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学園ミステリ〜桐木純架  作者: よなぷー
三学期の憂鬱
155/156

0160ミステリ小説コンペ事件08

★『元』4号室(著・桐木純架)


 小林春馬(こばやし・はるま)はびっしょり汗をかいていた。季節は5月、別段暑いからではない。築50年の木造ボロアパート、その2階の5号室。その隣の部屋から、聞くもおぞましい女の声が聞こえてきたからだ。

「出て行け……出て行け……」

 春馬は別段臆病ではない。むしろがさつだった。ごみ捨ての決まりは守らず、近隣住民と絶えずトラブルを起こす。そんなちょっとしたクズだった。だがその春馬でも、恨めしげで怨念のこもった女の声には、心底震え上がってしまった。まるで異界の住人に見えざる手で心臓をつかまれたかのようだ。恐ろしい。単純に恐怖した。

 もちろんこれが単なる4号室住人のものなら、春馬はいつもどおり怒鳴り込むだけである。うるせえこの野郎と、威嚇して大人しくさせるだけだ。だが違う。いないのだ。

 4号室には、誰も住んではいないのだ。

 アパート管理人の木畠(きばた)は、かつて4号室に入っていた女性が首吊り自殺をしたことで、この部屋を閉鎖してしまった。もとより「死」を暗示する番号である。木畠はまるで女の地縛霊が出てこないようにとばかり、ドアも、窓も、すべて閉鎖してしまった。分厚い板を取り付けて決して外れないよう釘を打ち込むなど、念の入れようは執念じみていた。こうして『元』4号室は無人の空間となったのだ。

 その4号室から、「出て行け」との女の声が響いてくる……

 春馬は部屋にいられず外出し、ネットカフェで一夜を過ごした。寝不足で帰り、直下の1号室――木畠管理人の家に怒鳴り込む。木畠は老人で腰が曲がっていたが、大柄な春馬にも物怖じせず対抗した。女の声など聞こえるはずがあるまい、あそこは閉鎖された空間で誰も入ってはこれないのだから。木畠の正論の前に春馬はどうすることもできず、未払いの家賃を催促されてほうほうのていで退散した。

 こうなったら証拠集めだ。春馬はパチンコで軽くなった財布からなけなしのお金をはたき、電気店でICレコーダーを購入した。女の声を録音しさえすれば、あの頑固老人もこちらの話を信じるだろう。そう踏んだからだ。

 それにしても汗がまとわりついて気持ち悪い。このアパートは風呂のついた広い1号室と2号室が1階にあり、2階は風呂なしの部屋が4つ並ぶ。1号室の真上が3・4号室、2号室の真上が5・6号室だった。春馬は収入不足と乱費の多さから家賃の安い2階の狭い部屋を借りていたのだ。おかげで汗を流すには近所のコインシャワーを使わねばならなかった。

 いや、今は汗などどうでもいい。女の声を録音するのが先決だ。見事成し遂げ、木畠のじじいに聞かせて納得させるんだ。うまくいけば払っていない家賃の免除を取り付けられるかもしれない。

 かくして夜が来て、春馬は女の声を待った。重苦しい静寂の中、時計の針は午前1時を回る。誰も彼もが寝静まっている時刻だ。

 そのとき、来た。

「出て行け……出て行け……」

 春馬はICレコーダーを作動させた。よし、上手くいっている。春馬は深甚(しんじん)たる恐怖にとらわれながらも、音量バーの増減で、この声が自分の幻聴ではないと確信できた。

 と、そのときだ。隣の『元』4号室の空間から、「ぎゃあっ!」との声が聞こえたのだ。今の声は、まさか……! 春馬は急いで外に飛び出し、とある部屋のドアを猛烈に叩いた……


 翌日、1号室の管理人木畠の死体が、彼の部屋で発見された。春馬は警察官に事情を説明し、中を見せてもらう。1号室は天井の右半分が取り外しできるようになっていた。木畠が2階――4号室の空間に届く脚立の上から転落し、首の骨を折って死んだという話は、どうやら本当らしかった。ラジカセと、女の声で「出て行け……」と繰り返し録音されたカセットテープも同時に発見されたという。

 そう、木畠は3号室や5号室に入居した客が、家賃を支払わなかったり悪質な行為を繰り返したりしたとき、追い出すための仕掛けを発動させていたのだ。すなわち、脚立の上にのぼり、ラジカセで女の声を流す、という仕掛けを。

 管理人の後任は春馬へのお詫びとして、今までの未払い家賃を求めないこととした。春馬は一挙に悩みの種が吹き飛んだと、意気揚々と毎日を過ごした。

 だが、ある日。今度は聞き覚えのある老人の声が、『元』4号室から聞こえてきた。

「出て行け……出て行け……」

 春馬が逃げるように引っ越しをしたのは、その二日後のことだったという。




「ほほう、2段オチときたか」


 英二が愉快げに口角を持ち上げた。息を詰めて純架の話を聴いていた一同は、それをきっかけにおのおの感想を口にする。


 奈緒は好意的だった。


「ゲスの春馬が最後に逃げ出すのは小気味いいね。ざまあみろって感じ。スカッとした」


 結城は小首をかしげた。


「でも、1号室が4号室の真下にあると出てきた時点で、私にはトリックが分かってしまいました」


 朱里もその意見に同意を示す。


「オレもオレも! やっぱりそうですよね」


 日向が純架をかばった。こっそり奇人と付き合ってる彼女らしく、けなげな反論を展開する。


「だからこその2段オチじゃないですか。本筋はそこのトリックではないと思います」


 俺は朱里に飲み物の替えを持ってくるようお願いした。この中では一番年下の彼女は、しぶしぶトレイを持って席を立った。俺は手持ちのどら焼きの残りを口に放り込む。


「ま、俺は純架が普通に死亡事件の話を持ってきたことが信じられないけどな。菅野さんの小説に『殺伐としていて入学式に向かない』みたいなこと言っておいて、自分はどうなんだって話だろ」


 純架は髪の毛をかいてごまかした。


「いやあ、面目ない。ミステリ小説っていったら、なぜか殺人事件でないと駄目だって人が多いからね。僕もご多分に漏れずってわけさ。……あの……」


 途中でごまかしきれないと悟ったか、『探偵部』の部長はその場で土下座した。カッコ悪いなあ。


「ごめん! 菅野さん、さっきの非礼を許してくれたまえ。お詫びに僕のどら焼きをあげるから」


 物で釣ろうという卑屈さが情けない。英二が苦笑する。


「まあ、純架の話もまあまあよかった。5000円候補の一角としておいてもいいだろう」


 まあ、5000円は純架のポケットマネーだから、優勝しても損はしなかったで終わるんだけどな。


「お待たせです、みなさん」


 しばらくああでもない、こうでもないと言い合っていると、朱里がトレイを持って現れた。今度はトレイに温かい緑茶の入った湯飲みを載せていた。


「いただきまーす」


 奈緒が早速手に取って口につける。熱かったのか、飲まずに息を吹きかけた。その隣で、純架が「さて」と英二に正対する。


「最後は英二くんだ。おおとりとして、果たしてどんな作品を書いてきたか、じっくり堪能させてもらうよ」


 英二はひるむことなく胸を張った。自信があるのだろう。


「最後になるとは思ってなかったが、まあ大丈夫だろう。それじゃ読むから、たっぷり味わってくれ……」

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