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第31話 パレストリーナ家の茶会

品良く控え目に銀の装飾が施された封筒には、パレストリーナ伯爵家で開かれる茶会への招待状が入っている。

それを見せて中へ通されると、そこは幼い頃の記憶に僅かに残っている、よく整えられた美しい庭である。

門から屋敷までは少し距離があり、その間をパレストリーナ家の馬車が往復し、客人たちを運んでいた。

ほぼ同じ時刻に到着した他の客人たちと共に、馬車を乗り換える。


この茶会のことを話した時のルチアの反応は、予想に反してあっさりしていた。

特に何も追求されなかったのは、家同士に昔から親交があり、母親も出席するという旨を伝えたからだろう。

実はこの母への招待状は、シルヴィオの分と共に急遽準備されて彼が預かったのだが、そこまではルチアには言っていない。

主要目的を隠して話したことに罪悪感はあったが、ルチアのことでエルザに相談がしたいのだなどとは、言えるはずもない。


隣国の侯爵家から嫁いできたベルトロット伯爵夫人は、同じように元侯爵令嬢であるパレストリーナ伯爵夫人とは、そこそこ親しい仲であった。

パレストリーナ家がレナートを引き取る前、つまり、伯爵が夫人以外の女性との間に子供を設けていたことが明るみに出る前は、母親同士の仲ももっと親密だったらしい。

だが、パレストリーナ家の夫婦仲が険悪になって以降、夫人の性格が穏やかでなくなってしまい、少しずつ距離を置くうち、茶会などへの招待の頻度もお互い減っていったのだという。

道理で、ここに来たシルヴィオ記憶は、幼い頃に限られているわけである。

そんな話をここに来るまでの馬車の中で聞かされたシルヴィオは、今日は母親であるベルトロット伯爵夫人をエスコートするかたちで来ている。


その日は晴れており、茶会の会場となった客間からは、壁に張り巡らされた広い大きな硝子窓ごしに、美しい庭が存分に楽しめた。

晩夏の草花は生命力に満ち溢れ、陽の光を受けて輝きを放っている。

主催者であるパレストリーナ伯爵夫人を中心に、皆が紅茶と菓子を囲んで談笑していた。

挨拶のために席を立っている者もちらほら見受けられるが、それ以外の目的で無暗に歩き回る者はいない。

母と共に一通りの挨拶を済ませた後は、シルヴィオは席についてエルザから声をかけらるのを待った。


「そういえば本日は、ご子息は楽器を演奏なさらないのかしら?」


そんな声が聞こえてきたのはどこからか、どこかの夫人がぽつりとそう言ったのを皮切りに、あちこちからレナートの演奏を期待する声が上がった。


「あの方は本当に素晴らしい演奏をなさいますものね。先日も娘が出るヴァイオリンコンクールに応援に参りましたら、レナート様の演奏を拝聴する機会に恵まれまして、技術も音楽性も他の参加者とは一線を画しておられましたわ」

