「いや、その、現職の刑事さんで、いつもうちの店で張り込みをしているものだと……」


「ははは」


 老人は莞爾(かんじ)と笑った。


「現役時代の昔ならともかく、今は張り込みの協力なんかしちゃいませんよ。あなたは『シャポー』の店員でしょう? ずっとそう思い込んでいたのですか?」


 俺は耳朶(じだ)が熱くて仕方がない。老人は気遣った。


「私は光井欣也(みつい・きんや)。今は盆栽いじりが趣味のしがない一老人ですよ。私のおかしな来店がお気になったのでしょう? あれには訳があるんですが……」


 言い(よど)む。


「いえ、それは私の秘密としておきましょう。そうさせてください。極めて個人的なことですから」


 そこでおまわりさんが駆けつけた。




 俺は傘を差しながら警察の現場検証に立ち会い、何が起きたかを事細かに話した。光井さんも婦人も同様だった。引ったくりは手錠をはめられ、パトカーに乗せられて署の方へ去っていった。一件落着。


「大捕り物だったね」


 喫茶店に戻ると奈緒が興奮して問いかけてきた。目の前で引ったくり未遂事件が発生し、さぞや店内は客足ガラガラだろうな……と思っていたが、(あん)相違(そうい)してかなり埋まっていた。


 桜さんが俺の肩を叩く。


「いい見世物だったよ。おかげで特等席で見ようと客が殺到したんだ。よくやったな、坊や」


 けらけらと笑う彼女に、俺は謙遜(けんそん)した。


「別に、大したことじゃないですよ。光井さんは?」


「光井?」


「あのカフェラテ老人ですよ。さっき引ったくりを取り押さえた際、名前を聞いたんです」


「ああ、光井さんっていうのか。あの人ならさっき戻ってほら、いつもの場所だよ」


 俺より早く聴取が終わっていた光井さんは、先に戻って、またいつもの特等席で雨の世界を眺めていた。時間が過ぎて午後2時になると、判で押したように帰っていった。


 いったい、この人は何がやりたいんだろう?




「というわけで未だ分からずじまいさ。張り込みでもないとすると、一体何が目的なんだ? さっぱり分からん」


 俺は純架と電話で話していた。バイトも残り二日。このまま事件は迷宮入りの様相(ようそう)(てい)してきた。


 純架はうなった。


「ふうん、聞いても教えてくれなかったんだ」


「ああ。もうお手上げだよ。お前は何の力にもなりゃしないし、これは諦めるしかないかな」


「いいや」


 純架が居住まいを正したような雰囲気があった。声に熱がこもる。


「光井さんが質問に答えてくれないなら、これは僕の出番かな」


 やっとやる気を出したようだ。


「その人の名前は光井欣也、だっけ? 6年前まで県警刑事部捜査第一課で働いていたんだっけね。60歳で定年だとすると今66歳か」


「それで何か分かるのか?」


「6年経っている、そこさ。明日は6日、土曜日だっけ。図書館は開いてるかな?」


「そういえばお前、引っ越してきたばかりだったな。開いてるよ。いつもより閉館時間が二時間早いけど。……って、図書館に何かあるのか?」


「分からない。行ってみないとね。『探偵同好会』会長として、僕が光井さんの謎を必ず解き明かしてみせるよ。何としてもね。君は泥舟に乗ったつもりで安心したまえ」


 沈んでしまう。




 5月6日。長かったようで短かったゴールデンウィークも明日で終わり。土曜日ということもあって、客はひっきりなしに来店した。もちろん光井さんもだ。


 俺の人生初のアルバイトは、どこか見知らぬ異次元に迷い込んだような感覚のまま終わろうとしている。光井さんと出会い、その正体を突き止めたがったのも、そうした亜空間の中で揺動した結果だ。明日が終わり、明後日月曜日ともなれば、また学校の授業が繰り返される日々が始まる。そうなれば『シャポー』も『MIKI FLOWERS』も引ったくりも光井欣也も、もう俺と関わりなくそれぞれの未来を歩んでいくことになる。それが俺には少し寂しかった。


 光井さんはやはり2時に帰った。俺は帰宅後、そのことを報告がてら純架に電話した。


「どうだ? 図書館に行って何か分かったのか?」


 純架の返事はのらりくらりしていた。


「明日、僕が『シャポー』に行くよ。そこで光井さんと話そう。何たって僕は、光井さんと会ったことさえないんだからね。答え合わせに応じてくれるかどうか、そこが心配だよ」


「何か分かったんだな。ちょっと教えてくれよ」


「明日がゴールデンウィーク最終日なんだよね、楼路君。君はこんな挿話(そうわ)に心を寄せることなくアルバイトに集中するべきだ。そして稼いだ金を僕のポケットにねじ込みたまえ」


 誰がするか。


 と、そういえば。


「明日、飯田さんを呼んでもいいか? 彼女も知りたがるだろうし」


「いいよ。というか彼女は『探偵同好会』の秘書なんだ。来て当然というべきだよ」




 そしてとうとう5月7日が訪れた。


「よく頑張ったな、坊や。見直したぞ。最後の勤務を楽しもうぜ」


 桜さんがにこやかに()めてくれる。俺はちょっと泣きそうになった。


「本当は継続して来てほしいんだけどねえ。高校生だからねえ……」


 春恵さんがしみじみ話す。お腹の赤ちゃんの誕生が待ち遠しい。その傍らに敏晴マスターが寄り添った。


「さあ、開店だ!」


 黄金週間の終わりとあって、店は早くから混み始めた。このバイト中に何百という客を見てきたが、多くは常連さんで、この店の歴史の長さ、周辺への定着度を如実(にょじつ)に思い知らされた。朝食時が終わるとようやく一息つける状態になる。そして今日もまた、光井欣也さんが空いたばかりの四人掛けの席に座った。今では彼の姿を見るたび、「もう11時か」と気づかされる。完全に人間時計となっていたのだ。


 それから昼時の混雑を経て、午後1時45分、純架が現れた。彼は両手の人差し指と中指を伸ばし、まるでハサミのように開閉しながら、中腰の状態で入店してきた。「ワ・タ・シ・ハ・ウ・チュ・ウ・ジ・ン・ダ」とのたまいながら、カニ歩きで店内を闊歩(かっぽ)する。その顔は羞恥(しゅうち)で真っ赤になっていた。


 だったらやるなよ。


「やあ楼路君、アルバイト、張り切ってるね」


 純架は俺を茶化した。遅れて入ってきた奈緒が微笑む。


「朱雀君、またまた来ちゃった。すっかり板についてきたね、その衣装」


 俺は二人を席に案内した。周囲の客が純架に視線を集中する。俺は今ではすっかり慣れ切っていたが、純架は美少年なのだ。そのことをつい忘れがちになる。


 光井さんのすぐ近くの四人掛けの席で、純架と奈緒はカフェオレを注文した。あれ? 光井さんの件で来たんだよな。俺は純架に耳打ちした。


「おい、くつろいでどうするんだよ。光井さんの謎を解くんじゃないのか?」


 純架は首を振った。


「せめて2時まではそっとしておいてあげようよ」


 光井さんはカフェラテを前に、今日も11時からずっと窓の向こうを見つめていた。その姿はどこか荘厳(そうごん)で近寄りがたい。


 俺は仕事をこなしながら腕時計に目を落とした。ちょうど2時を回ったところだ。


「すいません」


 光井さんが片手を挙げて俺を呼んだ。


「オムライス一つお願いします」

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