0113生徒会長選挙事件05☆
「はい。心から祝福します」
「オレも。でもパパ、死んだママのことも忘れないであげてよ」
三郎さんが瞬間、苦しげに顔をしかめた。
「もちろんだよ、朱里」
へ? 死んだママ?
「おい朱里、お前のお袋って、まさか……」
朱里の表情は一気に凍土の固さとなった。
「3年前に病死してる。オレもパパも干上がるまで泣いた……」
「そうか。悪いことを聞いちまった。ごめんな」
「いいさ」
三郎さんが手を叩いた。それまでの雰囲気をよそへと追い出す。
「よし、食事を続けよう、皆。僕たちの新たな門出を祝して」
それから賑やかな夕食が続行した。どうも話によると、三郎さんと朱里がこの家に越してくることになるらしい。
翌朝、寝不足ながらも何とかチラシ80枚を完成させた俺は、同じく目標を完遂した純架と共に登校した。
「眠そうだね、楼路君」
「ちょっとしたイベントがあってな、何だかチラシを作るのに気が向かなかったんだ」
部室では友里を筆頭に、奈緒や英二、結城が待ち構えていた。俺たちはチラシを分けて配る――現在透明中の地縛霊のまどかはおいておいて。
「今日の夕方にでも校門前で帰宅する生徒相手に配布しよう。効果の程は未知数だけど、やらないよりはやった方が断然いいよ。……さて。ただいまの問題は、11日金曜日の6時限目に行なわれる全校集会だ。生徒会長選挙に出馬した三候補の、最初で最後の全生徒演説が催される。ここでいいスピーチができれば、劣勢の今を逆転する起爆剤になるかもしれない――あるいは、とどめを刺されるかもしれないけどね。皆で演説の草案を考えようよ」
それから俺たちはない知恵を絞り、ああでもないこうでもないと意見を出し合った。
着々進む選挙の様相は、小向夏樹とその流布された噂に、高梨友里と新聞部の記事が挑む、という構図になっていた。
そして日は流れ、金曜日の全校集会。3年生が受験活動で休んでおり、すっかり寂しくなった体育館には、1・2年計6クラス約240名の全校生徒たちが床に座っていた。
生徒会長選挙実行委員会役員が、壇上のマイクのテストを行なう。それが済むと、彼らは舞台袖にはけて、場内の照明を落とした。カーテンが閉められた窓からわずかばかりの陽光が降り注ぐ薄暗い館内で、スポットライトが舞台の中央にまばゆい光線を投下する。
そこに現れたのは、2年2組小向夏樹。光輝に全身を浸され、いよいよ本命の演説が始まるのだ。彼女はマイクの前に立つと深々と頭を下げた。
「皆様、初めましての方もおられるでしょう。今回生徒会長選挙に立候補した、2年2組の小向夏樹です」
力強い、自信に満ちた挨拶だった。全生徒が思わず居住まいを正してしまうほど、その勇姿は体格を2倍にも3倍にも見せる。
俺は薄闇の中で、すぐ後ろで座っている純架に低い声で話しかけた。
「やっぱり本命は違うな」
「よく聴いておくんだ、楼路君。あれが僕たちの敵なんだと」
それから夏樹はパワフルな喋りで生徒たちを圧倒した。時に饒舌に、時に雄弁に、自分がこの渋山台高校を変えるんだ、もっと魅力ある学校にするんだということを滑らかに、かつ一歩も引かぬ覚悟を示して話していく。俺も純架も他の生徒も、息を飲んで聴き入った。
そして演説は終盤を迎えた。やっぱりというか、当然というか、小向先輩は誰もが質問したかったことに触れた。
「私に関しては色々噂が流れており、私もそれを承知しておりますが……」
さあどう出る。と、ここで彼女は微苦笑した。照れたような、困ったような、魅惑的な笑みだった。
「その噂の実現にも、私は全力を注いでいきたいと思っております」
ざわめく館内。純架が俺に耳打ちした。
「否定はしない。さすがだね」
「まあそうくるだろうとは思ったけどな」
そして小向先輩は凛とした声で素晴らしい演説を締めくくった。
「ご清聴、感謝いたします。小向夏樹に一票を、どうかよろしくお願いいたします」
体育館のあちこちから拍手が沸き起こる。それはやがて渾然一体となって、小向先輩のスピーチに対する真っ当な評価となった。小向先輩はにこやかに手を振りながら、舞台袖へと姿を消した。
実行委員会の生徒が頃合いを見計らって、次の弁論者――輪島陽太先輩を登壇させる。輪島先輩は小向先輩と入れ替わるように舞台中央に立つと、机に両手をついて目の前の暗闇を――生徒たちを眺めた。なんだか様子がおかしい。
純架が小声でいぶかしんだ。
「何だ? 何をぐずぐずしてるんだ?」
俺は鼻水をすすり上げる異様な音が、マイクに増幅されて響き渡るのを耳にする。
「あ、泣いてる……」
