0114生徒会長選挙事件06☆
俺たちのチラシと似たようなサイズの、だがパソコンで鮮やかに打ち出されたそれには、『我々新聞部は真実を追究します』の見出しと共に、改めて小向先輩の噂の否定と校内世論調査が記載されていた。生徒100人を対象とした無作為のアンケートによると、小向先輩と輪島先輩、友里の支持率は49:6:45となっていた。結構接戦なんだな。輪島先輩を除いて……
これには純架も手放しで喜んだ。
「これは心強いね。ありがとう、辰野さん」
「私の努力じゃありません。高梨さんの頑張った演説が全ての原動力です」
そこへ英二と結城が現れた。血相を変えた彼らに、俺は不審を抱いて尋ねる。
「よう二人とも、遅かったな。なんだ、そんな慌てて。どうしたんだ?」
「小向先輩陣営が宣伝チラシを配り始めたぞ。それもフルカラーで写真付きの奴を、大量に」
俺たちは愕然とした。英二が紙片を差し出す。
「どうやら連中は金に糸目をつけない戦術に出てきたようだ。これがそのチラシだ。一枚もらってきた」
まるで円陣を組むように、俺たちはそのチラシを中央に覗き込んだ。噂に関しては一言も触れず、『頼れる3年生の新生徒会長誕生を、皆さんの手で! 小向夏樹』と派手にでかでかと書かれている。彼女の華やかな笑顔が中央に映えていた。
純架が小柄な美少年に声をかける。
「英二君?」
英二は明敏にも察して首を振った。
「言っただろう、学校の政争に金は出さんと。こっちはチラシと新聞部の号外頼みだな」
奈緒が補足した。
「あと壁新聞もね。ねえ、今まで『探偵部』皆でチラシ配りしてたけど、無言だったでしょう? 今度からは声を出して、友里ちゃんを応援していこうよ。『高梨友里に清き一票を!』って、大声で叫ぶの」
純架は上着を脱いで赤ふんどし一丁となると、不承不承うなずく。
「ちょっと恥ずかしいから遠慮してたんだけどね……。でもこうなったら仕方ない。やろうか」
今の半裸を恥ずかしがれよ。
ともかく『探偵部』全員が一斉に賛同の声を上げた。
一同は直後の土曜日の朝から、校門前で宣伝活動に全力を注いだ。名前の書かれたたすき掛けの友里は、情熱を持って先頭に立ち投票を呼びかける。チラシと新聞号外はたちまちはけていった。
一方、少し離れた場所で美麗なチラシ配りと声かけに従事しているのは小向陣営だ。噂戦略の破綻は火を見るより明らかで、必死で挽回に全力を尽くしている。
更に土曜日の午後、月曜日の朝夕と、選挙戦は終盤に差し掛かりますます加熱していった。小向夏樹対高梨友里の女同士の一騎打ち、2年対1年の熾烈な闘争の話題は、学校の生徒たちの間で頻繁に持ち上がり、さてどっちが勝つのだろうと喧々諤々の議論があちこちで花咲いた。
そして、火曜日の早朝――
いよいよ投票日を迎えた。俺たち『探偵部』と友里は、最後の呼びかけとチラシ配布を終えて教室に戻った。寒空でよく頑張ったということで、友里は全員に暖かい缶コーヒーを奢ってくれた。
純架がその蓋を開けながらかじかんだ手を温める。
「いよいよ投票だね。果たして上手くいくかな?」
俺は熱い微糖コーヒーをすすった。非常に甘く感じる。
「あんだけ頑張ったんだ。皆支持してくれるさ」
奈緒はカフェオレを楽しみながら感慨深げだ。
「こんなに声を枯らすなんて、カラオケで熱唱した後みたい」
英二はブラックコーヒーをあおる。さすがに自分の家の高級なコーヒーを持ち出すことはなく、奢りをありがたく受け取っていた。
「まあ、本来部外者である『探偵部』もよくここまで熱を上げたものだ。勝ってもらわないと困るな」
結城が微笑んで、ご主人様に突っ込みを入れた。
「最終的には一番肩入れしていたようにもお見受けしましたが……」
まどかは友里に存在を気取られたくないのか、透明のまま終始無言だ。
友里はただ、期待と不安とで沈黙のうちに沈み込み、一向落ち着かないでいた。
投票は各クラスのホームルームで行なわれた。短冊状の投票用紙には三名の候補者の名前が書かれ、それぞれの下に空欄が記載されている。生徒は信任する一名の下に丸印をつける、という形で貴重な一票を投じた。紙は裏返しで回収され、先生の持参した黄色い派手な巾着袋の中に納められる。ずいぶん新しい袋だな、とそのとき思った。
1年3組担任の宮古先生は、その巾着袋を持って教室を出て行った。姿が消えると教室の雑音がボリュームアップする。緊張していた空気が緩み、ざわざわと騒がしくなった。
「誰に入れた?」
「もちろん、うちの高梨さ」
「だよなあ」
俺は達成感に満たされていた。これで後はもう、明日の結果発表を待つばかりだ。
