第38話 演劇と役者とイベントと
ロベルタと落ち着いて話す機会のないまま、ルチアは文化祭当日を迎えていた。
ルチアの知るエルザ・パレストリーナに関する情報をロベルタと共有するならば、彼女がそれをどこで知りえたか、つまり前世の乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』の説明をする必要がある。
その話をするには、ロベルタと二人きりという条件下でなければならなかった。
ところが、昼や放課後にその機会をうかがっていると、狙ったようにいつも邪魔が入ったのだ。
ある時はナナミによって、そしてある時はエルザによってという場合もあり、彼女らは裏で繋がっているのではないかと疑りたくなったほどである。
シルヴィオとは、相変わらず距離を取ったままだった。
信じる、信じようと決めた――そんなふうに念じなければならない時点で、その信頼は自然なものではなかったのだと、ここにきてルチアは思い知る。
自分に言い聞かせなければ相手を信じられないということは、裏を返せば、そうでもしなければ信じていられないということなのである。
そしてその原因がシルヴィオの側にあるのではなく、全てルチアの心の状態にあるのだと、彼女は自覚している。
不安定な心のまま癇癪をぶつけたり、我儘で振り回したりしたくないなら、遠ざけておくのが一番なのだ。
ルチアたちの学級による出し物である、『小公女セーラ』の演劇が始まった。
まさに悪役令嬢といったいじめっ子役のラビニアを演じるルチアは、自分に相応しい役だと心から思っており、気持ちよく役に入り込めて上機嫌である。
乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』における主人公は、素朴な顔立ちにみすぼらしい衣装で憐れを誘ったという描写をされていたが、ナナミの化粧によって作られた華やかな顔立ちは、それはそれで舞台映えして悪くない。
ただ、セーラ役のナナミは演技をしているというより、自分を良く見せる角度や姿勢に気を配ってポーズを決めているといった動きをしがちで、同じ舞台に立ったルチアにはそれが頻繁に鼻に付いた。
問題の、主人公が悪役令嬢によって舞台から落とされる場面が来た。
学級の台本係が作った台本には、限りある上演時間中に見せ場を盛り込んだ上で物語全体のバランスが取れるように、原作とは異なるアレンジが施されている。
この場面では、ラビニアとミンチン先生によるセーラへの嫌がらせを端的に描くため、彼女らを舞台上に勢ぞろいさせ、寄ってたかってセーラを囲む図が出来上がる手筈である。
「ベッキー、あなたは黙ってなさい。私はセーラに言ってるのよ」
ルチアの美しい悪役顔が意地悪く笑み、ナナミを見遣る。
これは、ラビニアが靴の磨き方が気に入らないといって、セーラに難癖をつける場面である。
この後、ラビニアがセーラに勢いよく靴を投げつけ、その衝撃でセーラが床に倒れたところへ、ミンチン先生がやってきてこの現場を見つける。
そしてミンチン先生はラビニアを止めるどころか、使用人となった身でラビニアを怒らせたセーラが悪いとして、手を上げるという流れである。
乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』においては、このシーンでヒロインが舞台から落とされるのであるが――。
「ほら、やり直して!」
迫真の演技である。
意地悪く口元や眉を歪めたルチアの美貌は悪役令嬢そのもの。
その手から、ナナミのほうへ靴――とはいっても、小道具としてつくられ、柔らかく軽く、当てられても怪我をしないもの――が投げつけられる。
その衝撃で倒れる演技をして、ナナミは床へ崩れ落ちる。
(あら、シナリオ通りにはならなかったわね)
床に身を伏せたナナミは、乙女ゲームのシナリオのように、悪役令嬢によって施された細工のせいで衣装が破けたり、舞台下へ転落したりはしなかった。
彼女は学級の台本通り、床に手をついて起き上がり、毅然とルチアを見上げ――。
(何!?)
客席側からは見えないナナミの顔に浮かんでいたのは、悪意に満ちた笑みであった。
次の瞬間、ルチアの足元が動いた。
何か踏んでいたものが動いているのだと気づいた時には遅く、ルチアの体勢は既に不安定になっていた。
「ルチア様っ!」
慌てて駆け寄ろうとするロベルタの小さな叫びが、背後から聞こえる。
それを認識すると同じ頃には、ルチアの身体は宙に浮いていた。
(え……? 私、ヒロインじゃないんだけど……?)
回転する視界の隅で、ナナミが床に擬態していた何かを掴んでいるのが見えた。
床の上、彼女の手元に皺がよっているのだ。
会場のざわめきを遠くに聞きながら、ルチアは落ちていく。
「「ルチア様!!!」」
「ルチア!!!」
「キョウコさん!!!」
聞こえて来てはいけないはずの前世の名までが耳に入ってくる。
それと同時に、舞台の縁に脛をぶつけた。
(いったぁ!)
