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第7話 音楽の天才レナートの攻略2

レナートを攻略するにあたり、ルチアはゲーム通りの展開をなぞることをほとんど諦めていた。

そんな中でも、彼女なりに『愛憎のシレア学園』を分析した結果、欠かせないと思ったフラグはしっかり立て、ここぞという時の台詞は確実に外さず、スチルはばっちり回収している。

ここまでオルランドとアドルフォの攻略に絶対の自信があるからこそ、ルチアはレナートに対しては少々攻めた攻略を楽しむことができた。


レナートの好感度は確実に上がっている。

ゲームでもヒロインと親しくなるほどに発揮されてくる彼のツンデレは、既に日常的にルチアに対して発揮されるようになっている。

ただ、イベントの各所に加えてきたルチアなりのアレンジの影響か、これが友情なのか恋情なのかは判断がつき難い。


そんな中、絆を重視したルチアの攻略法が功を奏したのか、レナートルートのビッグチャンスが舞い込んできた。

ヴァイオリンコンクールでのピアノ伴奏を、レナートのほうから頼まれたのだ。

『別に、他の人でも良かったんですけど。弾きたそうにしてたから、仕方なくお誘いしました』という、頬を染めて視線を逸らしながらの、ツンデレ発言と共に。


ゲームの中ではシレア学園三年目の秋、レナートの毎年出場するヴァイオリンコンクールで、ヒロインが伴奏の代役を頼まれるというイベントがある。

毎年レナートは、パレストリーナ伯爵家で彼のピアノ教師を務めている中年の音楽家に伴奏を頼む。

しかし、三年目の秋はコンクール一週間前にその教師が手に怪我をしてしまい、急遽他の伴奏者を探すことになる。

パレストリーナ伯爵家の伝手を頼ればいくらでも上手いピアニストを代役に探して来られるのだが、ヒロインと親しくなったレナートは、『優勝なんてもう飽きてしまった。そんなことより、いつもと違うことをやってみたい。たまには下手くそと共演したほうが、新しい発見もあるだろう』と、照れ隠しにヒロインを下手くそ扱いしつつも伴奏を頼むのである。


