0151温泉のメッセージ事件04
「僕じゃないって言ってるだろう。きみたちが探すべきは桂宗光であって僕じゃない。この宿の女将さんに文句を言いに行けばいいだろうに」
純架はしかし引き下がらなかった。俊太の苛立ちを真正面から受け止める。
「この錐は『桂宗光』の字体の古さ、剥げ方といい、木製の柄の色褪せ方、痛み具合といい、相当昔のものを騙し騙し使っているものだと思われます。恐らく桂宗光さんは、俊太さんの父や祖父ではないかと推察されます」
俊太は腕を組んでそっぽを向いた。
「知らないものは知らない」
純架は気にせず語り続ける。
「仮定を進めましょう。岩陰の大きな足跡から察するに、あなたはかすれている方の古い言葉を見に行っていると思われます。新旧両方の言葉が同じものだとしたら、多分あなたは過去の文章を別の岩に新しく彫り込む際、最終確認として覗きにいったのではないか、と。一字一句間違えないように、です」
「何を馬鹿な」
純架は顎をつまみ、難しい顔をした。
「そこから更に思索の翼を広げると、旧言葉は俊太さんの父か祖父である桂宗光さんが彫り込み、新言葉はそれを風化させないために、俊太さんが新たに書き込んだと考えられます。どうですか?」
俊太は肘掛けを力強く叩いた。周囲の人間がびっくりしてこちらに振り向く。静寂の中、俊太は立ち上がった。
「きみのは単なる推測だ。こじつけに過ぎない。僕は無関係だ。浴場の足跡もきっときみの勘違いだろう。さあ、もうつきまとうのはやめてくれ。いい迷惑だ」
俊太はそう吐き捨てると、うんざりだとばかりにその場を離れていった。
俺は立ち尽くす純架の肩を叩いた。
「なあ純架、やっぱりあの人が犯人だという証拠がなさ過ぎる。だいたい純架の考えが当たっていたとして、『きみを恋しつつ我が身泡沫となれり』とかいう言葉を今改めて書き付けなきゃならない理由は何だ? 犯罪者扱いされる危険を冒してまで? もういいだろう、純架。たまにはすっきり解決しない謎もあるさ。これ以上卓球場に皆を待たせるわけにもいかないし、俺たちも行こう」
「…………」
純架は唇を噛み締め、無言だった。
卓球はちょうど終了したところだった。うなだれる英二を結城がなだめている。奈緒が帰ってきた俺たちに最初に反応した。
「あら桐木くん、富士野くん。湯加減どうだった?」
純架は半分ふてくされている。
「ぼちぼちだね。卓球の戦績の方は?」
日向が笑顔を作った。
「菅野さんが凄いんですよ! オリンピックレベルです。最初は女子組対三宮さんだったのが、途中から『誰が菅野さんを倒せるか』に変わったぐらいですから」
へえ、そんなに強いんだ、結城。まあそれぐらいの運動神経がないと、英二のメイド兼護衛も務まらないか。
結城は聖母のように微笑して謙遜した。
「そんな……。ただ、昔ちょっと習っていただけです」
英二はぶんぶくれだ。
「全く可愛げのない奴だ。主人の俺に対してまで容赦しない……まあ手加減されたらされたでむかつくがな」
「そうおっしゃるだろうと思って、あえて全力で振らせていただきました」
俺はラケットを握った。
「それじゃ、俺とも手合わせ願おうかな、菅野さん」
「喜んで」
そこで英二が見咎めた。
「ん? 純架、その錐は何だ?」
「ああ、ちょっとね」
何の説明にもなっていない。
純架は女子3人に人差し指を立てて見せた。
「そうだ、ちょっと『探偵部』女子メンバーに相談があるんだけど」
日向が何ごとかと目をしばたたく。
「相談ですか?」
「うん。女子露天風呂の岩を調べてほしいんだ。隅から隅まで、徹底的に。懐中電灯でも借りてさ。落し物をしたといえば貸してくれるはずさ」
