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学園ミステリ〜桐木純架  作者: よなぷー
三学期の憂鬱
140/156

0145返されたシャープペンシル02

「桐木くんのフルネームも知っていたし……。で、そのシャーペンはどうなの? 何か特徴的なものはある?」


 純架はペンを五指の中でくるくるひっくり返した。


「これは日本のぺんてる製で、名前は『ERGoNoMix』というらしい。確か親指と人差し指の間が支点となることに着目して、可動式のグリップを設けることで、安定して疲れにくい書き味を実現したものだよ。えーと、2002年に発売されて、その年のGOOD DESIGN賞を獲得していたっけ。でも今は生産・販売終了しているはずだ」


 よく知ってるな……。普通すらすら出てくるか?


「どうやら芯は入っていないようだね。中に丸めた手紙でも入っているのかと思ったけど、それもなしだ。僕はこのシャープペンシルを、かつてあのおばさんに貸していた、ってことになるのかな」


 そういえば。俺は温かいブレンドコーヒーで口の中のものを飲み込むと、純架の注意を喚起した。


「純架、お前がこの渋山台に引っ越してきたのは1年前だろう? それ以前にあのおばさんに会っていたんじゃないのか? 前の県で……」


「ああ、そうだね」


 思わず、といった感じで純架が膝を叩いた。


「僕は前の県での記憶があいまいなんだ。何しろ友達がいなくてね。印象では渋山台高校の1年間が、小学・中学時代の全部に匹敵するぐらいなんだ」


 そんなものなのか……。ぼっちの世界は悲しいな。


「昔、前の県で出会ったおばさんが、たまたま本当に凄い偶然で、この渋山台のスポーツショップで僕と再会した。そして彼女は、常時持ち歩いていたシャーペンを渡してきたんだ」


 俺はじれったくなって食事の手を止めた。


「おい純架。この謎はお前の記憶ぐらいしか頼りにならないぞ。思い出せ。何かがあったんだ、何かが」


「うーん……手がかりがないからね……」


 長考する純架を見やりながら、奈緒がオニポテを口に運ぶ。


「桐木くんの印象に残っていることってないの? たとえば崇拝とか、恋とか、人生の転機になりそうな出来事ってまったくないの?」


 崇拝に恋か。あれ、そうだ。純架は確か、『折れたチョーク事件』の際、こんなことを言っていたっけ。


『好きになった人なら昔はいたよ。小学生の頃かな、三歳年上のお姉さんに憧れた時期はあった。それぐらいかな。今はもちろんいないよ、おかしなことにね』。


 俺がそのことを告げると、純架の瞳にみるみる光が宿った。勢いよく立ち上がり、テーブルを両手で叩く。そうして大声で叫んだ。


「そうだ! 岡戸桜(おかど・さくら)さんだ!」


 周囲の騒音がピタリと止まり、他の客たちの冷たい視線がこちらに集中する。肌に痛い。純架はそれに感応することなく、遂にゴールテープを切ったマラソン走者のように、崩れるように座り直した。


 彼は改めてシャーペンを見やる。難解なパズルを解き終えた充実感が、その全身から――特に瞳から――発せられていた。


「そうだ、桜さんだ。何で度忘れしていたんだろう。まったく、僕って奴は……!」


 周りの喧騒が元に戻る。俺は声をひそめて純架に尋ねた。


「岡戸桜さん、って誰だよ。憧れの人か?」


「そうさ。そのとおり。僕が初めて他人を好きになった、その相手が桜さんなんだ」


 奈緒がオニオンフライをくるくる回しながら不満を漏らす。


「何を一人で喜んでるのよ。私たちに説明して。シャーペンと桜さん、そして桐木くんがどう関わったのかを、洗いざらい、ね」


 純架はシャープペンシルを握り締めた。


「うん、いいよ。……じゃあ聞いてくれたまえ。僕の初恋を……」




 今から4年と少し前――僕は小学6年生だった。学校では友達が一人もいなくてね。それというのも奇行を愛好していたからなんだけど、それは私塾の柔道クラブに入っていても同じだった。


 柔道なんかやり始めたのは母親の意向なんだ。とにかくフィジカル面で弱かった僕は、一から鍛え直さないといけない、ということで無理矢理入部させられた。しかしその判断は間違いだった。


 数ヶ月経ったあたりで、僕は受け身を取り損ない、大怪我をしてしまったんだ。


 負傷箇所は太ももで、重傷だった。僕は千代の富士ばりに「体力の、限界!」とのたまうと、後は激痛に苦悶しながら、救急車で病院に運ばれた。


 ()てくれた医者はダルマのような好々爺(こうこうや)だった。僕はレントゲンを撮られ、大腿骨(だいたいこつ)転子部(てんしぶ)骨折と診断された。全治2ヶ月の重傷だった。


 すぐさま手術が行なわれた。僕は転子部にラグスクリューという太い金属のネジを入れられ、プレートやネイルで補強されて、癒合(ゆごう)を目指すこととなった。


 もしこれが、骨頭に近い大腿骨頚部(けいぶ)――股関節(ほう)の内側――だったら、僕は歩けなくなる可能性が大だった。でも転子部は股関節包の外側にあり、栄養血管が豊富で比較的治りやすい場所なんだ。その点だけは幸運だったといえるね。


 手術を終えて疲弊した僕としては、しばらくベッドに寝ていたかった。でも長くそうしていると血流が悪くなり、血栓ができてやっかいなことになる――ということでさっそくリハビリテーションを始めることになったんだ。


 まずベッドから起きて、座ることから着手した。その後、立ったりトイレに行くリハビリを行なって、生活の基礎的な部分から叩き直すことになったよ。そして車椅子だ。


 僕はその頃には窮屈な病室住まいに飽き飽きしていてね。車椅子とはいえ、病室の外に出られるのは最高の気分だった。僕は病院内を探索することにした。


「綺麗……」


 建物内の移動可能な範囲をしらみ潰しに見回っていたときだった。年上の女性の声で、僕はそちらの方向を見た。そこには、空調が効いている院内で、なぜかニット帽を被った女子の患者がベッドで上体を起こしていたんだ。こちらを見る目は(すこ)やかで、見惚れている、というのが適切だったと思う。


「あなたは?」


 僕は居心地悪く尋ねた。その頃から僕は容姿で()められていたが、それは僕の努力に帰するものではないからね。綺麗だから何だい、という気分になってしまったんだ。


 女性はにっこり微笑んだ。


「私は岡戸桜。ごめんなさい、じろじろ見て。きみの名前は?」


 僕は名乗りと奇行を同時に行なった。


「僕は桐木純架といいます。海外ではマイケル・ジャクソン2世で通ってます」


 桜さんは一瞬ぽかんとした。ああ、これは呆れられたな、と僕が震えていると、


「面白いね、きみ」


 彼女はくすくす無邪気に笑ってみせた。このときの僕の嬉しさは、何と表現したらいいだろう? 家族以外で僕の奇行を受け入れてくれた人は初めてだったんだ。


「桜さん、よろしく!」


 上気した頬の熱さを感じながら、僕が頭を下げると、桜さんは温かく返事してくれた。


「うん、よろしくね、桐木くん」


 それから僕と桜さんの交流は始まった。

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