0139答案用紙事件03
「じゃあ奈緒はどういう推理をしてるんだ? 聞かせてもらおう」
「んーとねー……」
奈緒はショートカットの黒髪を撫でつけた。今日は癖毛がはねていて、朝から気にしているようだ。
「こういうのはどう? 特定の生徒に意図的に高得点をつけて、それがばれるのを恐れたから、とか。ありそうじゃない? ねえ、桐……朱雀くん」
彼女が桐木純架に振るのをやめたのは、純架が白ブリーフ一丁の半裸で、モデルガンを外に向けて構えていたからだ。
「ゴルゴ13!」
制作陣に怒られるぞ。
俺は奈緒に自信なく返答した。
「うーん……。そんな真似をしたら発覚したときアウトになるよ。発覚しなくても、その特定の生徒に教師として弱みを握られることになっちゃうからね。その線は薄いと思う」
おお、我ながらそれっぽい答えだ。奈緒は納得したのか引き下がって沈黙した。
英二のメイド兼ボディガードの菅野結城が、恐る恐る私見を述べた。
「宮古先生が借金を抱えていて、そのかたに答案用紙を債権者に取られた、というのはどうでしょうか?」
おお、ありそうだ。これは進めてみる必要がある――と思っていたら、日向に横からかっさらわれた。
「それならなぜ宮古先生は借金したんでしょうか? 私は1年1組で、数学Aのときだけ宮古先生の授業を受けていますが、そんなに目に見えて金策に困っていたんでしょうか? そうは見えませんでしたが……」
部室内は沈黙した。宮古先生は独身だが、もう誰かと結婚してもいい年頃である。結婚式にはかなりの貯金が必要だ。あの真面目な宮古先生が、借金しなければならないほど追い詰められるか? むしろ将来を考えて、節制しつつ預金を溜め込んでいる気がする。
俺がそのことを話すと、部員たちはおおかた賛同してくれた。そうでなかったのは英二だ。
「本人のふところ具合は、本人にしか分からないぞ。他人の保証人になったとか、親族が急逝して葬儀費用がかかったとか……。借金は身近なものだろ、一般庶民は」
うーん、まあそういわれると確かにこちらも断言はできないな。
英二が窓外に視線を放つ。
「雪が降り始めたな。天気予報もまんざら外ればかりではない、ということか」
俺も窓ガラスを透過して、天然の結晶が風にあおられるのを見つめた。
「どうりで寒いわけだ。本降りにならないうちに帰ろうぜ。なあ純架?」
純架はゴルゴ13の真似をしながら、寒さに鳥肌を立てていた。
「ゴルゴの任務は過酷だね」
馬鹿か?
結局各々の推理は欠点を抱えたまま、俺たちは解散して下校の途についた。純架はもとどおりの制服姿になっている。白雪は大きく丸く、これなら傘はいらなさそうだった。
「それで、純架はこの事件をどう見ているんだ?」
この1年弱の付き合いで、純架が奇行に走りながらもちゃんと考えていることに、俺は気づいていた。純架は白い息を吐き出す。
「僕は宮古先生が、テストの得点を生徒たちに知らせないことで、どんな利益を得るのかを考えていたんだよ」
「それで、何か思いついたか?」
純架は両の手の平を上に向けた。
「……いいや、何にも。どう考えてもデメリットしかない。ちんぷんかんぷんだよ」
あの純架がこうまで追い詰められるとは、なかなか今回の事件は厳しそうだ。
結局その日はお互い答えを見い出せないまま帰宅した。純架と俺の家は隣同士なので、その気になればすぐ相手の家に行ける。もっとも俺は純架一家の邸宅にはあんまり近づきたくなかったが……
今日の夕食当番はお袋だ。俺は2階の自室に行って部屋着に着替えると、空きっ腹をなだめながら1階キッチンに向かった。いい匂いが漂ってくる。今晩はカレーライスのようだ。胃袋が豪快に音を立てる。
「お帰り、楼路。言っておきたいことがあるんだけど」
「何だ?」
「富士野さん親子、さ来週ここに引っ越してくるわ。私もあんたも、結婚で名字が『朱雀』から『富士野』に変わるから。ほかにも色々手続きがあるのよ。後で書類に目を通しておいて」
「へえ。富士野楼路、か。悪くないな」
その日はにこやかに夕食を楽しんだ。
「うう、さぶっ」
俺はスマホの目覚まし時計を止めて、ベッドから這い出た。部屋の窓を開けると、寒気の流入とともに白く彩られた景色が視界一杯に入ってくる。一晩の間によくもまあこれだけ積もったものだ。時刻は朝6時半。俺は窓をぴしゃりと閉めると、まだもやのかかっている脳を通常運転に戻していった。
飯を食べ、顔を洗って歯を磨く。髪の毛を剣山風にドライヤーで固め、ブレザーの制服を着込んだ。よし、今日もそれなりに見える。そう、俺みたいな平凡な人間はそこそこの容姿で満足するしかないのだ。
「んじゃ行ってくる」
「いってらっしゃい」
母に送り出され、俺は玄関から外に出た。
「やあ楼路くん、おはよう」
「おはよう」
隣の家から出てきた純架は大あくびをかました。純架は最近目覚ましをセットして自力で起きられるようになっている。レベルが小学生並みだが、そこは無視だ。俺たちは並んで雪道を歩き始めた。
俺はいかにも眠たそうにしている純架に尋ねる。ひょっとしたら、この一晩で答案用紙の不返却の謎を解いたのかと期待したのだ。寝ぼけまなこもそのせいに違いない、と読んでみての問いかけだった。
だがそれはあっけなく裏切られる。彼はスマホを取り出し、画面を指でつついた。
「いやあ、全然。やっぱりスマホでYouTubeの動画を閲覧していたのが、推理の邪魔になったのかな」
やっぱりじゃなくて確実にそうだろ。
俺はときおり頭頂部や肩を払って雪を落とす。そういえば、とぼやいた。
「結局得点の低かったほうが焼肉をおごる、という決闘はおじゃんになったな。確実に俺が勝っていただろうけどな」
「焼肉、ねえ……」
純架はぼんやりつぶやく。と、そのときだった。彼の目に電光のようなきらめきが走ったのは。
「……そうだよ。焼肉だよ。それだ!」
美少年は何やら活気づき、俺を無視して自分の思索に没頭した。俺はそれを横目で見下ろしながら、こういうときは邪魔しないに限る、と押し黙る。
純架は何か、今回の事件を解明する糸口を掴んだのだ。本当は聞きたくてしょうがなかったが、俺は忍耐強さを発揮して、通学路を並んで歩いていった。
登校すると、大山柚子葉をはじめとするいじめっ子3人組が、周りの目も気にせず嶋美鈴の机に落書きをしていた。マジックではなく墨汁に浸した筆で絵を描いている。筆跡で先生にばれないように、また水ですぐ落ちる墨を使用して、美鈴に逃げ口を与えていることに陰湿さを感じる。ずる賢いというか何というか……
こいつらは美鈴のことを、感情のない人形とでも思っているのだろうか。それとも、傷つき泣き出す美鈴を見るのが、たまらなく楽しいのだろうか。俺の我慢も限界に近かった。
そのとき、純架はまっすぐ3人組の元に向かった。いじめを楽しんでさえいる彼女らへ近づき、大山の筆を取り上げる。
大山は一瞬何をされたのか分からなかったらしい。筆と純架を何度か見返して、ようやく彼が自分の楽しみを邪魔したのだと承知する。




