0161ミステリ小説コンペ事件09
★裏メニュー(著・三宮英二)
10歳の若き少年である瀧文敏は、いつもレストラン『ウェスタリオ』に通っている。なけなしの小遣いをはたき、目当てのチキンライスを食べるためだ。
文敏はここのメニューが好きだった。『ウェスタリオ』は街によくある軽食屋で、外観は洋風のレンガ造り。半地下の扉を開けると、胸のすく鐘の音とともに、マスターの石野正則が「いらっしゃい!」と出迎える。その渋い声も文敏の好みだった。スピーカーからだったけど。
それにしても、何だかここだけ日本じゃないみたいだ――。少年はそう思う。前に見た石野マスターは、背が高くて太鼓腹で、ちょび髭なんかを生やしている。おん歳54歳。コックとして円熟期に入っていた。まるでスーパーマリオだ。
その石野マスターの手伝いをするのが、これまた海外風の容貌を備えた、美人ウェイトレスの砂原良子さん。こちらはさしずめピーチ姫か。背と物腰がそろって低く、少年の文敏にも丁寧な態度で接していた。
文敏は「いつものやつ、ください」とだけ告げる。すると数分後には、かぐわしい香りとともに湯気を立ち昇らせる、美しいチキンライスのご登場だった。卵でとじる必要なんかない。この真っ赤な、トマト味のするご飯粒が、文敏の食欲を三倍増しにするのだ。
願うことなら石野マスターが調理するところを見たかったが、キッチンは客席から隠すように壁の向こう側にある。いつか見学させてもらいたかった。
少年はチキンライスをスプーンですくって口に運ぶ。期待どおりの美味だった。それからしばらく、文敏はすきっ腹を埋めるのに夢中になった。
腹八分目で、皿は空になる。ちょっと食べたりない。何か追加で頼もうか……少年はそう思い、メニューの表を眺めた。
と、そのときだ。
「裏メニュー、頼める?」
ワイシャツにネクタイという会社員風の客が、ウェイトレスの良子さんにおねだりしているのが聞こえてきた。文敏は彼の顔に見覚えがある。この人は午後4時のこの時間帯に、よく『ウェスタリオ』を利用している、いわゆる常連さんだった。
しかし良子さんは、彼の頼みを断る。理由として、まだまだ彼は裏メニューを頼めるほど食事を重ねていない、ということを挙げていた。
裏メニュー。何だかいい響きだ。いったいどんな料理なんだろう? 何かびっくりするような代物なのかな? 文敏の想像と期待は胸を限界まで膨らませた。
食べてみたい。味わってみたい。自分も常連みたいなものだからいいよね?
しかし良子さんは、さきほど会社員をあしらったように、文敏の希望を受け入れなかった。
「ごめんなさいね」
文敏はがっかりした。あと何日、何十日、何百日通えば、ここの裏メニューを食べさせてもらえるのだろう?
そんなに待ってられない。何なら今日、正直にいえば今、裏メニューを注文したい。少年は追加で注文したスープを飲みながら、常連中の常連さんが現れることを期待した。
そう、自分だけでは無理でも、裏メニューを頼めるほどの客が現れたとき、いっしょに食べさせてもらえばいいのだ。
そしてその願望はかなえられる。この店で『翁』との通称を与えられた、少年が何度も見たことのあるやせぎすの老人が、ドアベルを鳴らして入ってきたのだ。
これはいけるかも……! 文敏は常連の頂点に立つその男に話しかけた。どうか裏メニューを頼んでくれないか。それを味わわせてくれないか。ぶしつけでごめんなさい。そんなことをまくし立てた。
最初はびっくりしていた翁も、やがて少年の熱意にほだされていった。いいだろう、そういうことなら、わしは裏メニューを頼ませてもらおう。とうとう喜色満面でそう了承した。
文敏は有頂天になった。これで憧れの、謎の料理が楽しめる。10年の人生の中で、今が一番幸せだとさえ思えた。
「裏メニュー、かしこまりました」
良子さんがうやうやしく頭を下げる。そして、意外なことを言った。文敏くん、キッチンに案内するわ。なんと裏場面を見せてもらえるのだ。こんな機会はめったにない。少年は二つ返事で承諾した。
そして、壁の向こう側へ姿を消した。
その10分後、裏メニューの肉料理が翁のもとに運ばれてきた。老人は一口食べて激賞した。
「こいつは美味だね」
彼は新鮮な裏料理を堪能するのだった。
朱里は意味が分からなかったらしい。
「え? 結局何がどうなったんですか?」
英二は机を使って、原稿用紙をトントンとそろえた。朱里をジト目で見やる。
「オチが分からなかったのか? ちょっとそれは問題だぞ、朱里」
奈緒は悲惨な結末にちょっと引いていた。
「ブラック・ユーモアってやつね。三宮くんがこんな感じの作品をしたためるなんて、何か意外」
結城も首肯する。英二専属メイドの彼女としても、やはり意表をつかれる終わり方だったみたいだ。
「何というか……英二さまの意外な側面をかいま見た気持ちです」
純架は面白かったようだ。その場でジャンプしながら、両手と両足で拍手するのを繰り返した。
気が狂ったのか?
「最高だよ、英二くん。少年の心情もちゃんと描きこまれているしね。これもまた、5000円圏内に到達しているよ」
日向は湯気をくゆらせるお茶を喫する。冷えた体に温かだったようだ。
「私はちょっと苦手です。文敏くんが気の毒で……」
英二は困ったみたいに眉毛をねじ曲げる。
「そうか? やっぱりそういう感想もあるのか、女子としては……」
俺はしかし、英二の作品のオチは素晴らしいと感じていた。ちょっと突き放す感じがこれまたいい。
純架が手を叩いて注目を集める。
「これで全7作品が出そろったね。最後は多数決で決めよう。これから順番に作品名を読み上げていくから、自分が一番好きだったミステリ小説――優勝だと思われる作品がきたら挙手してくれたまえ」
俺たちはこうして、入学式の部活動パフォーマンスで読まれる一品を決定した……
翌4月7日、渋山台高等学校の新入生入学式当日。舞台を前にして、朱里を含めた新1年生たちがパイプ椅子に座っている。その塊の後ろで、今度は生徒の父母らがやはり固まって着席していた。
式次第はつつがなく進行し、新入生の両親が退出する。さあ、部活動のアピールタイムの始まりだ。
野球部、サッカー部、テニス部、相撲部……体育会系が思い思いの3分パフォーマンスをする中、いよいよ俺たち『探偵部』の出番となった。文化系(?)では先頭バッターだ。
作品を読み上げるのはもちろん飯田奈緒。部長の純架でもよかったが、奇行癖を発症しても困るので、一番無難な彼女に落ち着いたのだ。
マイクの前で、奈緒は一礼した。
「私たちの部活は『探偵部』です。いろいろな事件と謎解きがあって面白いですよ。……では、謎解きの快感をみんなで共有しましょう。作品は……」
一拍置いて、
「『禁断の魔術300選』!」
こうして『探偵部』部長の桐木純架は、ポケットマネーの5000円を、彼の恋人である辰野日向に献上したのだった。




