第37話 裁縫令嬢の嘆息
秋桜の花祭りから文化祭までは、約一週間程度の期間しかない。
ルチアはその間、演劇で着用するラビニアの衣装をアレンジしたくなったと言い、忙しさを理由にシルヴィオを遠ざけた。
ちなみに、貴族子女の通うシレア学園の文化祭における“衣装係”とは、衣装を制作する係ではなく、職人と話し合って発注し、確認・管理する係である。
それをアレンジするかどうかは、衣装係に事前に申し出さえすれば、着用するキャストにある程度自由が認められていた。
乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』において、セーラの衣装に細工をされることを知っているからと、衣装に対して警戒しているわけではない。
そもそもルチアはヒロインでもなければ、セーラ役でもない。
『小公女セーラ』においての悪役令嬢とも言える、ラビニア役である。
全ては単に、シルヴィオと一緒にいられない理由作りであった。
ルチアにはまだ、気持ちの整理がついていない。
というより、腑に落ちないことが多すぎた。
秋桜の花祭りに誘った時、シルヴィオは先約があると言った。
その先約の相手がエルザであったことは、ルチアがその目で直接見た光景が物語っていた。
あの時は単純に、シルヴィオが自分よりもエルザを選んだのだと思い込んだ。
しかし後からよく考えてみれば、果たして本当にそうなのか疑わしい要素が多数浮かび上がる。
ルチアの知っているシルヴィオは、平気で二股をかけておいて婚約者面をしてくるような、厚顔無恥な男ではない。
文化祭が終わるまで昼や帰りを一緒に過ごさないと言えば、捨てられた子犬のようにしょんぼりしていた。
それに何より、エルザは異母兄のレナートに禁断の片恋をしているはずのキャラであり、簡単にシルヴィオに気移りする理由が見当たらない。
頭脳明晰が自慢のルチアには珍しく、考えがまとまらなかった。
答えに辿り着こうとすると、シルヴィオとエルザが仲良さそうにしていた姿が脳裏に浮かび、思考に霞がかかるようであった。
(ああもう、イライラする!)
内心で悪態をつきながら、ルチアは放課後、文化祭の準備用に各学級にあてがわれた部屋で、ラビニアの衣装につける飾りを縫っていた。
しかしその苛立ちも、無心に針を動かしていると紛れる気がする。
もとより衣装にこだわりがあったわけではないのだが、せっかくなのでこれを機にルチアは存分に裁縫を楽しむことにした。
前世では初めて編んだマフラーが不遇な運命を辿ったが、できたものを着けるのが自分だとわかっている今回の裁縫は、気楽でのびのびとしていられる。
ルチアの瞳によく似た翡翠色の余り生地を見つけたので、それを銀の糸で縫って花のコサージュを作っている。
故意に遠ざけてはいても、結局シルヴィオのことが頭から離れないのであるから、重症であろう。
不意に乾いたノックの音が響き、扉が開かれた。
「ごきげんよう、ルチア様。今、少しよろしくて?」
呼ばれて顔を上げれば、ロベルタであった。
険しい表情の彼女を見て、良い話ではないことが窺える。
ここには他に誰もいない。
このまま話をしても、盗み聞かれる心配もなさそうである。
「ごきげんよう、ロベルタ様。勿論ですわ。いかがなさいましたの?」
「以前からお話しておりました、噂の件なのですけれど。ルチア様は、どの程度把握しておいででして?」
ロベルタおよびアドルフォ、そしてオルランドから、ルチアとシルヴィオの婚約の経緯について良くない噂が流れていると、以前から忠告されていた。
その噂は夏期休暇を境に鳴りを潜めており、代わりのようにシルヴィオとエルザの噂が流れだしたというのがルチアの認識である。
その旨述べれば、ロベルタは首肯して同意を示した。
「概ねあたくしも同じ認識ですわ。エルザ様は黒でしょう? どうして泳がせておいでなのかしら?」
さらりと核心に触れてきたロベルタに、ルチアは流石としか言いようがなく感嘆した。
部外者でありながら、否、だからこその素早い分析と冷静な判断力。
そしてこの、単に遠慮がないように見えて、計算の上で発せられたであろう、あけすけな物言い。