このイベントを発生させるには、ここまでにレナートに一度でもピアノ演奏を聴かせる選択肢を選んでいることが条件だ。

ルチアは前世でもピアノを趣味としていたため、このレナートルートに備えて、公爵令嬢の嗜みとして嬉々としてピアノを練習してきた。

若干十二歳で、『秘儀、ラ・カンパネラ!』と言って前世の十八番を披露した時は、モンテサント公爵家のピアノ教師も執事のロレンツォもひっくり返って驚いていた。

ヒロインのピアノの腕に関しては、伴奏が充分に務まる程度という描写しかなかったことを考えると、ルチアは少なくとも技術面でおそらくその何倍も上である。


レナートに自分のピアノを披露したことは、ルチアには既にあった。

しかし、ヴァイオリンコンクールでのイベントを一年先にやってしまおうとまでは、彼女は考えていなかった。

それは、本来の伴奏者の怪我によって起こるイベントなのだ。

もしルチアが無理矢理このイベントを早めるために彼のピアノ教師に怪我をさせようものなら、それが露見すれば傷害罪である。

だから、ヒロイン編入後に伴奏者の座を競り勝つ必要があると、ルチアは考えていたのだ。


それが、レナートがルチアに伴奏を依頼してきたのはコンクール一か月前。

怪我による代理というわけでもなく、初めから彼はルチアの腕を買ってくれたのである。

純粋に音楽が好きなルチアは、音楽の天才との共演を心から喜んで快諾した。

学園三年目の本来のイベントとは曲目が違うが、そんなことは許容範囲であろう。

満面の笑みで、ルチアはイベントに挑むことにした。




控室で、緊張に身体を硬くするルチアに、レナートは黙ってチョコレートを一粒差し出した。


「緊張のせいで貴女にヘマをされては、わたしの演奏が台無しになりますから」

「ありがとうございます、レナート様」


神経質そうな整った白い横顔の、頬だけをほんのり赤く染めて、ぶっきらぼうな物言いながらレナートはルチアを気遣った。

この台詞とチョコレートを渡すという行動はほぼ、イベント通りである。

そのことに安心しながらも、ルチアはやはり今日の舞台に緊張していた。

稀代の天才の伴奏で、足を引っ張るのはルチアのプライドが許さない。

何よりルチアは音楽を愛している。美しい音楽を自分の失敗が冒涜するのは許されることではない。


彼らが今日演奏するのは、ヴァイオリンの超有名曲、サラサーテ作曲の『ツィゴイネルワイゼン』である。

ゲームでヒロインが伴奏するのは、伴奏者の怪我を受けて曲目を変更してのマスネ作曲の『タイスの瞑想曲』であり、伴奏の難易度はルチアが引き受けたほうが格段に高い。


「どうしました、公爵令嬢?チョコレートはお嫌いでしたか?」


本気で曲のことを考えていたルチアは、チョコレートを握ったまま怖い顔をしていたようだ。


「あら、私ったら…後半のテンポのことがまだ気になって、頭から離れなくて」


正直に答えたルチアの手から、レナートはチョコレートを取り上げてしまう。


「いらないなら別に、無理にもらって頂かなくて結構です」

「いらないとは申し上げておりませんわ!」


慌ててレナートのほうを振り返って、チョコレートを取り返そうとして手を伸ばす。

レナートの青紫色の瞳が神秘的な輝きを放って、形の良い唇がにやりと笑んだかと思うと、その手を捕まえられてしまう。


「そんなに欲しいなら、差し上げますよ」


いつも繊細に楽器を奏でるレナートの長く美しい指が、ルチアの口にその一粒を放り込んだ。

ルチアの口の中に甘みが蕩けて広がっていく。

彼女は、かぁっと、顔中真っ赤に染まるのを感じた。


(イベントに無い展開、スチルでも見たことない!これは反則だわ!)


レナートはクスクスと笑っている。

こんな笑顔を見せるのは、ゲームではもっと終盤のはずだ。


(もしかして、好感度上がりすぎてない…?)


驚きと戸惑いに、ルチアはチョコレートを含んだままの口をぱくぱくさせてしまう。


「その間抜け顔で舞台に上がれば、上手くいきますよ」

「まあ、レナート様ったら淑女(レディ)に対して失礼ですことよ」


本気で咎めるでもなく、ルチアは柔らかく微笑みながらレナートに言い返す。


「…冗談ですよ。貴女はいつも通りで大丈夫です」


急に真剣な眼差しを向けて、レナートはルチアの翡翠の瞳を見つめた。

その時ルチアは、控室の扉に嵌め込まれたガラスごしに、どす黒い視線を感じた気がした。


(まさかあのストーカー!?こんな日にまで私の邪魔を!?)


その気配を憤りを抑え込んで無視しつつ、ルチアはレナートを見つめ返す。


「必ず上手くやってみせますわ。レナート様の音楽を少しでも乱しては、私、自分が許せませんもの」

()()()()()()音楽ですよ、ルチア様」

「ええ、そうですわね」


この台詞はイベント通りである。

戸口から漂ってくる暗い気配さえなければ、レナートから初めて名前を呼ばれるこのシーンに、ルチアはときめいたかもしれなかった。


(演奏だけは絶対に邪魔させないんだから…!)


ルチアは、いつになく本気で腹を立てていた。

しかしそんな感情を振り払いつつ、出番が近づいた彼らは舞台袖へ向かう。


レナートの前の出場者が演奏している中、静かに二人は出番を待つ。

今弾いているどこぞのご令嬢も、コンクールに出てくるだけあってそれなりの腕前ではあるが、レナートと比べてしまうとそれも凡庸に感じる。

レナートは、音楽好きのルチアが心酔する本物の天才だ。

優勝は当たり前として、ルチアはその演奏を最高のものにしたい。


隣に立つレナートの横顔にこっそりと視線を向けると、図らずも目が合った。

口の形だけで『大丈夫』と、彼はルチアに伝えてきた。

やがて演奏が終わり、舞台上の令嬢が優雅に礼をすると、拍手が響き渡る。


「いきましょう。わたしたちの舞台へ」


レナートが一瞬、ルチアのプラチナブロンドの髪を一房その白く長い指に絡め取りながら、魅惑的な微笑みを浮かべた。

すぐに彼はその手をすっと離し、背を向けて舞台に向かって歩き出してしまう。

唖然としかけたルチアだが、それを追いかけて自分も舞台へ上がるしかない。


(何!?今の何!?こんなスチル知らないっ!)