多少擦りむいた感覚と、青あざになりそうな衝撃を感じる。
そして更に落下していく途中、自分より下で人間同士がぶつかり合うような音がしていた。
それが何なのか、この状況がどういったものなのか考える間もなく、ルチアはぎゅっと瞼を閉じる。
「……あれ?」
落ちた衝撃は想定していたほど硬いものではなく、ボスンと柔らかい何かが下でクッションになっていた。
恐る恐る瞼を開くと、自分の下敷きになっているのは折り重なるように伏した男子生徒たち――オルランド、アドルフォ、レナートである。
そのすぐ傍に、弾き飛ばされでもしたかのような体勢でカルロが転がっている。
「まあ、私としたことがなんてこと!?」
動転しつつも公爵令嬢らしい優雅な動作で、ルチアは彼らの上から退こうとした。
けれど足に力を入れようとすると、痛みが走って思うようにいかない。
(――痛っ! もう、なんで私がこんな目に!)
コツコツと整然とした足音を響かせつつ、誰かが近づいて来る。
はっとそちらを振り返ると、舞台下を歩いて来る影があった。
「殿方は頼りになりませんことね?」
令嬢らしいたおやかな手が差し出される。
見上げれば眼鏡の奥のアイスブルーの瞳と目が合った。
役作りのために髪をひっつめ、先程まで舞台上にいたはずの、ロベルタである。
「お手をどうぞ、ルチア様」
「ありがとうございます、ロベルタ様」
ヒーローに華麗にキャッチされないあたり、やはり悪役令嬢に生まれたルチアはヒロインとは違うのだろう。
けれどそのことを、ルチアは心から嬉しいと思った。
助け起こされてロベルタに肩を貸してもらいながら、その華奢な肩が他の誰より心強く感じるのだから。
「先生。ルチア様を保健室へお連れして参りますわ」
視線だけで礼をして、ロベルタは担任教師に断りを入れ、颯爽と歩を進める。
そんな彼女に身を委ね、ルチアは支えられながら進んで行った。
演目中止を叫ぶ文化祭実行委員の声がする。
そして舞台上では、慌ただしく撤収作業が行われていた。
ちらりと振り返ってみても、ナナミの姿はもう見えるところにはない。
早々に視線を足元へ戻して、痛むほうの足を庇うようにしながら、ロベルタに導かれるままに淡々と歩いて保健室を目指した。
(何のつもりなの? まさか、ナナミ・ルアルディも前世で『愛憎のシレア学園』をプレイしていた……?)
どういう意図で自分が落とされたのか。
その疑問と共にルチアの中には、もう一つ気にかかることがあった。
あの時ルチアを呼んだ声は四人分。
オルランド、アドルフォ、レナート、そしてカルロであった。
ルチアを受け止めようと走って来た彼らは、同じことを考えた者同士ぶつかって倒れ、ルチアのクッションとなってくれたのだろう。
彼らも保健室へ運ばれるべき状態である可能性もあったが、そんなことは今のルチアの頭にはない。
(シルヴィオは……)
第三学年が最前列、第二学年がその後ろという座席順のため、走ってきてもシルヴィオがルチアを受け止めるには間に合わなかっただろう。
けれど、受け止めようとはしないまでも、舞台上から婚約者が落ちたなら、せめて駆け寄ってきて声をかけるなりするものではなかろうか。
学園の劇場出口に辿り着いた今この瞬間まで、シルヴィオはルチアのほうへやって来ない。
そればかりか、呼ぶ声もしなかった。
エルザと微笑み交わすシルヴィオのことが脳裏を過り、一瞬の目眩にルチアは足を縺れさせた。
「ルチア様、しっかりなさって」
ロベルタの凛とした声に、ルチアの頭は冷えていく。
「ルチア様のお身体もお衣装も、決して軽いとは申せませんのよ?」
嫌味でも不満でもなく、ただ事実として述べることでロベルタが窘める。
「そうですわね。申し訳ございませんわ」
ルチアの豊満な肢体も、ラビニアの華やかな衣装も、ロベルタが運ぶには本来重すぎる。
それでも彼女がルチアの付き添いを買って出てくれたのには、理由があるだろう。
「もう少し、辛抱して歩いてくださいませ」
ロベルタになるべく負担をかけないよう気を配りながら、ルチアは余計な不安を振り払って歩いた。
「そしてお手当が済んだら、『乙女ゲーム』なるもののお話、お聞かせ頂けますでしょう?」
劇場の外へ出て、警備員とも距離のある場所まで来た時、ロベルタは小さめの声で低く囁いた。
アイスブルーの瞳が隣のルチアへ向けられ、互いに顔の角度は前を向いたままで視線が合う。
二人の悪役令嬢は、不敵に微笑み合った。
ご無沙汰しまして申し訳ありません!
お久しぶりになってしまったにもかかわらず、第38話をお読み下さり、心よりお礼申し上げます!!
いかがお過ごしでしょうか?
こんなご時世ですが、なるべく皆様が健康でお過ごしくださいますよう、お祈り致します。




