0118演劇大会事件02☆
雄之助は青白い顔をしていた。真剣な目に光がまたたく。
「その通りです。僕が大騒ぎし過ぎなのかもしれませんが……。何分脅迫状を受け取るなんて、人生初めてのことですから。どうしたらいいか思案して、やっぱりプロの方々にお任せした方がいいか、と……」
日向がくすくす笑い、純架へ目配せした。
「プロだそうですよ、桐木さん」
純架は鼻の下を伸ばした。相変わらず賛美に弱い。でれでれと、「プロかあ」と悦に入っていた。
英二が腕を組み、その白皙の顔に夕日を滑らせる。
「昨日役割分担が決まって今朝にそれだろ。いくらなんでも急過ぎる。犯人は川勝が幹久役をやるのがよっぽど気に入らなかったに違いないな」
純架は首肯し、机を人差し指でこつこつと叩いた。貧乏ゆすりらしい。
「そうだね。それに川勝君の机の位置を正確に知っていたことから、クラスメイトや担任の先生が犯人として絞り込まれる。まあ、入学してから半年以上も経っているから、断言は出来ないけどね。……川勝君、君はその中の誰かから恨まれるようなことをした覚えはあるかい?」
雄之助は真剣に悩み、頭を引っかくように掻いた。そして溜め息をつき、首を振る。
「いいえ。別段心当たりはありません」
純架はチョークを手に取り、黒板へ『あしたもってくるもの:きれいなぞうきん』と書き込んだ。
幼稚園児に退行したのか?
「ふむ。ではやはり『百花際』が決まってからの怨恨と断定して良さそうだね。川勝君、『好きな人へ』の他の配役とかは分かるかい? まあ覚えてないならそれでもいいけど」
「大丈夫です、昨日台本に記入しましたから」
雄之助は机上の鞄の中を漁る。目的物はすぐ見つかったらしく、手に取って開いた。プリントの束がホッチキスで留められている。
「ええと、ありました。台本のコピーです。まず主人公の幹久役は、僕、川勝雄之助。ヒロインの藤波みなも役は、西真紀子さん。僕と同じ演劇部ですね。みなもの父親役は不動賢介。僕の友達です。それからみなもの母親役には神田晴さん。病院の医者役は石井博之君。演出家は三浦揚羽さんが務めます」
俺は純架の狙いを勝手に代弁した。
「川勝を妬むとしたらキャストだな。端役をやらされることになった、同じ男の不動と石井が怪しくないか?」
雄之助はこの意見が気に入らなかったらしく、少しむっとした様子で、その語気に棘が混じらせる。
「不動はそんなことしません。彼は僕の親友ですから」
「俺たちに依頼しに来た以上は、あらゆる前提を取り払わないと。案外親友だからこそ……ってのもあるしな」
「……そうなんでしょうか」
雄之助は納得しがたいといわんばかりの表情で考え込んだ。それで分かったが、雄之助は誰かを疑いたいんじゃない。ただ犯人を見つけたい一心で、自分の予断を先行させぬよう俺たちに依頼をしてきたわけだ。
純架が指を2本立てた。指の先に目と口が黒色で描かれている。
指人形でお芝居でもやるつもりなのだろうか。
「道は二つある。このまま僕らに犯人探しを任せるか。それとも脅迫に屈して幹久役を降りるか。どうするね?」
雄之助とすれば、降りれば解決する話だ。だが彼は厳として胸を張った。
「僕は卑怯者に負けたくありません。そんなこと耐え難いです。皆さん、ぜひ犯人探し、よろしくお願いいたします」
そうして深々と頭を下げた。純架は「ハイヤヨッサイ! ハイヤヨッサイ!」と奇声を発しながら、片足ジャンプで室内を一周する。そしてそのことには一切触れずに言った。
「まあ、今日のところは材料もないし、まだ3週間もあるんだ。依頼は引き受けたから、今日のところはひとまず帰りたまえ。犯人も今すぐに動いたりはしないだろう。ちなみに台本の読み合わせは始まっているのかね?」
「はい、昨日の放課後に第一回がありました」
「演目を決めてからその日の放課後にもう台本が届いたのかね?」
「高梨一成さんのシナリオはネットですぐダウンロードできますから。それを演者の分だけプリントアウトしたんです」
「なるほどね」
純架はさっきの「ハイヤヨッサイ」で痛めた足を気にして、アイシングを施している。
馬鹿か?