相手と状況によっては、こうして単刀直入に本題を告げることが、信頼を築く近道になることを彼女はわかっている。
「どうも最近、考えがまとまりませんの。心が疲れてしまったと申しましょうか……」
「まあ、ルチア様らしくもない」
ロベルタには、恋をして思考の泥沼に沈みこんでいくような、愚かな経験は無いだろう。
しかし蔑むでも侮るでもなく、アイスブルーの瞳はルチアを観察し、分析しようとしていた。
「あたくしでよろしければ、お役に立ちましてよ?」
自信に溢れた申し出が、ロベルタらしくて心強い。
このタイミングで最良の味方を得られるなら、遠慮している場合ではない。
「お願いしますわ、ロベルタ様。私、盲目な恋をして思考が鈍っておりますの」
ロベルタに対して、見栄を張る意味をルチアは感じていない。
正直に認識していることを開示して、彼女を頼るのが最善だと判断した。
乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』において、設定上最も優秀な頭脳を彼女は持っているのだから。
「ええ、喜んで。それにしても、ルチア様がおひとりのタイミングがあってよかったですわ。いつも婚約者様にべったりでしたから、なかなか申し出られませんでしたのよ?」
「それは申し訳ございませんわ。もっとご学友を大切にしなければなりませんわね」
「本当ですわ。たまにはあたくしとチェスでもしてくださらなくては」
不満を述べているようでいて、表情は全く不満げでないロベルタが、ルチアの隣へ腰掛けた。
「ロベルタ様。以前、前世のお話をしたこと、信じてくださってますかしら?」
「勿論ですわ。最も筋の通ったお話を、その時点で最も確からしいことと認識する主義ですの」
「では、その延長のお話を致します。私の前世の世界には、『乙女ゲーム』というものがございまして――」
その時、また扉をノックする音が響いて、誰かが入って来た。
この場で会話を継続するのは、難しくなってしまった。
「あ、ルチア様にロベルタ様」
入って来たのは、ルチアたちが苦手とする、ナナミ・ルアルディである。
「お話の続きはまたの機会に」
そう小声で囁いて、ルチアもロベルタも仕方なくナナミのほうを向いた。
最悪のタイミングに、最悪の人物である。
眉を顰めて嘆息したいのを隠し、ルチアは公爵令嬢の仮面を貼り付けた。
「ごきげんよう、ナナミ様」
ルチアもロベルタも、貴族令嬢らしい上品な所作で礼をする。
「こんにちは」
挨拶を返すナナミの所作は、どこか乱雑で気の無いものだった。
「あたしも衣装を直したいので、失礼します」
露骨に不快そうな表情を浮かべるナナミは、ルチアやロベルタに対する敵対心を隠す気もないようである。
セーラの衣装を探すためにナナミが俯いたところで、二人は顔を見合わせて肩を竦めた。
文化祭準備室と呼ばれるそこから、衣装を持ち出すことはできない決まりであった。
貴族子女が通うシレア学園の備品は、どれもそれなりに高価なので、トラブルを避けるためのルールなのである。
裁縫を切り上げ、場所を変えてロベルタと相談を続けることもできるだろう。
しかしこの状況で安易に移動すれば、他人に聞かれたくない話をしているという懐疑を、ナナミに抱かせかねない。
相手が相手だけに、面倒なことである。
「あたくしはそろそろ、失礼致しますわ。ごきげんよう」
合理的なロベルタは、長居は無意味と判断するが早いか、未練も無くその場を去って行ってしまった。
その後を追いかけるか迷って、ルチアは結局とどまることにした。
というのも、その場にいたのが他でもないナナミだからである。
ヒロインが衣装を直すというその行為に、嫌な予感めいたものを感じたのだ。
「ルチア様ってお裁縫なさるんですね。意外です」
意外なことに、ナナミが話しかけてきた。
「そういうのって、身分の高いご令嬢はなさらないと思ってました。下働きにさせればいいと思ってそうですし」
「そうですわね。専門家には劣りますけれど、嗜みとして学んでおりますわ」
