0119演劇大会事件03☆
「楼路君、飯田さん。話を打ち明けたり脅迫状を見せたときの、相手の表情の微細な変化を読み取るんだ。いいね」
「了解」
「分かったわ」
まずはヒロインの藤波みなも役、西真紀子からだ。深窓の令嬢といった落ち着いた雰囲気で、薄幸そうなはかなげな印象の顔立ちをしている。黒いボブの髪は毛先まで綺麗に梳かされ、本人の清純さをいや増している。雄之助の話では、彼と共に演劇部所属のはずだ。
純架に状況を説明され、2通の脅迫状を目の当たりにする。普通に驚いていた。
「信じられません。今初めて川勝君への脅迫を知りました。誰がこんな酷い真似を……。先生へ相談しましょうか?」
純架はもちろん慎重だった。雄之助は舞台がなくなり、幹久役を演じられなくなることを恐れているのだ。先生らへの訴えは厳禁である。
「今後状況が改善されなければ、ね」
その後二つ、三つほど話して、真紀子は室内に帰っていった。純架が俺たちを見るので、俺も奈緒も首を振った。
「違うな」
「違うわね」
次はみなもの父親役、不動賢介だ。もみ上げが長く額が狭い。繋がりそうな太い眉毛といい、丸刈り頭といい、おっさんのような見た目だ。若くして渋みを醸し出していて、絶対外見で役が決まっただろうと思わせる。
彼だけは雄之助から事を聞かされていたらしく、2通の脅迫状も閲覧済みだった。
賢介は男らしいところを発揮した。
「雄之助は俺が守ります。こんなふざけた脅しなんかに屈しちゃいけません。なあ、雄之助?」
傍らで聞いていた雄之助は大きく首肯した。
「もちろんだよ。ありがとう。……桐木先輩、不動は確実に白です。彼が犯人であるはずがない」
「そのようだね」
続いてみなもの母親役、神田晴。1年2組ではもっとも美人だろう。顔のシャープな輪郭は生まれついてのものらしく、よく整った双眸や鼻に、柔らかそうな唇を擁する。茶髪をツインテールにしていた。昼食を中断されて離席する際、多くの友人たちから心配されていた。きっと奈緒みたく、クラスの人気者なのだろう。
そんな晴は、現状分かっていることを純架から打ち明けられると、肘を抱いて震え上がった。隣の雄之助に直談判する。
「川勝、降板した方がいいよ。たかが演劇祭の一演目の主演なんて、命の危険を冒すぐらいなら他の人に譲っちゃったほうがいいって」
「いや、僕は降りないよ」
晴は雄之助の頑なさに、一瞬微妙な光を瞳に走らせた。
「何でよ。降りようよ」
雄之助は必死な彼女に微苦笑した。一応好意的に受け止めているらしい。
「心配してくれてありがとう。でも僕は岡田幹久を演じたいんだ」
「分からず屋ね」
晴は怒ったように口を尖らせた。
彼女が去った後、俺たちは額をつき合わせるように近づけた。
「どう思ったかね?」
「何か川勝君にこだわりがあるように見えたけど……」
「僕にこだわり?」
俺もその点は気になったが、さして重要視すべきでもなさそうに思えた。
最後は医者役、石井博之。正直言ってチャラ過ぎだ。パーマの茶髪にピアスの穴、おしゃれに着崩した制服と、学校生活を満喫しているリア充な外見である。顔は縦長で満面笑顔の秋田犬を思わせた。とにかく明るいのが最大の特徴で、純架の話にいちいち大きなリアクションをする。俺は中にいる生徒に脅迫状のことを聞かれやしまいかと気が気でなかった。
聞き終えた博之は、とぼけたように楽観した。
「こんなのどこかの馬鹿がやった、ただのいたずらっしょ。実際に危害を加える気なんてないんじゃね? 放っておくべきだと思うね、俺は」
この言葉に嘘はなさそうだ。
結局演じる人間に犯人らしき存在はいなかったことになる。だがどうだろう、巧妙に芝居しているという可能性は考えられないだろうか? 何しろ演じることに長けていると思われて選出された4人だし。
博之が手刀を切った。
「何か俺はもうお役ごめんらしいね。教室に戻ってもいいか?」
純架が許可した。
「うん、ありがとう。ご苦労さん」
博之が室内に戻るのに合わせて、布に包んだ何か――多分弁当箱だろう――を指に引っ掛けて、本を読みながら歩いてくる少女がいた。雄之助が気づいて声をかける。
「あっ、三浦さん!」
「あっ、川勝君……」
三浦と呼ばれた彼女は、どことなく野暮ったく。どんより暗いオーラをまとっているかのようだった。そばかすが浮いている。黒目がちな瞳と細い鼻が際立って異彩を放つ。黒髪ロングは枝分かれが激しかった。
「漫研の先輩たちと食ってたのか?」
「当たりです……」
そこで純架がはっとした。何か思い出したらしい。三浦に声を掛ける。
