0125演劇大会事件09☆
英二が机を軽く小突いて音を出した。
「純架、俺たちは除け者かよ」
「悪いね。他の部会員たち、それから1年2組のキャストは、それぞれのクラス演目のリハーサルに参加してくれたまえ。さあ動いた動いた」
俺は解消していない問題について純架を問いただした。
「なあ、俺たち部員がボールペンで紙に書く意味はあったのか?」
「全然ないよ」
ふざけんな。
そうして純架は、中庭の花壇そばまで俺と雄之助を連れて行った。そこには先客がいた。
「三浦揚羽……」
そう、1年2組の暗い演出家、三浦揚羽その人だ。彼女は現れた純架に、まずは抗議した。
「桐木先輩、なんでこんな大事なときに演者を連れて行っちゃうんですか……。直前稽古の時間をみすみす潰して……。それにあたいも、こんな場所に呼び出して……。一体何なんですか、これ……」
そう言って突きつけてきたのはノートの切れ端。下手な字――利き腕でない方で書かれたのだろう――で、『話がある。今日10時半に中庭花壇そばで待つ。桐木純架。P.S.チャーシュー麺とカツ丼』としたためてあった。
出前じゃない。
何と純架の手紙だ。今までの脅迫状を模していることは明らかだった。
「どうやってあたいの机を知ったんですか……?」
「1年2組担任の藤松峰子先生に尋ねておいたんだ。僕が『探偵部』の活動の一環だと告げると、あっさり教えてくれたよ」
揚羽は青ざめた顔で緊張しており、寒くもないのに震えている。
「それで、話っていうのは……」
「これらについてだよ」
純架は鞄をまさぐり、1通目と2通目、それから9通目の脅迫状を取り出した。揚羽の氷のような顔に見せびらかす。
「これら川勝君への脅しの手紙。書いたのは君だね、三浦さん」
俺はどんな顔をしていいか分からなかった。犯人は、三浦揚羽――
「マジかよ、純架」
雄之助は明らかになった脅迫者に、怒りと恐れの両方を感じている様子だ。
「本当なんですか? 桐木さん」
揚羽は当然のように抵抗した。髪の毛を耳に掛ける。
「……何かと思えばそんなでたらめを……。証拠でもあるんですか……?」
純架は教師のような口調で解説を始めた。
「この3通の脅迫状は、なぜか白紙のノートに書かれている。一般的な高校生が授業で使うのは、たいてい罫線の入った大学ノートやルーズリーフだ。白紙ノートなんて使うどころか買いさえしないだろう」
純架は人差し指を立てて振り、もう一方の手を背後に回して拳にする。
「だが例外もある。それは趣味で漫画のネームやイラストを描くときだ」
俺は耳慣れない言葉に割り込んだ。
「ネームって何だ?」
「漫画の設計図みたいなものだよ。プロの漫画家はまず白紙ノートにコマ割りや台詞、細部を省略した登場人物を描き、それでストーリーを作り上げ、編集さんとの打ち合わせに用いるんだ。……そして三浦さん、君は漫画家志望で『漫画研究会』の会員だ」
「だからどうだというんですか……?」
「そして君は1年2組のクラスメイト相手に、よく自分の描いたイラストや漫画のネームを見せているそうだね」
「はい、それは認めます……。『漫画研究会』の先輩方と違って、あたいの絵を褒めてくれるので、つい調子に乗ってよく見せています……」
「そうさ。君は肖像画を描いて渡したこともあった。それがこれだ」
純架は鞄から、クリアファイルに収まった一枚の肖像画を取り出した。それを見て俺は驚いた。1週間前、俺と純架が2組から去るときにぶつかった、あの女子2人組の持ち物だったからだ。
「2組の女子から借りてきたよ。これは漫画向けのインクで描かれている。随分本格的なものだ」
揚羽は枝毛の多い黒髪を振った。ちょっと怖い。
「いい加減にしてください……! 証拠があるかどうか聞いているのですよ、あたいは……」
「まあ待ちたまえ。ところで、漫画は右から左へ読み進めていくよね、楼路君?」
いきなり振られて、俺の反応はまごついた。
「まあな。日本の漫画はほぼそれだ」
「だから漫画のネームもノートの最終ページから本来とは逆方向へ向かって描かれていく。すなわち脅迫状は、大切なネームの邪魔にならないよう、白紙ノートの最初のページに書き込まれて千切られた。まさか中途半端なページを切り裂くわけにもいかないしね。ここまでは理解できるよね?」
揚羽が卒倒寸前の顔になった。
「まさか……」
「そのまさかさ。いいかい、見ていたまえ」
純架はクリアファイルから肖像画を取り出すと、下敷きを朱里の肖像画の裏に重ねた。そして鉛筆を倒して、その表面を擦っていく。鉛筆の芯が紙片の表面になすりつけられ、どんどん黒くなる……と思いきや、何かの白い文字を浮かび上がらせた。
