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第30話 悪役令嬢の仮面

夏期休暇が終わり、シレア学園でも新学期が始まった。

海辺の別荘から帰って以降、ルチアたちに取り立てて事件は起きていない。


休み明けの生徒たちは、ダミアーノが自主退学したと聞かされた。

表向きは家庭の事情としか説明されなかったが、ついに彼がブランディ侯爵家から廃嫡されたというニュースは、既に一部の貴族たちの間では知られていた。


「どうしたの? 浮かない表情(かお)をして」


ルチアと共にする昼食。

場所は二人のお気に入りの、中庭のベンチである。

シルヴィオは彼女の手作り、それも懐かしい和食を口にしながら、それでもダミアーノの件についての後味の悪さを拭い切れなかった。


「こんなやり方しか、なかったのでしょうか?」


何がとは言わずとも、ルチアにもそれがダミアーノの件を指していると察せられる。


「自業自得じゃない。放っておいたら、被害女性がいくらでも増えたのよ? これで根本的な解決になったはずだわ」


侯爵家の子息がその美貌と身分と甘い言葉を用いて、彼自身よりも立場の弱い女性たちの人生を狂わすようなことを続けているのは、確かに放っておけないことであったとシルヴィオも思う。

だが、もう少し平和的に解決する方法はなかったのかと、思ってしまうのだ。


「気に入らないの?」

「いえ、その……。他に方法がなかったのかと、考えてしまうだけです」


ルチアは不服そうにしながら、シルヴィオの口元へ運びかけていたスプーンを下ろした。


「領地にとっても良かったはずよ。あの違法な組織を一掃できたのだし」


別荘からのシルヴィオ誘拐には、違法な組織が関わっていた。

ルチアと復縁しようと動いていたのはダミアーノの独断で、ブランディ侯爵の耳になるべく余計なことを入れないようにと、彼は自家とは無関係の者を協力者に選んだのだ。


他人には言えないような業務を請け負う、いわゆる何でも屋のようなことをしていたその組織が、モンテサント公爵家の給仕服に似せた衣装を仕立てたり、罠となる手紙を用意して受け渡したり、そしてシルヴィオを眠らせて運んだりした。

そしてその組織は、ルチアの指示によって動いた使用人たちの証言からその存在が浮かび上がり、モンテサント公爵への報告によって改めて公の捜査と取り締まりが行われることとなった。

領主の家の令嬢とその婚約者に手を出したということもあり、組織の者たちはことごとく投獄を免れなかったらしい。


「あなたも危ない目に遭ったじゃない。なのに、同情してるの?」


シルヴィオはあの夜、使用人から手紙を受け取った。

そこには、『窓を開けて外をご覧ください。ルチア様からお見せしたいものがあるそうです』と記されており、署名はモンテサント公爵家の使用人の名前になっていた。

ルチアが何らかのサプライズを計画してくれたのかと思い、シルヴィオは素直に従ったところ、窓枠の下に潜んでいた何者かに睡眠薬を嗅がされて意識を失ったのだ。

翌朝全く異なる文面の手紙が寝室で発見されたことは、後に聞かされて知った。


「危ないというほどのことでも――」

「危ないわ! 相当な量の睡眠薬を飲まされていたって、聞いたでしょう!?」


ルチアの翡翠の瞳に涙がたまっているのを見て、シルヴィオははっとする。

彼女は、シルヴィオのことを心配して、シルヴィオを想って、シルヴィオのためにダミアーノとあの組織に怒りを燃やしたのだろう。


「すみません……そう、ですね」


納得し切らないままにそう言って俯けば、ルチアの手がシルヴィオの袖をぎゅっと握ってきた。


「どこも怪我をしていなくて、本当によかった。私が油断していたから、もっと早く気づけなかったから……。あなたを、守れなかった。失っていたかもしれないと思うと……!」


握られた袖から、震えが伝わって来た。

いつも気丈に振舞い、高慢にさえ聞こえる言葉を選びがちな強がりのルチアが、その不安を隠しきれずにいる。


「ルチア様、すみません……」


美しい眦からこぼれかけたルチアの涙を、シルヴィオはそっとハンカチで拭う。

翡翠色の瞳が、心細げに彼を見つめていた。


「あなたが謝ることなんてないわ。私が、しっかりしてなきゃいけないのに……」


シルヴィオはルチアを優しく抱きしめて、安心させるようにプラチナブロンドの髪を撫でた。

だがそうしながらも、シルヴィオの胸にも不安は広がっていく。


ルチアは、ほとんど彼を頼ってくれない。

何か問題が起こっても、いつも彼女の力で解決しようとする。

シルヴィオが当事者であるような場合でも、解決の際に蚊帳の外に置かれることすらある。

おそらく、ルチアに前世で乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』をプレイした記憶があるために、この世界で起こることをどうにかするのは、彼女の役目だとでも思っているのだろう。


