0110生徒会長選挙事件02☆
「どうする? 純架」
純架は広い室内をローラーシューズを履いて半周した。
そんなものいつの間に用意したんだ?
「やれやれ、しょうがない。じゃあ今回だけ、僕らが高梨さんをバックアップしようか。それでいいね。辰野さんは仕方ないとして、他の皆!」
俺たちは勢いの大小こそあれ、一斉に鬨の声を上げた。
「おおっ!」
友里がこの快諾に感極まって涙ぐむ。両手を組み合わせ、拝むように一礼した。彼女は賭けに勝ったのだ。
「ありがとうございます! 心強いです!」
こうして俺たちの選挙戦が開始した。
今年の生徒会長選挙は11月7日月曜日に公示され、1週間の短い戦いの後、15日火曜日に投票、翌16日水曜日に結果発表となる。
まずはその公示の日がやってきた。早朝、俺と純架が1階の掲示板に足を運んでみると、軽い人だかりができて視線の雨が壁に叩きつけられている。立候補者三名の名前がでかでかと張り出されていた。
2年2組・小向夏樹
2年3組・輪島陽太
1年3組・高梨友里
以上の三名だ。
純架はざわつく人混みの中、背伸びしてそれを覗く。
「ふむ、高梨さんが聞いた風の噂とやらは本当だったみたいだね。まずは敵情視察といこうか。2年2組の小向先輩を見に行こう、楼路君」
「よっしゃ」
俺たちは2階の2年2組に足を運んだ。適当な先輩を掴まえて小向先輩が誰か尋ねる。以前から『探偵部』として何度も聞き込みに訪れていただけあって、小向夏樹の顔は俺も純架も見覚えがあった。改めて見る彼女は何だか魅力的だ。右に流した黒いサイドダウン。大学の女教授のような理知的な瞳と美貌を有し、尖った顎がシャープさを際立たせる。自信に満ちた完成された容姿だった。
「人気投票ならかなりの手強さだね。これは要注意だ」
俺と純架が遠巻きに小向先輩を眺めていると、複数の男女が現れて声をかけてきた。どれも鋭利な眼光を向けてくる。
「お前は1年3組の『探偵部』、桐木純架だな。また何か事件か? ずっと夏樹の方を見ていたようだが」
純架の美貌は名刺のようなもので、今や誰でもその顔で判別してくる。警戒する俺をよそに、純架は満面の笑顔を振りまいた。
「いえ、今度の生徒会長選挙における対立候補の様子を見学しに来まして。クラスメイトの高梨友里さんを応援することになったもので……。それであなた方は?」
「俺は矢那橋雄馬。こっちの小暮孝、中園五月と一緒に夏樹をサポートするつもりだ。敵情視察ならどうぞご自由に」
「いえ、もう大丈夫です。お互い頑張りましょう」
「そうか? ならば健闘を誓い合おう」
「はい、よろしくお願いします」
純架も俺も一礼して2組を後にした。戦々恐々としながら……
しばらく歩いてから、俺は相棒に小声でささやいた。
「いやあ、おっかなかったな。突き刺すような視線だったぜ、三人とも」
「どうやら彼らが今回の敵陣営ってわけだね。小向先輩のブレインってところかな。さて、次は輪島先輩だ」
俺と純架は2年3組に移動した。さっきと同様、輪島陽太先輩を教えてもらう。彼は落語家の弟子のような丸坊主頭に太った体型だ。憎めない童顔だが、時々策士の光が目に躍るのが小憎らしい。だいぶ汗っかきらしく、ハンカチで額を拭いていた。今は11月なんだけど……
輪島先輩を見て、純架は楽観視した。強敵とは見なさなかったらしい。
「華がないなあ。それに見てて何だかいらいらしてくる。これは大したことなさそうだ」
俺は彼の笑顔をたしなめた。油断は禁物なのだと教えたい。
「ずいぶん酷いこと言うなあ。聞こえたら最後だぞ」
しかしついつい付け足してしまう。
「まあ俺もそう思うけど。選挙は基本、人気投票だからな」
俺たちは小向先輩との一騎打ちとの見方を議論しながら、1年3組に戻っていった。
旧棟3階1年5組の『探偵部』部室は、臨時の高梨友里選挙対策本部室となっていた。
俺たちの選挙戦は、まず友里の地味な容姿を変えるところから始まった。立候補者が小ぢんまりしていては話にならないからだ。
椅子に座って若干緊張気味の友里の頭を、奈緒と結城がああでもない、こうでもないともてあそぶ。奈緒は生徒会長選挙の最重要項目とも言うべき「見た目」に腐心し、友里に決意をうながした。
「女は見られて綺麗になるものよ。周りの目を意識して自分を変えるの。例えば友里ちゃん、彼氏とかいる?」
「い、いいえ、いませんよ彼氏なんて」
「うーん、じゃあ桐木君でいいわ。選挙期間中、桐木君の彼女になったつもりで、少しでも好感を持たれるように自分自身を変革するのよ」