それは――
雄之助があっと叫んだ。
「『幹久役を降りなければ地獄に落ちる』と書かれている! 2通目の脅迫状の文面だ! 筆圧が強すぎて、証書の複写みたいに真下の紙へ刻み込まれていたんだ!」
揚羽はその場に崩れ落ちた。純架は9通目を同じように鉛筆で擦り出す。すぐ肖像画が白線で浮かんできた。
「こっちは女子の肖像画という、君の描いた絵が浮かび上がったね。どうだい? 何か反論できるかい?」
揚羽は力なくつぶやく。
「もういいです……。そうです……。あたいが1通目、2通目、そして最後通告の9通目を書いた、真犯人です……」
俺はふと思いついて純架に尋ねた。
「2通目に1通目の痕跡はなかったのか?」
「うん。ノートの1枚目はその表紙に深くくっついているものだからね。多分切り取ってから書き込んだんだろう」
ああ、俺のノートも1枚目はそうだ。神経質な揚羽ならそうするかもしれない。
純架は片膝をつき、彼女と視線を合わせた。冬の冷たい風が花壇の植物を揺らす。揚羽は微笑んだ。
「桐木先輩……。幹久役を川勝君が演じることに、何故あたいが反対だったか分かりますか……?」
「さあ。動機は今でも不明なままだよ。ううん……。川勝君の演技が下手だったからかい?」
「いいえ……。肝心なことは見抜けなかったんですね……」
純架は手を差し伸べた。ポテチで指先が脂ぎっている。
ティッシュで拭いとけよ。
「さすがに手がかりがないからね。教えてもらえるかな?」
揚羽がそれにすがるようにして立ち上がる。
「ではお話します……。川勝君の演技は下手なんかじゃありません。最高でした。幹久役は彼以外に考えられないほど、ぴったりはまっていました」
雄之助は少し照れた。脅迫状の騒動にピリオドが打たれて、安堵の色が濃い。
「そう言ってくれると嬉しいけど……。実際のところは、三浦さんの僕に対する演技指導に素直に従っただけだけどね」
揚羽は微かに首を振った。おだては嫌いらしい。
「あたいは脚本家の高梨一成さんの大ファンです……。彼は漫画原作も手がけていて、その全てがあたいにとっては神の仕業でした……。この百花祭が開催されると知ったときは、必ずうちのクラスの演目を高梨さんの『好きな人へ』に決めようと誓い、熱心に推しました……」
「そういえばそうだったね」
「そして実際に決まったので、あたいは演出家を希望しました……。この演劇をなんとしても成功に導きたかったのです……。そして川勝君が幹久役をやるとなって、放課後軽く打ち合わせがてら芝居を見せてもらったとき、あたいの胸は感嘆で一杯になったんです……。それはあたいが思い描く理想の『岡田幹久』に、完全に一致していたのです……」
雄之助も、俺も、純架も、迷宮にさ迷いこんだようにまばたきする。
「じゃあ何で川勝君を降ろそうと画策したんだい?」
揚羽が上ずった声でまくし立てる。何故自分の気持ちが分からないんだ、と言わんばかりの苛立ち紛れだ。
「はまり過ぎていたからですよ……! あたいは一瞬で、川勝君の『岡田幹久』に一目惚れしていたんです……。それは新鮮で、過激で、暴風のような感情をあたいの心に植えつけました……。あたいはそれが耐えがたかったんです……。『百花祭』で上演するのを最後に終わる恋は、残酷に過ぎました……。だからあたいは、川勝君を熱心に演技指導する一方、彼が幹久役から早期に降りることを望みました……。この気持ち、桐木先輩には分からないでしょうね……」
「うん。さっぱりだよ。でもとにかく、それが動機だったんだね」
揚羽は胸元を押さえて呼吸を整えた。
「はい……。9通目の最後通牒は、涙を流しながら書きました……。舞台で幹久役を演じる川勝君を、あたいはいきなり登壇して果物ナイフで刺し殺してやろうと決意しました……。それで初恋を終わらせるために……」
俺はぞっとした。風もないのに寒気を感じる。
「滅茶苦茶だ。自分が何をしでかそうとしていたか、今ははっきり分かるんだよな? もうそんなことしないんだよな?」
揚羽は首肯した。渋々、といった具合だった。
「はい……。どうせ桐木先輩や他の『探偵部』の皆さんに、止められることは確定してますから……」
ここで雄之助が前に進み出て、揚羽の頬に平手打ちを食らわせた。乾いた音が空に消える。純架が彼の腕を激しく掴んだ。
「川勝君! 暴力はやめたまえ」
雄之助は怒っていた。三浦揚羽の独りよがりな心に。その具現化とも言うべき執拗な脅迫状に。
「すみません。でも誰かが殴らなきゃ、三浦さんは改心しないでしょう」
揚羽は哀れな声を出して頬を押さえる。怯え切っていた。
「ご、ごめんなさい……。ぶたないで……」