何と輪島先輩は泣き出していた。見る者が見れば、すぐ嘘泣きだとばれる様子で。だが輪島先輩は自分の演技に酔っているようで、そんな見解があろうとは露ほどにも思っていないらしい。
「みんな、聞いてくれ。わしは立候補者の一人、2年3組の輪島陽太じゃあ。ううっ」
ぽろぽろ涙を零す。まるで涙のカリスマだ。体育館内は異様な空気に包まれた。
「わしは昔から将来のことを真面目に考えとった。考えとったが、それだけで何も実行しようとはしなかったんじゃあ。今回の立候補はそんなわし自身を変えるため。おんしらの熱い支持を受け、生徒会長になって学校を、人生を変革させたいんじゃ」
個人的な動機であって、生徒会長になることはおまけであるかのように聞こえる。へったくそな演説だ。
「頼む! 今回きりでいい、わしを信じてくれぃ! うおおっ!」
輪島先輩はもう言葉にならず、皆の前で慟哭した。純架が俺に辛辣に論評する。
「まるで泣き落としだね。こりゃ酷い」
「あの人、この期に及んでまだこれなのか……」
輪島先輩は米つきバッタのように頭を下げる。
「ご清聴、感謝感謝じゃ! わしに、輪島陽太に清き一票を投じてくれい! 任せたぞ! ううっ」
彼は言うだけ言うと、さっぱりした表情でそそくさと壇上を後にした。
さあ、最後は高梨友里、俺たちの応援候補だ。彼女は静々と登壇すると、マイクを手前に引き寄せた。さて、前の二人に負けないインパクトを残せるか。少なくともビジュアル面では、『探偵部』女子メンバーの活躍で、輪島先輩はもちろん小向先輩にも引けを取っていない。
友里はスポットライトの光が照射される中、にっこりと笑った。
純架と俺が小声で話す。
「どうだろう。うまくいくかね?」
「最終的に草案をまとめたのはお前だろ、純架。今更信じないでどうする」
「まあそうなんだけど」
友里が喋り出し、俺たちは他の生徒たち同様彼女の一挙手一投足に注目した。
「お初にお目にかかります。私は1年3組の高梨友里と申します。こんにちは」
声は明晰で震えていない。意外と本番に強いのかも。
「皆さん、座りっぱなしでさぞやお尻が痛いでしょう。お辛いでしょうが、もう少しの間辛抱してください」
笑いが起きる体育館。掴みはオッケーだな。
「さて、皆さん」
友里が厳粛な面持ちになる。
「右を見てください」
この要求に、頭の上にハテナマークを浮かばせながら、生徒たちが右を見た。俺も見てみたが何もない。というより、この薄闇で何かを判別することは困難だった。
友里が続ける。
「次に、左を見てください」
また観衆が、今度は一斉に左を向いた。俺もそうする。後ろに座る純架は正面やや斜め前の友里をじっと見つめていた。
友里が微笑み、力強く宣言した。
「どうですか、皆さん。私はこれだけの生徒を、言葉一つで自在に動かせるんです!」
この気の利いたスピーチに、体育館はどっと盛り上がった。しばしざわめきが治まらない。一杯食わされた、という悔しさは、しかし心地よいものだった。
純架が俺の肩を少し興奮気味に叩いた。
「やあ、上手くいったね」
「これ、お前が考えたのか?」
「いや、古いラジオ番組のネタだよ」
上手く乗せられた場は、いとも簡単に高梨友里という存在を認めていた。彼女はくどくならないようサッと、尊敬する兄に近づきたい、生徒会長として頑張りたいということを、とうとうと流暢に喋った。そして幅広く生徒の意見を聞くための目安箱を現在の3倍に拡充し、より快適な高校生活を皆で送れるよう全力を尽くすと語った。
短い持ち時間を有効利用した点で、小向先輩を凌駕する巧みさだ。最後に彼女は一礼した。
「ご清聴、ありがとうございました。高梨友里、高梨友里に、どうか清き一票を。よろしくお願いします」
場内は温かな拍手に包まれた。俺が「小向先輩、唇を噛んでそうだな」と純架に言うと、「そうだね」と笑みを含んだ返事があった。
翌土曜日は半日授業で、生徒は登校日だった。もう来週火曜日の投票まで時間がない。俺たち『探偵部』は早朝に部室に集まり、多少文句を変えた――演説でウケたことを受け、『言葉一つで自在に動かせる!』というコピーを前面に押し出したチラシを準備していた。まだ英二が寝坊でもしたのか、結城と共に姿を見せていない。
そこへ久しぶりに顔を見せた者があった。1年1組、新聞部と掛け持ちの辰野日向だ。部長である純架と微妙な距離感を保って報告する。その内容は俺たちの士気を高めるものだった。
「新聞部が昨日の演説で俄然生徒会長選挙に熱を入れ始めました。前から五代部長は、間違った噂を武器にする小向先輩がどうしても許せなかったようで……今日は『渋山台高校生徒新聞』の号外を配ることになりました。これです」




