0121演劇大会事件05☆
「本当に演劇大会をやるんだな。何か実感が湧いてきたよ」
純架と俺はまず1年2組を訪れた。その後変わったことがなかったか、川勝雄之助に尋ねるためだ。
「あれ?」
俺は小首を傾げた。てっきり役者たちが『好きな人へ』の稽古に朝早くから励んでいると思いきや、その面々だけいなかったのだ。純架が背景美術の制作にいそしむ生徒をつかまえる。
「ちょっと教えてほしいんだけど……。川勝君たちは?」
凡庸なその男は釘をハンマーで叩く。
「さあ。鞄があるから、来ていることは来ているみたいだけど」
「ありがとう」
俺たちは自分たちのクラス、1年3組に戻ろうと引き返した。しかしよく周囲を見ていなかったせいか、女子2人にぶつかってしまう。その拍子に彼女らの一方がクリアファイルを落とした。
「ああ、許してくれたまえ」
純架はクリアファイルを拾い上げた。そこには少女漫画風のタッチで描かれた肖像画が挟まれていた。純架はそれを興味深そうに数瞬眺めると、埃を払って手渡しする。改めて頭を下げ、脇をすり抜けていった。
消えた川勝たちはどこへ行ったのか。俺たちは直後に知ることとなった。何と俺たちの教室に、1年2組のキャストたちが勢揃いしていたのだ。博之以外、皆片手に紙片を提げて落ち着かない顔をしている。純架が一瞬にして表情を引き締めた。
「どうしたんだい。僕らを待ち受けていたようだけど」
雄之助が代表して語った。怒りと恐怖で興奮しているのか、顔は蒼白で唇は紫色だ。
「演劇の本番まで少しでも上達しようと、最近は皆で早朝稽古を行なっているんです。ところが、今朝教室について自分たちの机を調べたら、こんなものが……」
「どれどれ、見せてごらん」
それはキャスト5人中4人に宛てられた脅迫状だった。
『幹久役を降りなければ死の深淵に投げ込まれる』――
『みなも役を降りなければ死者の列に加わる』――
『父役を降りなければ命が絶たれる』――
『母役を降りなければ誅殺される』――
「ほう。今回の4通は全て、A罫ノートに万年筆の線で染料インクだ。筆跡はやっぱり大きく乱雑だけれども、前3回とは明らかに異なるね。犯人もなかなか味な真似をしてくれるじゃないか」
幹久役の雄之助、みなも役の真紀子、父役の賢介、母役の晴。全員が、今回は明らかに『死』を連想させる脅迫文を受け取ったってことか。
あれ、でも……
「医者役の石井には何も来なかったってのか?」
博之は大笑した。そこに嫌味はない。
「まあ俺、人から恨みをかわない性格? って言うのかね? 人徳って奴よ。ははは、犯人も俺の魅力にメロメロとか」
その軽い態度は賢介の癇に障ったようだ。
「あのな石井、お前が今回の犯人だっていう可能性があるんだぞ」
博之は思わぬことを言われた、とばかりに呆けてみせた。
「へ? 俺が?」
晴が賢介の指摘を補強する。自分へも脅迫状が来たということで、だいぶ色をなしていた。
「そうよ。あんたにだけ届いてないっておかしくない? あんたが犯人で、他の4名に書き送ったってことじゃないの?」
博之は心外だと言いたげに両手を広げる。
「あれ、何だよ2人とも。真剣な顔して『お前が犯人だ!』みたいなこと言い出して。俺は潔白だよ。なあ桐木?」
純架は答えず、腰に両手を当てた。困惑しているようだ。
「現時点では何とも言えないけど……。僕の勘では、これは僕ら『探偵部』に対する挑戦状だと見るね。周辺を探られている、と気付いた犯人が焦って、家でしたためて、昨日の放課後に1年2組の4つの机に投函したんだ。むしろ犯人は受け取った4名の中にいる蓋然性が高い、と考えた方が良さそうだよ」
それに、と続ける。
「犯人は4人の机の位置を正確に把握していることから、1年2組の関係者に絞られた、と見ていいね。よそのクラスの人間ではこうはいかない……」
真紀子が明快に反発した。まなじりを吊り上げる。
「私たちを疑うのですか?」
「僕の勘ではね。繰り返すけど、現時点では何とも言えないよ」
博之が両足で拍手しかねない勢いで図に乗った。
「ほうら。やっぱり俺じゃないし」
純架は雄之助たちに手を差し出す。脅迫状の受け渡しを要求した。
「ともかく気味が悪いだろうし、僕もよく吟味したいし。4通の脅迫状は『探偵部』が預かっておくよ。君たちは教室に戻って、朝の稽古に精を出したまえ。わざわざ来てくれてありがとう。一応念のため、全員身辺に気をつけて学校生活を送るんだ。いいね?」
雄之助たちはそれぞれうなずくと、純架に殺害予告の紙片をまとめて提出した。
「……じゃ、帰って劇の練習だ。戻るよ、皆」