すらりとした体躯に燕尾服を纏った美貌のレナートは、舞台上で楽器を手にするためにそのシルエットを神から授かったのかと思うほど、その佇まいだけでその場を彼の世界に造り変えてしまう。

主役である彼を引き立てるため、裾の広がりの少ない黒一色のドレスに身を包んだルチアは、そこに溶け込むようにピアノの前に腰掛ける。


癖のある栗色の髪ごと、レナートがルチアを振り返る。

調弦のためにルチアが(アー)の音を鳴らすと、レナートは既に完璧に整えられた四本の弦を軽く弓で撫でて確認し、ほとんど直しもせず頷いた。


会場は静かに、痛いほどの静寂を広げて、音楽が始まるのを待っていた。


この曲は、ルチアのピアノから始まる。

鍵盤の上に手を置いて、有名過ぎるその冒頭部分を奏でる。

本来これは、ヴァイオリンの独奏に対し管弦楽の伴奏で作曲されたものだ。

だからルチアは、その全ての音色をピアノだけで表現する。

今だけは、ルチアは音楽のことしか考えない。


レナートのヴァイオリンがすぐに入って来る。

その瞬間から、世界が作り替えられていくかのように彼の音楽が広がっていく。

ルチアのピアノは、その世界に心地良く攫われていく。

レナートの音を、彼の呼吸を感じて、そこにルチアは委ねていけばいい。

震えるほどの痺れと共に、ルチアはレナートの音楽と一体になっていくように感じられた。


その幸福な時間は、あっという間に過ぎ去った。

たったの一曲、その場限りの夢の時間。

ルチアにはそれが、忘れ得ぬ最高の記憶になった。


礼をする彼らに、一際大きな歓声と喝采が浴びせられる。

優勝がどうとか、そんなことはもうルチアにはどうでもよかった。

ルチアは、この場にいる誰よりも、音楽の神から最高の祝福を受けたのだ。


舞台袖に下がってすぐ、ルチアはヴァイオリンを持ったままのレナートにハグをされた。


(えっ!?ええっ!?こんなイベント知らない!)


その上、頬にキスまでされた。


「貴女は最高の伴奏者だ!来てください!」

「え、ちょっと、レナート様!?」


強引にルチアの手を引いて、レナートは小走りでどこかへ向かう。

ルチアは戸惑いながらも、ついて行くことしかできない。


最もルチアが困惑したのは、レナートのこの行動よりも、今彼女が感じていることである。

先程一緒に演奏していた時は、レナートの音楽も、レナートのことも、まるで自分とひとつになっているかのように感じていたし、そのことが心地よかった。

けれど、今こうして引かれている手や、先程ハグやキスをされた時に触れた感覚は、何か異物のように別物だと感じるのだ。


(そっか、私…。レナートの音楽は好きだけど、レナートのことを愛してるわけじゃないんだわ)


攻略キャラに対して、ルチアは等しく恋愛感情と呼べるほどの感情を持っていなかった。

ゲームの進行をなぞらずに攻略してきたことで特別に感じていたレナートに関しても、それは同じなのだ。


(でも、レナートだって別に、恋愛感情を持ってるわけじゃないかもしれないわ。音楽家ってよく、良い演奏をした後は気持ちが盛り上がって、舞台上でスキンシップしたりするし)


そうして歩いていく途中から、背後をつけて来る足音が聞こえ始めた。


(あの…っ!ストーカーめっ!!)


やがて辿り着いたのは、会場裏の人のいない広場だった。

ルチアの手を離したレナートは、噴水の前に立ち、ヴァイオリンを構える。

背後の木陰からは、背中を刺すような禍々しい視線の気配。


「貴女に一曲贈らせてください」


青紫色の瞳を神秘的に煌めかせて、レナートはルチアのほうへ眼差しを注ぎながら、ゆっくりと旋律を奏で始めた。

じわりと甘く沁み込んでいくような、それは溶けそうにロマンチックな旋律だった。

ルチアの聴いたことのない、おそらくレナートが今、ルチアだけのために作曲した旋律だ。

背後の気配は鋭さを増しているが、そんなことは無視である。


これを聴いていると、甘い感覚が胸の奥から滲みだし、ルチアはレナートに恋をしているのではないかと思いそうになる。

しかし、先程の自問自答を思い出せば、ルチアはまたこの音楽に魅了されているだけであって、レナート本人にこの甘い感情を抱いているわけではないのだろう。


(でも、でも…。この音楽をずっと聴いていられるなら、愛なんて無くてもいいかもしれない…!)