「あんな綺麗な人を彼氏だなんて、気の持ちようが難しいです」
「泣き言言わない」
結城が三つ編みを解いていく。
「私、整髪の腕前は英二様の散髪でプロ級です。今日はもっと素敵な髪型に変えてあげますよ」
「ええっ、今ここで切るんですか?」
「はい。大丈夫、整えて型を作るだけですから。選挙で勝ちたいのでしょう?」
「それは、まあ……」
「ならば私にお任せを。道具は持参してきました。早速カットしましょう」
奈緒が付け睫毛を差し出した。
「睫毛も増やそうよ。リップももっと唇が映えるようなものに変えて、ね」
その様子を遠巻きに見ていた『探偵部』男子会員たちは、彼女らのはしゃぎぶりにどうにもついていけなかった。英二が頭を指で押さえて嘆く。
「こんなことで大丈夫なのか? 本当に……」
純架はしかし冷静に大局を見ていた。社会の窓が開きっ放しだが、それは俺も英二も無視する。
「とりあえず見た目を良くすれば鈍重な輪島先輩には勝てる。僕らの敵は小向先輩ただ一人だ。まだ選挙初日、今日は今後の対策を考えていこう」
英二が若干気がかりそうに、ある情報を開陳した。
「そのことなんだがな純架。実は今日先生に雑用を頼まれて、職員室へノートを持って行くことになったんだ。で、運んで歩いている途中でこんな噂を耳にした……」
聞かれるのをはばかれるように、頭を寄せて低い声で口にした。
「――小向夏樹が当選したら、部費への予算割り当てがアップする――」
純架は一瞬呆けた後、あっさり笑殺した。
「何だい、その馬鹿馬鹿しい噂は。そんな権限、生徒会長にあるわけないだろうに」
「でも話してたのは2年の女子数名だった。まことしやかにな。……何、ちょっと気になったから話しただけだ。馬鹿馬鹿しいのは俺でも分かってる」
ハサミの軽快な音が響き渡る。友里の変身が始まっていた。
その翌朝、1年3組の教室に登校した俺と純架は、別人のように彩りを加えた友里に揃って驚いた。彼女は黒縁眼鏡を捨て、銀縁の丸眼鏡をおしゃれにかけていた。髪は野暮ったい三つ編みからセミロングとなり、末端がカールしていてボリュームがある。睫毛も増量して頬には紅がさし、唇が淡く輝いていた。
若干はにかむ友里の隣で、奈緒が偉そうに胸を張っていた。
「どうよ、朱雀君、桐木君! これならバッチリでしょ?」
純架は驚愕するあまり、ワイヤーアクションで廊下まで吹っ飛んでいった。
いつ仕掛けたんだよ。
俺は素晴らしい方向へ変貌した友里に思わず鼻の下を伸ばす。文句なしに可愛かった。
「確かにこいつは素晴らしいな」
廊下の壁に激突して悶絶していた純架が、腰をさすりながら再び入室してくる。
「これなら小向先輩にも負けないよ。綺麗だよ、高梨さん」
友里は頬に血を上らせて、バーチャル恋人の純架に微笑んだ。とろけるような笑みだった。
「ありがとうございます! 飯田さんと菅野さんのおかげです。自分でも鏡を見て、未だに自分自身か信じられないぐらいです……」
そこへ英二と結城が現れる。二人とも何やらジグソーパズルに失敗したような顔をしていた。英二が切り出す。
「おい、純架。結城も噂を耳にしたぞ」
「噂? SMAPが解散するかもしれないという、あの不謹慎な噂かね?」
何年遅れだよ。
「違う。競争相手の小向先輩の噂だ。また好意的な奴だった」
「どんな?」
「こうだ。――小向先輩が当選したら、化粧や髪の色、スカートの長さといった校則違反が緩やかになる――」
純架がまたしてもワイヤーアクションで、今度は天井に飛び上がった。
だからいつ仕掛けたんだよ。
「何だって? またそんなでたらめを……。話していたのは誰だったんだい?」
「通りすがりの1年女子だったそうだな、結城」
「はい。日頃がんじがらめの校則で自己主張を妨げられてきた女生徒たちにとっては、耳寄りな話だと言えます。更にそれだけではなく、こうもおっしゃっていました――小向先輩が当選したら、文化祭の売り上げが生徒会に還元される――だそうです」
俺は純架が今度はどの方向へすっ飛ぶのか期待した。だが彼は椅子に座って腕を組むばかりだ。
ちゃんと最後までやれよな。
「おいおい純架、これらの噂の流布はちょっとまずくないか?」
俺、奈緒、英二、結城、まどか。『探偵部』メンバーたちの視線が、純架一人に集中する。彼は断定した。
「どうやら出来もしないことを、あたかも出来るかのように好餌の噂として流しているみたいだね、小向先輩陣営は。公約と違って噂だから、もし実現できなくても問題ない。ただの目先の人気取りってわけだ」