「ええ、まるで音楽の神に愛された申し子ですわね」


するとパレストリーナ伯爵夫人は、目に見えて表情が険しくなった。


「いやですわ、あんな素人の演奏など、お耳汚しでしかございません。本日はプロの室内楽団をお呼びしておりますのよ」

「まあ、それは――」


残念そうな表情を浮かべている夫人たちも、口に出してはそれ以上何も言えない。

パレストリーナ家の事情を少なからず知っている者などは、失言してしまったと気まずそうに俯いている。


「楽しみですわね。音楽は良いものですわ」


隣からそんな声が聞こえて振り返れば、シルヴィオの母がにこりと穏やかに微笑んでいた。

ベルトロット伯爵夫人は、温和で天然――を、演じている。

この母は思慮深いほうで、短気を起こしているのをシルヴィオも見たことがないのは確かだが、その本性は表面上の印象通りではない。

そうと知っているのはこの場で息子のシルヴィオのみなので、精巧に作り上げられた天然を装う笑顔に、凍り付きかけていた空気が明るさを取り戻す。


そのまま話題は他のことに流れていき、穏やかな茶会が続いた。


「シルヴィオ様、今、よろしいかしら?」

「はい」


エルザに声を掛けられて振り向けば、同級の令嬢が数人、彼女の隣に立っていた。


「ご学友の皆様に、お庭をご案内しようと思いますの。ご一緒にいかがかしら?」

「ええ、ではお言葉に甘えさせていただきます」


他の令嬢も一緒では、相談事はできない。

だが、エルザにも考えがあるのだろう。

シルヴィオは母に断りを入れて、席を立った。


エルザたちについて行こうと歩みだすと、ふと背中に視線を感じる。

さりげなくその主を確認すれば、それはパレストリーナ伯爵夫人の視線であった。

そこで、エルザが他の令嬢たちと一緒でなければ、この部屋からシルヴィオを連れ出せない理由に思い当たる。

伯爵の不徳に傷ついて過敏になっているこの夫人ならば、異性の友人と、それも婚約者のいる相手と二人でどこかへ抜け出すなど、例え断っても許すはずがない。


客間を出ると、エルザがこっそりシルヴィオに耳打ちした。


「後程、別行動をご提案致しますわ。彼女たちのお目当ては、お兄さまですの」


シルヴィオは、ただ黙って頷いた。


レナートはその美貌と並外れた音楽の才能により、当然ながら女生徒たちの憧れの的である。

彼女らにとっては残念なことに、彼はあまりに人見知りが激しく神経質なので、親しくなるには一筋縄ではいかない。

この茶会はレナートを慕う女生徒たちとっては、謎のヴェールに包まれた彼の生活空間を垣間見る、またとない好機(チャンス)なのだろう。


「まずはお庭に皆様で向かいましょう」


エルザに先導されて、令嬢たちに交じって庭までついていく。

三つ四つと社交辞令を交わし、彼女らにも失礼の無いよう接することを忘れない。

ルチアを幸せにするには、当主となるに相応しい振る舞いを常に心がけねばならず、如何なる時も気は抜けない。

――そう、シルヴィオの頭の中には、いつもルチアがいる。

幸福も不安も、全て彼女の存在と共にあるのだ。


ベゴニア、サルビア、マリーゴールド、ガーベラ……どれも見事に咲き誇っており、噴水を囲う花壇に色ごとに放射状に列を成すそれらの花々に、庭師の工夫もうかがえる。

その色がほとんど赤や黄などの暖色系に偏っているのは、夫人の趣味であろうか。

その中にあって、青いサルビアは非常に目立っている。

図形を描くように立ち並ぶ木々は、常緑樹と針葉樹が中心のようである。


そうして草花や木々を見て回り、屋敷の裏側へ到達すると、微かに弦楽器の音色が聞こえて来た。

令嬢たちが黄色い声を上げる。

レナートがヴァイオリンを練習しているのであろうか。

ここはもう、客間の窓からは完全に見えないだろう。


「あちらのお部屋で、お兄さまがヴァイオリンの練習をなさっておりますわ。皆様、少しお聴きになりたいかしら?」


令嬢たちは嬉々として頷く。

この茶会へ出席した彼女たちの主目的は、これなのだろう。


「でしたら、どうぞあちらの東屋をお使いくださいませ。お兄さまはとても恥ずかしがりやでいらっしゃいますから、もし気づかれても、偶然あちらで談笑なさっていたよう装ってくださいませね」