棘のある声色で話しかけてくるナナミの様子に、気に入らないなら関わってこなければいいのにと、ルチアの中に不審と不満が湧き上がる。
「そうやって目立って……カルロ先生の気を引こうとしているんですか? 婚約者がいるくせに」
「は?」
全く予想もしていなかった難癖をつけられ、ルチアは不覚にも公爵令嬢の仮面が一瞬剥がれ落ち、間抜けな声で問い返してしまった。
「あたし、わかってますから。カルロ先生があたしに冷たくなったのと、ルチア様のほうばっかり見るようになったのは、同じ時期でした。何かしたんでしょう?」
「言い掛かりはおやめになって? ナナミ様もご覧になった通り、私はありもしないいじめを認めてあなたに謝罪したんですのよ? 気を引こうとしているだなんて、そんな要素がどこにございますの?」
正論を返しながらナナミのほうを見遣れば、彼女は親の仇でも見るかのような憎しみと怒りの形相をしていた。
ナナミによるカルロ攻略に関しては、勝手に自爆したようなものなのであるから、逆恨みは勘弁してほしいというのがルチアの心境である。
「あの時のお約束、守ってくださってますか?」
何と答えてもどうせ信じないであろう敵意丸出しの表情で、ナナミが問いかける。
「ええ。法廷に召喚されてございませんでしょう? それに、あれからメルカダンテ先生とは、授業中の受け答えを除いてお話しておりませんし」
「嘘! だったらどうして、カルロ先生はルチア様のほうばかり……!」
カルロの視線には、ルチアも気づいていた。
そしてそれを誰より不快に思っていたのは、ルチアである。
ただでさえ、前世のトラウマの生まれ変わりと知った相手と、同じ空間にいるだけで快くないというのに。
ああも露骨に物言いたげな視線を向けられては、落ち着かないどころではなく苛立ちが募った。
「存じませんわ。不快な視線を向けられて、迷惑しておりますの。二人で抗議にでも参りましょうか?」
前世の因縁のことを、ナナミに話すつもりはない。
そしてナナミの前でなら、あの男も前世のことを話題に出さないだろう。
二人でというこの提案は、ナナミを手駒として都合の良い状況下でカルロに忠告しようという、ルチアのしたたかさが窺える提案である。
「何を企んでるの?」
「企んでいるだなんて、品の無い勘繰りはおやめ頂きたいですわ」
白々しく言いはしたが、ルチアの人生は企みだらけであった。
自分から積極的に何か企まなくなってからのほうが、上手く立ち行かなくなっている。
「……あの時のが本性なんでしょう? その上品ぶった話し方は、演技なんでしょう?」
憎々し気に睨めつけてくるナナミの言いたいのは、取引を持ち掛けた日のことだろう。
あの時確かに、ルチアは公爵令嬢の仮面を剥して、素の話し方になっていた。
しかし、ルチアの仮面の下の話なんて、ナナミには一生したいと思えない。
「何のことかしら?」
「もういいわ!」
とぼけて見せれば、堪え性の無いナナミは、手に持っていたセーラの衣装を乱暴に台の上に叩きつけた。
針を扱った作業をしているのだから、安全に配慮してほしいものである。
「美人に生まれたからって、何でも手に入ると思わないことね!」
見当違いの罵声を浴びせ、ナナミは勢いよく立ち上がる。
そしてそのまま、ズカズカという擬音が似合いそうな足取りで、部屋を辞して行ってしまった。
(こんなくだらないやり取りのために、ロベルタとの会話を邪魔しに来るなんて。やめてほしいわ)
特大の溜息を吐いて、ルチアは手元に視線を落とした。
コサージュは半分ほど完成している。
その日はもう気が乗らず、自分の分とナナミの分を手早く片付け、帰宅することにしたのであった。
第37話もお読みくださり、ありがとうございます!
更新が不定期になり、ご不便をおかけしまして申し訳ありません。
どうも体調に波がありまして、内容に響きそうなので、調子の良い時に書かせて頂いております。
一番頑張ろうと思っていたところで、むむむっ!
下書きは順調に増えておりますので、綺麗にまとめる作業をなんとかしていって、遅くとも半年以内には完結できたらと思っております。
今後とも何卒、ルチアたちをよろしくお願いいたします。