哀れな被害者たちは――博之は一人鼻歌を歌っていたが――足並みを揃えてぞろぞろと去っていった。
その日の放課後、旧棟3階1年5組の部室に集合した『探偵部』一同は、現在の状況を前にああでもない、こうでもないと議論していた。
まどかが気ままに宙をごろごろと転がっている。猫みたいだ。
「犯人が単独犯なのか複数犯なのか、それすらも分からへんのじゃ、どうしようもないやんけ」
英二が明敏なところを披露する。
「4通の新たな脅迫状を見る限り、『危害を加える』との表現はばらばらだ。別に全部『殺してやる』とかでも済んだのにな。犯人はその辺りに気を使うタイプらしい。そんな文学的なセンスの持ち主と言えば、ヒロイン・藤波みなも役の西真紀子が該当するんじゃないか? そいつは演劇部なんだろ? 脚本はよく読むだろうし、ひょっとしたらオリジナルの脚本を書いたりしているかもしれないじゃないか。自分自身にも送ったのは、俺たちの疑いから逃れるためだろう」
純架はこの意見に、中途半端に賛成した。
「大いにありうるね。万年筆のブルーブラックで書かれていることもそれを強調している。万年筆は極めて個人的なツールで、一日一回使うことが最良のメンテナンスと言われるほどデリケートなんだ。しかしその分弱い筆圧で書けるという利点があり、長文執筆に向いている。……でももし西さんが今回の執筆者だったとしても、その道具である万年筆を学校に持ってくるような、そんな愚かな真似は決してしないだろうけどね」
「駄目か」
「西さんが2年生、3年生とかなら、あるいは自筆の脚本でも著していたかもしれない。でもまだ入学して半年の彼女は、台本を作成するところまではやっていないだろう。『好きな人へ』のコピー台本にメモするにしても、当然万年筆を使ったりはしないだろうし」
そこで純架は苦笑した。彼にしか見えない寿司を食う。
食うな。
「まあ、何だか西さんが今回の犯人みたいなこと言ってるけど、それもまだ推量の域を出ていないからね。そうだね、明日の昼休みに、楼路君と飯田さん、辰野さんの3人でまた1年2組に出張ってきてよ。脅迫状を受け取った感想を個別に聞き出すんだ」
何か勝手に決めてるが、当然深い目的があっての3人なんだろうな。俺は部長に一応尋ねた。
「その人選の意図は?」
「単なる気まぐれだよ。じゃ、頼んだからね」
かくして翌日の昼、俺と奈緒、日向は空きっ腹を抱えながら、改めて1年2組に赴いた。この前同様、廊下に一人一人呼び出して質問する。
まずは西真紀子と相対した。予断を排するよう純架から命じられていたので、被害者の一人として接することにした。
「西はどうする? 脅迫された以上、やっぱりヒロイン・みなも役を降りるのか?」
真紀子は胸底に満ちているであろう恐怖に、敢然と立ち向かう。
「それも一度は考えましたが……。私、みなもの役が好きです。それにこの役を稽古で演じているときは、クラスメイトからも先生からも絶賛が相次ぎました。多分、私の本当の姿は何かを演じているときに発揮されるのだと思います」
「真実の自分を観てもらいたい、ってこと?」
真紀子は少しはにかんだ。
「はい。この機会を失いたくありません。降板なんてさらさら考えていません」
俺は彼女の瞳に揺るぎない意志を見出した。我らが渋山台高校の演劇部は、やっぱり演じることが大好きな連中の集まりなのだろう。
日向が昨日の英二の意見も尊重して、真紀子に問いを差し向ける。
「ところで、西さんは国語の授業や文章を書いたりすることはどうですか? 好きな方ですか?」
真紀子は無関係そうな話題をいきなり振られて目をしばたたいた。態勢を整えて微かに笑みを浮かべる。
「はい、好きですよ。それは今回の脅迫状の件と関係あるんですか?」
俺が遠慮会釈なく問いただす。
「犯人は長文を書きやすい万年筆で脅迫状をしたためたんだ。ご存知だろうけど。それで西さんは、万年筆とか結構使うのかな?」
これには真紀子も少し怒った。眉をひそめ、声を尖らせる。
「いいえ、全く。犯人扱いならやめてください。心外です。……話がこれだけなら、もう戻っていいですか?」
「あ、ああ。悪かった」
次は不動賢介。みなもの父役だ。気のせいか少し憔悴していた。俺はなるべく柔らかく聞く。
「不動の元にも脅迫状が届いたけど、どうする? 出演を見送るか?」
賢介は首を振った。その意志は脅迫状という唐突な劇薬にも化学変化していないようだ。
「まさか。たかが紙切れ一枚で自分の役割を放棄するわけにはいかないよ。誰かのいたずらだって可能性もまだ残されているからな」
日向が確認する。
「不動さんは脅しが気にならないんですか?」