奈緒が露骨な嫌悪で顔を歪めた。
「は? 馬鹿じゃないの、風邪でも引いたらどうするのよ」
「いや、着物を着たままで構わない。湯船の中には彫り込んでいないだろうからね、すぐかすれてしまうし」
俺はぴんときて純架に尋ねた。
「おい純架、まさかあのメッセージが女子風呂にもあるってのか? 確証は?」
純架は苦しげだった。
「実を言うとない。今回ばっかりは単なる希望、願望の域を出ないんだ。ただこれまでの長い年月、女性職員が男湯を掃除することは頻繁にあったと思う。なら、あの岩の言葉――古いほうのだよ――を見たのは男性だけじゃない、女性もあったかもしれないじゃないか」
「つまり、あの言葉を見た女性が触発されて、女子風呂にも何か文章を刻み込んだかもしれない、ということか」
「そういうことだよ。なくはない、程度の話さ」
奈緒は急に乗り気になった。女心は変わりやすい。
「何だか分からないけど面白そうね。卓球で少し汗もかいたし、入浴がてら調べに行ってみてもいいわよ。一応私たちも『探偵部』部員なんだから。ね、日向ちゃん、結城ちゃん」
日向は叫ぶように答えた。
「はい!」
結城がかしこまって一礼する。
「お役目とあれば、岩の裏まで調べてみせる所存です」
かくして男子と女子は別れ、後者は再度温泉に向かった。俺たちは部屋に戻り、催促する英二にこれまでの経緯を語って聞かせた。
「ほう、桂俊太か。確かに何かありそうだな。俺が卓球で全敗している間に、お前らはそんな面白いことに首を突っ込んでいたのか」
全敗してたのかよ。
純架は部屋に並んだ白い布団の中に潜り込んだ。その目はおよそ眠気と友好関係にない。
「バスの中で寝てたから、睡眠を取りすぎた。今日は遅くまで起きていることになりそうだ。どうだい? ボーイズトークとしゃれ込もうじゃないか」
英二は冷めた目で言い放った。
「お前、女に興味ないだろ」
「そんなこともないよ。僕だって健全な男子だ。何せ恋愛は菅野さんという彼女のいるきみの方が先輩だ。面白い話があったら聞かせてくれたまえよ」
そう言ってICレコーダーを取り出して録音を開始した。
芸能リポーターか。
俺と英二がうんざりしていると、不意にドアがノックされた。出てみると、温泉の香りがする奈緒、日向、結城の姿があった。純架が布団の中から怪獣のように飛び出してくる。
「どうだい、首尾は」
奈緒が喜色満面、ガッツポーズした。
「あったわよ、桐木くん。温泉はスマホやデジカメみたいな撮影機材は全面的に持ち込み禁止だったから、三人で協力して覚えてきたわ」
日向が得意げに引き取った。
「湯船の外の岩陰、端っこに書かれていました。文句はこうです」
『我が身一泡となりて添い遂げし』――
純架はこの言葉を噛み締めるように、しきりと点頭した。
「間違いないね?」
結城が太鼓判を押す。
「はい。間違いありません」
「どうだった、古かったかい?」
「はい。推定ですが数十年は経過していると思われます。文字の縁が丸まっていました」
純架は鉱脈を見つけた掘り師のように、嬉々として両手を擦り合わせた。
「達筆だったよね?」
奈緒が頬に人差し指を添える。何かを思い出すときの彼女の癖だ。
「うん、そうね。上手かった。墓石に書かれているような書体だった」
俺は純架に聞いてみた。彼の顔は複雑な歯車がぴたり噛み合ったような、そんなすっきりしたものだった。
「これでどれだけ分かったんだ、純架」
「今回の事件の大まかな輪郭ぐらいは、ね。細部は俊太さんに聞かなきゃ分からないよ。今から情報を共有した後――そんなに時間はかからない――、彼の元に行こう。『探偵部』全員でね」