それはシルヴィオの理想の関係とはほど遠い。

彼だってルチアを守りたいし、伴侶として共に歩んでいくなら尚更、もっと様々なことを共有して、一緒に乗り越えていきたいと思っている。

だが今はまだ、そんなことを言い出す勇気は持てなかった。

ルチアのほうが博学で、行動力もあり、大抵のことを上手くやってしまう。

実際に出る幕が無いのは、自分の力不足によるものだと、シルヴィオは感じているのだ。


「ルチア様、ぼく、ルチア様を幸せにしたいです」


そっと囁けば、抱きしめていたルチアが身じろぎして、視線を合わせてくる。


「あなたが傍にいてくれたら、私は幸せよ」


それは偽りの無い言葉なのだろう。

ようやく落ち着いた様子のルチアの微笑みに、シルヴィオも安堵する。

けれど彼は、言えない言葉を胸にため込んで苦しささえ覚えた。


傍にいるだけのことしか、求められていないなんて。

そう思ってしまう捻くれた自分が、嫌だった。





翌日も、翌々日も、似たような日常を過ごした。

学園へ通い、昼と放課後はルチアと過ごす。

誰にも邪魔されず、甘い言葉をかけ合ったり、婚約者とはいえ貴族子女としては少し過剰なくらい、スキンシップをはかる。

そうして過ごす毎日は幸せなものだ。

だがそれが、何かを覆い隠して成り立っているもののような気がして、ずっとシルヴィオの胸にわだかまりを抱かせた。


あの不敵な笑みを見る度、シルヴィオは不安に駆られる。

ルチア自身おそらく気づいていないが、あれは悪役令嬢の仮面だ。

彼女が完璧な公爵令嬢の仮面を被るのは、社交のためである。

貴族なら誰しも、その立場に見合った振る舞いを求められるのだから、あの仮面は必要なものである。

では、悪役令嬢の仮面は、何のためにあるのだろうか。

あの顔をしている時のルチアは、その奥にきっと何かを覆い隠している。





三日、四日、五日……一週間が経っても、彼らの日常を脅かす影は現れず、相変わらず彼らは幸せな時間に甘やかされるように過ごしている。

それは喜ぶべきことのはずである。

だが、シルヴィオの心に一点の染みのように巣食っていた不安は、今や胸の内で沼のように広がっていた。

これまでが色々ありすぎた分、穏やかに過ごせることに慣れないのかもしれない。

――そう自分に言い聞かせようとすると、何か大切なものが沼の中に沈んで行ってしまう気がする。


ルチアが、甘く微笑む。

傍にいてくれればいいと言う。

シルヴィオを守ると言う。

彼は彼女を守るには、自分の力がまだ足りないと思う。


それだけであろうか?

本当に、不安はたったそれだけなのであろうか?

別荘へ出かけた時にも感じた、あの不安の正体は――。





「いかがなさいましたの、シルヴィオ様? お顔の色がよろしくありませんわ」

「あ、エルザ様。こんにちは」


教室移動の道中。

悩みながら廊下を歩いていると、エルザ・パレストリーナに声をかけられた。


「何かお悩みかしら? わたくしでよろしければ、お話うかがいましてよ?」


ルチアは彼女を悪役令嬢だと言っていたが、これまでエルザが何かをしてくることはなかった。

だから、シルヴィオは特に警戒せず接している。


このまま悩み続けるよりは、第三者に客観的な助言をもらうほうがいいかもしれない。

それに、恋愛に関する相談ごとは、男友達よりも女性のエルザのほうが得意そうだ。


「では、お言葉に甘えてもよろしいですか?」

「ええ、勿論ですわ」

「少し長くなりそうなので、お時間のある時に……」

「でしたら、三日後に我が家で開かれるお茶会に、いらっしゃいませんこと? お庭をご案内すると言って少し席を外せば、他の方に聞かれる心配もなく、ゆっくりお時間が取れますわ」

「それは素敵なお誘いですね。お邪魔するのはいつ以来でしょうか?」

「わたくしも、もう記憶が確かではございませんわ。懐かしいですわね」


パレストリーナ伯爵家の茶会へは、幼いころに何度か行ったことがあった。

ベルトロット家とは同格の伯爵家ということもあって、夫人同士に親交があるのだ。

だがそれも、シルヴィオは母についていくかたちであり、その隣でひたすら紅茶と菓子に手を伸ばしていた記憶しかない。

レナートともエルザとも歳が近いのに、会話したかどうかも怪しい。

覚えているのは、レナートがよくピアノやヴァイオリンを披露していた、ということくらいだ。


「突然でご迷惑でなければ、是非」

「実はご出席くださるはずだった他家のご令嬢が、事情によっていらっしゃれないことになったばかりでしたの。ですから、お席のご心配は要りませんわ。こちらこそ急ですけれど、明日までに招待状をご準備いたしますわね」

「はい、ありがとうございます」


三日後の放課後は一緒に過ごせないと、ルチアに言わねばならない。

彼女は、ナナミからの嫌がらせがなくなっても、放課後に訪ねてくる習慣をなくしていないのだ。

エルザに茶会に誘われたと言えば、ルチアは出席を反対するであろうか。


(悪役令嬢だっていうことを理由に……? でも、そんなの……)


ルチアだってゲームの中では悪役令嬢だったが、今のルチアはそれとは別人である。

エルザも、ヒロインがレナートを攻略しない限りは、悪役令嬢になんてならないはずだ。


それに、シルヴィオは自分の意思で動きたい。

ルチアに、あらゆることは彼女の責任だなんて、言わせないように。

二章第三十話をお読みくださり、ありがとうございます!

すっかり年末ですね……体調崩して過ごしたので、焦りがすごいです。

あと数日ありますが、良いお年を!

そして年を跨いでも連載続いていると思いますが、今後とも何卒よろしくお願いいたします!

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