「では川勝君、詳しいことを聞きに行くから、明日の昼休みに2組へうかがうよ」
「はい、お願いします!」
雄之助は鞄を提げて部屋を出た。ペコペコ頭を下げるその姿が消え去るのを見送る一同。ドアが閉まってしばらくして、俺は至極真っ当な疑問を誰に対してでもなくつぶやいた。
「でも何で脅迫状なんだ? 川勝が幹久役をやるのが気に入らないなら、口で直接そう言いにいけばいいのに。何だか陰湿だな」
英二はペットボトルの紅茶を紙コップに注いだ。たまには結城の手を借りずに自分でやったりするのが、彼の癖だった。
「多分これは単なる嫌がらせだろう。悪質な冗談って奴だ。俺は恐らくこれっきりで終わると思うがね」
幽霊のまどかはいつもの制服姿を出現させると、純架に尋ねた。
「他に何か分かることはあるんか?」
純架は白紙に書かれた脅迫文を仔細に検分する。
「そうだね、この脅迫状の文字は黒の油性ボールペンで書かれている。ノートから切り離した手段は、断面からすればカッターやハサミ等を用いず手で引き裂いたと見るべきだ。切り口は左で横書きだから、ノートの最初のページに記入したのだと推定される。裏面の凹凸から、筆圧は強い方で、男の蓋然性が高いといえよう。……今分かるのはそんなところかな」
俺は彼の推理に口笛を鳴らした。
「何だ、明日にでも捕まえられそうな感じだな。1年2組で白紙のノートを使ってる奴が犯人なんだろ?」
奈緒が呆れたように苦笑し、柔らかに指摘する。
「あのね朱雀君、犯人が白いノートを学校に持ってくるわけないでしょ。そんなミスを犯したら単なる馬鹿みたいじゃない」
日向が椅子に座る純架の背後から、紙片を見下ろした。何だか老年夫婦が寄り添うみたいだ。
「桐木さん、明日は部全員で1年2組を訪問するんですか?」
「いや、僕と楼路君、飯田さんの3人で良かろうと思うよ。辰野さんは最近新聞部で忙しいみたいだし、明日はゆっくり昼休みを満喫してくれたまえ」
「分かりました」
少し寂しそうな、不満げな声だった。でも文句を言わないのが彼女らしいといえばそうだ。
翌日、昼休み。純架は俺と奈緒を伴って、『好きな人へ』の1年2組を訪れた。純架の絶世の美貌を目の当たりにしても、黄色い声がそこかしこから上がる、というようなことはない。彼の奇行癖はすでにばれていて、もし彼らに慎みがなければ、歓声どころかブーイングが放たれていたことだろう。
純架は立ち上がって出迎えた雄之助に声をかける。なぜか『エクソシスト』の少女のようなブリッジ前進体勢を取っていた。俺と奈緒はこういうとき、部長とは一切係わり合いのない赤の他人を演じる。
「やあ川勝君、あれから変わったことはなかったかね?」
雄之助はいかにも不機嫌そうに、少し怒り気味の仏頂面で紙片を差し出してきた。といっても、純架のエクソシストぶりに憤ってるようではない。
「また僕の机の中に入ってました。これで2通目です」
まさか……。純架が常人の姿勢に戻ってから受け取った白いノートの切れ端を、俺も奈緒も食い入って覗き見る。そこには乱雑な文字が書かれていた。昨日の脅迫状とよく似ている。
「おっ、純架、こいつは……!」
「ええと、何々?」
『幹久役を降りなければ地獄に落ちる』――
俺たちは暗澹たる顔を見合わせた。純架は裏も確認し、何も記入されていないと知ると、改めて表面を精査した。
「白い紙、黒の油性ボールペン。そして滅茶苦茶ながら、1通目と似通った筆跡。……どうやら昨日の脅迫状を書いた人間が、新たに送ってきたものだと断定して良さそうだね。酷い嫌がらせだ」
外はのどかでうららかな天気なのに、全く好対照な状況だ。俺たちは部屋の隅で固まって喋っているので、周囲の生徒たちに声は聞こえていないはずである。
純架は持参していたA4の封筒から、1通目を取り出した。奈緒が問いを投げかける。
「どうするの、桐木君?」
純架は二枚の紙をひらひらと振って見せた。
「せっかく1年2組に来たんだ、他のキャストにもこの2通の脅迫状に心当たりがないか尋ねてみよう」
「なんで演者に打ち明けるの? その人たちの中に犯人がいるっていうの?」
「川勝君は主役を張るんだよ。それに嫉妬したり疎ましく思ったりする人物がいるとするなら、まずキャストを疑ってかかるべきだよ――昨日楼路君が指摘していた通りにね。まあ、とりあえず反応を見てみたいってところかな。……川勝君」
「はい、何でしょう」
「僕らが居座ったら皆の食事の邪魔になる。お願いなんだけど、役者の皆さんを一人一人廊下に呼び出してくれないかな。何、すぐに終わる。脅迫状のことはまだあまり大っぴらにはしたくないんだよね?」
雄之助は勇敢だった。そのたくましい顔には一切の濁りがない。
「はい、こんなことで周りに心配されるわけにもいきませんから」
「じゃあ役者の皆さんには口外法度という念押しは忘れずにしておくよ。ではよろしく」
かくして純架の取り調べが始まった――そんなご大層なものでもないか。