うっとりと聴き惚れるルチアは、滑らかな頬を紅潮させて瞼を閉じた。

そのうちに、凪ぐように穏やかに旋律は終わりに向かっていく。

名残惜しみながら、ルチアは瞼を開く。

青紫色の美しい瞳は、まだルチアだけにその眼差しを注いでいた。


「素晴らしいわ。なんて美しい旋律なのかしら」

「美しいのは当たり前です。ルチア様のことを想って浮かんできた旋律なのですから」


ルチアは切れ長の美しい目を見開いて驚いた。

ツンデレのはずのレナートが、直球な口説き文句を口にしている。


「それって…」


その時、背後の木陰から、恐ろしく下手なヴァイオリンが聞こえてきた。

吐き気がしそうなほどに音痴な、キラキラ星。

その場の空気が凍り付いた。


(まさか…まさか…まさか…!あいつだったら、許さない!!!)


「ルチア様、すみません。ちょっと眩暈と吐き気が」

「ええ。私もですわ」


青い顔をして、二人は控室へ戻ろうと歩み出す。

しかしルチアは、歩きながら沸々と湧きあがる怒りを抑えられなくなった。


「…レナート様。先に戻っていてくださいませ。私、少々お花摘みに」


お花摘み――すなわちお手洗いに、というのは嘘である。

引き返したルチアの向かう先はひとつ。

犯罪的なまでに耳障りな音の根源である。


ところどころ、キィキィと騒音まで混じらせている、酷いの一言に尽きるその演奏。

ルチアは、その存在自体が許せなかった。

近づいて来るにつれ、ルチアの歩調は公爵令嬢にあるまじき、ズカズカと乱暴なものになっていく。

木陰にいるその人物の頭には、銀色のサラサラとした髪が生え揃っている。

疑惑が確信に変わった時、ルチアの頭の中で、何かがプチンと切れた。


「やめなさいこの公害!音楽への冒涜よ!!!」


ルチアは叫んだ。

ようやく恐ろしく下手なヴァイオリンの音が止まる。


「ご、ごめんなさいっ!!ごめんなさいぃいいい!!!」


ヴァイオリンを地面に置いて、その男は土下座を始めた。


「謝るくらいなら騒音撒き散らすんじゃないわよ、この迷惑野郎!!!」


ぺこりぺこりと何度も頭を下げながら、彼は震えている。


「でも、でも、ぼくだってルチア様に、一曲贈りたくて…」


またもや、プチンと一本、何かがルチアの頭の中で切れた。


「私の耳を破壊する気!?あなたのそれは音楽じゃなくて公害なのよ!音楽を馬鹿にしないで頂戴!」


ルチアは物凄い剣幕でまくし立てた。


「うっ、うぅっ、うわぁぁあああああああん!!!」


いつものごとく、彼は泣き喚きながら走り去った。


「何っなのよ!」


近くにあった小石を黒いハイヒールで蹴とばして、肩を怒らせたままルチアは控室へ歩き出した。


レナートは勿論、そのコンクールで優勝し、表彰台に上がった。

ルチアは最高の音楽に恵まれた同じ日、最悪の騒音も聞かされ、すっかり耳が疲れてしまった。

レナートもまたあの後から疲労の色を滲ませていたことから、ルチアと同じように感じていたことであろう。

あんな邪魔が入ったせいで、結局レナートの言葉の真意はうやむやになってしまった。

第七話をお読みくださり、ありがとうございます。


他の攻略キャラよりもレナートを贔屓している感じがしますが、ひとえに私の好みの問題でこうなりました。

ルチアの気を引こうと的外れなアプローチを続けるストーカーの奮闘を、今後とも見守って頂けますと幸いです。

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