部室では打ち上げ代わりに記念撮影が行なわれた。日向のカメラを前に、『探偵部』6名――まどかは除く――と友里が笑顔で寄り添う。勝つにせよ負けるにせよ、いい記念になるだろう。
撮影が終わると、純架がクラッカーを鳴らして友里を祝福した。黒板に書いた俺の似顔絵に向けて放つという奇行は、この際目をつぶろう。
「今日までお疲れさん、高梨さん」
友里は心の底から、と分かるような震え声で感謝した。
「本当にありがとう、桐木さん、朱雀さん、三宮さん、飯田さん、菅野さん、辰野さん。この場にはいない新聞部の皆さんも。私、私……」
感極まったか、その目尻から涙が伝い落ちた。鼻をすすり、こらえ切れないとばかりに泣き始める。
「こんなに親切にしてもらったの、生まれて初めてだったかもしれません。本当に、本当にありがとうございました。何だかもう、落ちてもいいような気がしています」
純架はうまい棒チーズ味を食べながら苦笑した。
食べるか苦笑するかどっちかにしろ。
「何を言ってるんだい、高梨さん。土壇場で潮目は確実に変わった。きっと君が勝利しているよ」
俺も同調する。
「そうそう、大変なのはこれからなんだから」
奈緒が嗚咽を漏らす友里にそっと近寄り、その体を抱きしめた。
「泣かないでよ、友里ちゃん。私まで泣きそうになるじゃない……」
奈緒は泣き笑いの表情で友里の頭を撫でた。
だが、翌朝学校の掲示板に張り出されていた真っ白い紙には、残酷な結末が書かれていた。
『新生徒会長・小向夏樹《2年2組、得票149》
新副生徒会長・輪島陽太《2年3組、得票22》
新副生徒会長・高梨友里《1年3組、得票71》』――
俺も純架も我が目を疑った。一番ショックを受けていたのは、ちょうど同じ時刻に遭遇した友里の方だっただろう。俺たちは三人で肩を落とした。周囲の人混みからも意外そうな声が続々上がっている。
「ごめんなさい、桐木さん、朱雀さん。あれだけしてもらったのに結果を出せなくて……」
純架は顎をつまんで真剣に考え込んだ。
「いや、いいんだ高梨さん。……でも、おかしいよ。接戦で僅差勝利だと思ってたのに、こんなに大差がつくなんて……。倍以上だよ、倍以上。そんなことってあるかい? まあ輪島先輩はこれが正しそうだけどさ」
そこへ矢那橋先輩、小暮先輩、中園先輩が現れる。意気揚々とし、その顔はどれも歓喜に溢れていた。
「残念だったな、桐木。生徒会長の座はうちの夏樹のものだ。気の毒にな」
三人は抑え切れなかったのだろう、嘲笑を零した。友里が悄然とする。俺は歯軋りして呟いた。
「おかしい。これは何かの間違いです。こんなことがあってたまるか……」
矢那橋先輩が笑いを引っ込めて、俺に厳しい眼光を向ける。
「間違いなどない。選挙は正しく行なわれた。それともお前は不正があったとでも寝言をほざくのか?」
「くっ……」
だが純架は敢然と抗した。揺るぎない確信が感じられる。
「はい、僕は不正があったと思います。小向先輩を勝たせるための、何らかの不正が」
俺も友里も先輩方も、唖然として声もない。だがやがて矢那橋先輩がつまらなさそうに吐き捨てた。
「馬鹿馬鹿しい。行こう、皆」
純架の知性を低く見積もり直したかのように、彼を見下す視線を投げた後、振り向いて立ち去っていった。俺たちはその背中をいつまでも目で追っていた。
今日の授業は午前中までだった。放課後、『探偵部』メンバーは部室に集結した。友里の姿がないのが今までと違うところで、すっかり打ち解けていただけにいくばくかの寂寥は拭えない。
皆、今日の結果に不満ありありだった。純架が黒板に赤チョークで『中邑真輔を応援する会』と書いてから、全然関係ないことを話し始める。
「今回の生徒会長選挙は不正選挙だ。何者かが何らかの手段で開票結果を捻じ曲げた。僕はそう見ている。そしてその証拠は既に隠滅されたかもしれない。というわけで無駄かもしれないが、これから職員室へ行って集票・開票のプロセスにミスや作為がなかったか調べてこようと思う」
奈緒も英二も、他の皆も賛成した。それだけ得票数に疑念を抱いている者が多いということだ。純架が語を継ぐ。
「ただ、全員で押しかけるのもせせこましいね。そうだね――僕と楼路君、飯田さんの三人でいいや。他の皆はここで待機していてくれたまえ」
かくして俺と純架、奈緒は、すっかり人通りの少なくなった廊下を渡り、職員室へやってきた。まずはちょうどいた1年3組担任の宮古博先生に、今回の選挙の開票手段を尋ねた。
「1年・2年の全6クラス各担任は、巾着袋に票を入れて会議室に持ち帰るんだ。そして合同で開票し、結果を足し合わせて最終得票数を割り出す。そういう流れだ」