「ひょっとして、君が『好きな人へ』の演出を務める、三浦揚羽さんかい?」
そういえば昨日、雄之助がそんなことを言っていたっけ。
「え……? ええ、そうですが……。川勝君、こちらの方々は……?」
雄之助が白い歯を見せ、にこやかに微笑んだ。
「ああ三浦さん、『探偵部』の方々さ。ちょっとした案件で世話になってる。君は何を読みながら廊下を歩いてたの?」
揚羽は恥ずかしい場面を見られたとばかり、顔を紅潮させた。
「『百花祭』の舞台の脚本です。やっぱり高梨一成さんの本は凄いですから……」
純架がついでとばかりに正対する。進路を立ち塞がれた揚羽は迷惑そうだった。
「三浦さん、いいところに来た。この2通の脅迫状について、何か心当たりは?」
二枚の脅迫状を見せる。揚羽は異様な文面に驚いて口元を押さえた。
「幹久役、ということは、川勝君に宛てられたものですね……」
「その通り。何か思い当たることはないかい? 些細なことでもいいんだけど」
揚羽は熟考したが、純架を落胆させる言葉しか吐けなかった。
「いえ……。お役に立てず申し訳ありません……」
「そうかね……残念だ。あ、くれぐれもこのことは内密に、ね。もう行っていいよ」
揚羽はぺこりと頭を下げた。
「すみません……。失礼します……」
俺は教室に入る彼女を見送った。失礼な感想を漏らす。
「何だか負のオーラが滲み出てる子だな」
奈緒が罰するように俺の腕を肘でつついた。雄之助に質問する。
「川勝君は揚羽ちゃんと仲いいんだ?」
「はい、まあ。ちょっと暗くて夢想的なところはあるけれど、よく好きな漫画について話したりするんです。いい奴ですよ」
奈緒と雄之助の雑談は続いた。俺は純架を見下ろす。
「どうも収穫なしのようだな」
「そのようだね。僕らも帰ろう。弁当を食べる時間がなくなっちゃうし」
俺と純架、奈緒は、1年3組の教室へ踵を返した。
その帰路、純架は語る。
「もうちょっと犯人の出方を見ないと探りようがないよ。僕がわざわざ1年2組へ赴いたのは、『探偵部』が見張ってるぞ、という事実を犯人に思い知らせるためでもあった。これで大人しく脅迫をやめてくれたらありがたいんだけどね」
俺は奈緒に一応聞いておいた。
「それで、出演者の中に犯人はいそうだったか?」
「ううん。私の見立てでは、脅迫状を送って平然としていられるような人間は、あの中にはいなかったわ」
「俺もそう思った。間違いないよな?」
純架が割り込んでくる。
「90パーセントぐらいの確率でね。まあ人間だ、上手く誤魔化しているのかもしれないからね。油断は禁物だよ」
それから1週間は何事もなかった。俺たち1年3組は久川が音頭を取り、『一杯のインスタントラーメン』というオリジナル脚本の芝居を上演することに決まっていた。内容はこうだ。
冬の日。ある老舗ラーメン屋が本日の営業を終えて閉めようとする頃、常連の30代会社員・竹下雄三が滑り込んでくる。彼は大将に、買ってきたインスタントラーメン『ハカタ一番』を調理してくれと頼み込んだ。
今日は竹下の誕生日で、生んでくれた母の大好物だったのが『ハカタ一番』だったらしい。亡き母をしのんで、どうしても今夜食べたいというのだ。大将はいつもひいきにしてくれているからと、インスタントラーメンを茹で始める。数分後、スープの粉を溶かして出来上がったそれを、竹下に渡した。歓喜する会社員。
そこへ新たな客が来た。大将よりも老けた、60がらみの老人だ。彼は竹下が上手そうにすするラーメンの香りをかぎ、テーブルに置かれた空き袋を見て、それは『ハカタ一番』かい、と問いかける。竹下がうなずくと、わしにも少し分けてくださらんか、料金は支払うから、と頼み込んだ。
竹下は少しならお金なんていりません、お分けしますよと太っ腹なところを見せる。大将が差し出した皿に数口分の麺をよそってもらい、老人は『ハカタ一番』をすすった。そして、涙を流してこんなことを明らかにした。
何でも老人は『ハカタ一番』の工場で長年働き、この度定年を迎えて退職したという。自分が生涯をかけて取り組んできた食べ物が、今も変わらず愛されていることに今更ながら感動したという。30数年前に離婚した妻は、今頃どうしているだろうか、『ハカタ一番』を食べてくれているだろうか、と目尻を拭った。
竹下はふと心づいたように、老人へあなたのお名前はと問いかけた。老人は斉藤四郎と答えた。会社員は仰天して立ち上がった。私の母と30数年前に離婚した父は、斉藤四郎という名前だった、と。斉藤と竹下は、実の親子だったのだ。2人は抱き合い、再会を喜び合った。大将は「ラーメンがのびちまうよ」と苦笑するのだった。