瞳を輝かせ、令嬢たちは強く頷く。


「その間にシルヴィオ様は、我が家の絵画コレクションをご覧になりませんこと? 音楽よりも美術に造詣が深くていらっしゃると、以前お伺いしましたものですから」

「はい、是非。お気遣い痛み入ります」


エルザが意味ありげに微笑みながら、シルヴィオだけをその場から誘い出す。


「では皆様、ごゆっくり。後程戻って参りますわ」


令嬢たちは既に蕩けたような眼差しをして、東屋から必死にレナートのいるであろう部屋のほうへ熱い視線を送っている。

カーテンの隙間からちらりとでもその影が見えないかと、期待しているのであろうか。


シルヴィオはエルザの手招きするほうへ、その後を追っていく。

彼女の背に揺れる癖のある栗色の髪は美しいが、ルチアのふんわりとしたプラチナブロンドを追っているときのような、あの高揚は感じない。


「亡き祖父は絵画がお好きで、お気に入りの画家の作品をかなりお集めでしたのよ」

「そうなんですか、それは楽しみです」


屋敷は広く、正面以外にも出入り口がいくつかある。

裏庭に通じている扉から、彼らは中へ入っていった。


銀の燭台も品の良い臙脂色の絨毯も、この屋敷の古さと格調高さを示している。

左右を部屋に挟まれたこの廊下は、足元が見えないというほどではないが薄暗い。

花瓶に生けられた赤と青の二色のサルビアが、そんな中で妙な存在感を放っていた。


「ご存じでして? サルビアの花言葉」


振り返らないままに、エルザが問いかけた。


「確か、尊敬とか、知恵とか……」

「ええ。そして、家族愛というのもございますわ。赤いサルビアには燃える想い、青いサルビアには貞節や、永遠にあなたのものといった意味も」


エルザの声色からは、その感情は読み取れない。

しかしこの家の家庭事情を知っているシルヴィオにとっては、何とも気まずい話の流れである。


「母が、父への当てつけに。屋敷の中にサルビアばかり飾るんですのよ。決して家令を始めとする使用人たちが、総じて色彩感覚が独特であるというわけでは、ございませんのよ?」


使用人たちを庇うための言葉で締めくくって、エルザはひとつの部屋の前で足を止めて振り返る。

彼女は悪戯っぽく微笑んでいたが、内心では、家庭の不和に胸を痛めているのかもしれなかった。

シルヴィオには、かける言葉が思いつかない。


「祖父の書斎の壁一面は、絵画で埋め尽くされておりますの。今でもこの部屋は、そのまま保管しておりますわ」


あらかじめ準備していたのか、エルザはポケットから鍵束を取り出した。

そのうちの一つを目の前の鍵穴へ差し込み、彼女はガチャリという音と共に手際よく開錠する。

そして古めかしい装飾の美しい扉が、ギィと蝶番を鳴らして開かれた。


「これは、壮観ですね」


エルザの言った通り、その部屋は壁一面が絵画に埋め尽くされていた。

幸いにも彼女の祖父のコレクションは風景画ばかりで、無数の視線に晒されて居心地が悪いということはなかった。


ゆっくりと部屋の中へ足を踏み入れると、後ろでエルザが扉を閉める音がする。

シルヴィオはその部屋をぐるりと見回し、何点かの気に入った作品に長めに目を留めていた。


水、空、霧、風などの中に独特の手法で光を捉えたそれらの作品は、前世で活躍した英国人、とあるロマン主義の巨匠の作風を彷彿とさせる。

その様式は本来、『愛憎のシレア学園』の舞台であるこの世界の設定からすると、進みすぎたもののようにも感じるが、そんなことを気にするのはこの世界でシルヴィオや、ルチアくらいなのかもしれない。

乙女ゲームの中では、そこまで厳密に設定されていなかったのだろう。


「このお部屋でしたら、滅多に誰も近くを通りかかることはございませんわ」


エルザの声に、茶会へ呼ばれた目的を思い出して、彼女を振り返った。

絵の鑑賞を楽しんでいる場合ではない。


「よろしければ、お掛けになって」


部屋の主が愛用していたであろう、古い革張りの椅子を示される。


「はい、ありがとうございます」


シルヴィオがそこへ腰掛ければ、その(つい)のように正面に置かれた一脚に、エルザもまた腰を下ろした。


「では早速、ご相談なのですが――」

二章第三十一話をお読みくださり、ありがとうございます!

今年最後の更新になります。

長らく拙作にお付き合いくださいまして、心より感謝申し上げます。

前回の後書きにも少々フライグしてご挨拶しておりましたが、良いお年をお迎えくださいませ!

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